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レイチェルはまだ自身の身に何が起こったのか消化し切れずにいた。
(さっきのは。。)
唇が熱い。ゾイドの濃い、むせるような香りと赤い瞳が近づいてきて、そこからぼんやりとしか記憶がない。
(唇って柔らかいんだ。。。それから、男の人って、とても大きいんだ。。)
扉をしめて、体をそのまま扉に預ける。体が、顔が、燃える様に熱い。
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ヨロヨロと赤い絨毯の廊下を歩いていると、控えていたらしい、見覚えのある顔に呼び止められた。
「あー、レイチェル嬢こっちこっち」
ジジが、ふにゃふにゃ笑って手招きする。
「ゾイド様が無茶したんでしょう。あの男は怖いわよ。レイチェル嬢はえらく厄介な男に執着されたわね。。何せ興味のある事にはまあ容赦がないんだから。下手に優秀で、身分の高い男から執着されるなんて、あなたついてないわね。」
ゆっくりしなやかに伸びをしながら、その小さな体を、レイチェルの前に滑らせてきた。
相変わらずクシャクシャの金髪だ。猫の様だな、となんとなくレイチェルは思う。
「ねえ、よく見せてよ。」
そういうと、ジジはそれこそ、頭のてっぺんから爪先まで、レイチェルを検分した。
「ローブの下のドレスの術式ね、発動してるの。こんなに素直に発動するという事は、やっぱりあなた本当に魔力がないのね。呆れた。。こんなに魔力の才能のない人間は見た事ないわ。。。」
小さくて可愛らしいのに、不躾な上に結構な口の悪さだ。居心地が悪い。
「それが件の蝙蝠石?なるほど。この反応は無いわー。早くに保護されて良かったじゃない。というか、あなたの身分を考えると、ゾイド様が直接発見できたなんて奇跡ね。」
ジジは一人でぶつぶつ呟く。
「ジジ様、えーっと。。私未だに良く実感がわからないのですが、魔力のない人なんて、平民ではたくさんいるし、こんな私なんか保護してもらう様な価値も何もないんです。ここではいつも通りに手芸していればいいってゾイド様おっしゃってるんですけど、お忙しいみなさんのお邪魔するのが心苦しくって。」
なんだか色々説明してはもらったが、何一つ実感は沸かないし、勉強も普通よりできないし、社交はてんでダメ出し、そもそも地味だし。
ジジは途中まで話を聞いていて、それからケタケタと笑い出した。
「レイチェル嬢、あなた本気でそんな事思ってるの?魔力がほとんどない、と全くないとでは、完全に話が違うのよ。全く魔力のない人間を探し出せたのは本当に奇跡よ!大体あなた、魔力の件がなくても、あなたみたいにおかしな術式を何個も重ねる事で発動させる事のできる人間なんて、この魔術研究所にだって一人もいやしないわよ。あなたの紋や術式への知識に、あの兄様ですら関心してたもの。」
「兄様って?」
訝しげにレイチェルは問う。
引きこもり令嬢に知り合いは少ない。どこぞの兄様の話をしているのやら。
「ジーク兄様よ。お茶会に子爵令嬢を呼んだって聞いてびっくりしたわ。あの人本当に令嬢とのお茶会が嫌いで、自分からお茶会に令嬢呼ぶなんてありえないからね。レイチェル嬢とのお茶会の後は本当にご機嫌だったんだから」
(え、という事はこの目の前のちびっこは、王族?)
そういえば尊い方の目と髪の色をしているような。。
今更気づいた事実に呆然としているレイチェルの考えを遮って、ジジは続ける。
「あ、私はジーク兄様の従姉妹で、前王妃の弟の娘なの。ロッカウェイ国の公爵の娘だったんだけれど、先祖返りで、私魔力が生まれつき強くて、体がそれに耐えきれなくて、何度か発作を起こした挙句、身体の成長不全になってしまってね。」
本当はこんな姿だけど、21歳なのよ、と寂しそうに笑う。
「ロッカウェイ公国はあまり魔術研究が進んでいないので、お父様が前王妃にお願いして、今はアストリア国の魔術研究所預かりになってるの。ゾイド様のおかげで、少しずつではあるけれど、成長してるのよ。」
「た、高い魔力を持つというのも、色々あるのですね。。私はずっと、魔力がないというのが恥ずかしかったので、全く魔力がないと言われても、恥ずかしさが増すばかりで。。」
実際、貴族の子弟の恒例である、魔力の反応を測りに神殿に赴いた際、レイチェルほど魔力反応のなかった子供はおらず、穴があったら入りたい気持ちで家路についた事を覚えている。
一緒に測定したライラはすぐに、ささやかながら華やかな水魔力反応が見えて、子爵夫妻の周りは、ライラの反応を褒めそやかす他の保護者達に囲まれたのだ。それに比べて、、などいう様な人間は、優しいジーン子爵家族も、その周りにもいないが、どうしても同情の目という物はレイチェルに向けられる。
周りの皆が自分を笑っている様な気がして、いたたまれなくなって、その日以来引きこもりっぷりに拍車がかかったのだ。
「あなたと私と、丁度半分だったら良かったのにね。」
ジジはクスッと笑っていった。
「きっと私達、いい友達になれるわ。」
ジジは、優しい目をしてレイチェルに言った。
