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レイチェル・ジーンは踊らない  作者: Moonshine
ゾイドの心

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「本当に悪い子供たち、きちんと壁の修復が終わるまでは、遊びにいっちゃだめよ。」


うふふ、とゆるふわ婦人は笑うが、要するに、謹慎を言い渡しているのだ。


悠久かと思われた、レイチェルとテオが過ごした竜人の国での時間は、下界に換算すると、たった一週間。


夢を見ていたのかもしれないと、レイチェルはぼんやりと思うが、レイチェルが彼の国で仕上げて、持ち帰ったその刺繍は、おそらく十人の職人が百年の年月を費やしても、完成しないほどの複雑で、そして美しい物だった。


あまりの見事な出来に、現当主であるウィルヘルム、そして次期当主であるゾイドは、宝物殿の失われた初代の遺品である刺繍のあったその場所に、レイチェルの刺繍をそっくりそのまま、リンデンバーグ家の門外不出の家宝として収める事とした。


未来永劫この刺繍を目にするものは、文字通り、リンデンバーグの血を持つものだけ。

この城の築城の当時から、この城の最奥部にあったのは、始祖の母となった娘を思う、母の愛が込められた刺繍。そして、これからここには、この城の主人となる愛おしい男への、レイチェルの愛が込められた、刺繍。

この城は、女達の愛をその身の奥に包んで、かくも美しくそびえる。


「。。いずれ、私たちの子孫の、またその子孫の誰かが、この刺繍を目にして、私の想いに触れてくれる日が来るのかしら。。」


レイチェルは、空中にふわりと浮遊する、己の最大の力作を眺めて、