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ジジの案内で、レイチェルは自分に与えられた研究室に入った。第二王子が寄越した肩書きは大それた物だったが、レイチェルの「研究室」の実情は、レイチェルの作業場と化した子爵の館の部屋に転がっていた道具をほぼそのまま持ってきた物なので、布だの改造中のドレスだの、糸だのが、所狭しと並べられて、なんだか申し訳ないくらい威厳がない。
世話焼きらしいジジの案内で他の研究員も紹介してもらい、彼らの部屋もあれこれと見せてもらったが、皆それぞれに個性の強く、雲ばかり研究しているもの、魔物の毒ばかり研究している者、様々だ。皆優しいが、レイチェルと同じように魔術のこと以外は興味が薄いらしく、残念令嬢には大変心地が良かった。
紹介された直後皆一様にレイチェルのドレスの術式の解析を始めたのには苦笑だった。どうやらレイチェルの術式は相当魔術を志す者にとっては面白いものらしい。あれやこれやと術式の話皆と交わしているうちに、日はゆっくり傾いていった。
ようやく日の暮れる前、最後にむかったジジの部屋は、高い天井に届くその戸棚のすべてに、ありとあらゆるポーションが溢れていた。
ジジにとって、研究は自身の未来への唯一の道なのだ。
才媛と名高いロッカウェイの高貴な留学生の話を、ようやくレイチェルは何処かで読んだ事を思い出した。
どこかのタブロイドだったと思う。「非業の姫君」だのなんだの、そういう類の話だったと思う。
涙ぐましい数のポーションと、文献の数。
ジジは自らの手で、己れの運命を変えようと、単身遥々アストリア国までやってきたのだ。
「まだ見つからないのよね。。」
ジジはため息ながらにそう言った。
「今は魔力の発作をゾイド様と開発したポーションで抑えている状態なのだけれど、体が発作に備えて、成長を止めてしまったの。体が成長を取り戻すには、完全に魔力を受け止め切れる様にならなければいけないの。」
発作を抑える方法は見つかったが、そこからまだ見つからない。ジジはそう言った。
そこから先が見つからないと、普通の女としての人生は難しいだろうとジジは理解している。
随分たっても静かにしているレイチェルに、ふと目をやると、茶色い頭が下をむいて、震えて、いた。
ギョッとして顔を覗き込むと、レイチェルの頬にいく筋もの熱い涙が伝っていた。
「あ、レイチェル嬢、なに。ちょっと!」
ジジが慌てて駆け寄ってくる。
「だって」
「ジジ様はそんなに優秀で、身分も高くて、私なんかにも、こんなにお優しいのに。。。前の王妃様みたいにお美しいのに。魔力が高すぎて、成長が止まってしまったなんて。。。そして外国までお越しになられて、研究されているなんて。。。」
エグエグと、子供のように真っ直ぐに涙を流すレイチェルを見つめてジジは少し混乱して、なんだか絶望して、それから暖かい何かが溢れてくるような気持ちになった。
レイチェルの反応はあまりに素直なものだった。
素直すぎて、すっかり忘れていた己れをおもいだしたのだ。
ジジに魔力の問題がなければ、白百合の如く麗しい貴婦人となって、今ごろはロッカウェイ公国の社交界の花となっていただろう。誰か貴公子と結ばれて、子を成していたかもしれない。
覚えている最初の発作は4歳くらいの頃。体が燃えるように熱くなり、倒れて3日も目覚めなかった。魔力発作が原因であると判明したその日から、公国一優秀な魔女が家庭教師となって魔力のコントロールをたたきこまれたが、成長に連れて魔力もどんどん大きくなり、10歳で起こした大発作のち、体は成長を諦めた。
ジジの両親は高潔な人物で、そして聡明だった。
決して一人娘の状況を嘆く事なく、諦める事なく、高い教育を与えて、励まし続けて、だがデビュタント前にアストリア国まで送った。
ジジは両親を心から尊敬している。運命を受け入れるようにジジを諭して、きつく周りも戒めたらしく、誰の口からも、ジジの身体について一言も話の端にも上がった事はなかった。
故にジジは、己れの身体は不便だとは思ったが、悲しいと泣いたこともなければ、次々に花のように娘らしくなってゆく友人達を、羨んだ事もない。
だが。
(私は、やっぱり悲しかったのではないか?)
愕然と、ただのか弱い乙女の自分の心の部分に気がついた。
今まで、いなかった事にしていた自分だ。だがどれだけ強くなっても聡明になっても、心にか弱い乙女は住んでいる。
目の前で滝のように涙を流す風変わりな娘を見る。
この娘は、本当にウブで素直で、裏も表もないのだ。剥き出しのか弱さで、同じか弱い乙女である自身の身を思い、掛け値なしに涙を流しているのだ。ジーク兄様の言っていた通りだとジジは思った。
気がつけば、ジジの頬にも熱い涙がすべっていた。
(。え??)
感情を伴っていない涙がいく筋も自身の目からこぼれ落ちる。
自身の身を憐んだ事はない。でも、一度くらいは自分の為に泣いても良いのでは。
涙が頬を落ちる度に、何かが溶けていくような。溶けた跡から、暖かい何かが芽を出したようなそんな気がした。
二人でひとしきり泣いた後、ジジはとっておきのチョコレートを出してきた。ロッカウェイ公国で一番人気の、口の中で雪のように溶けるチョコレートだ。
目を腫らした二人の令嬢が夢中でチョコレートを貪っている部屋に、迎えに寄越されたローランドは、のちにその様子を「サバトの様だった」と回顧する。
レイチェルは、生まれて初めて友を得たのだ。




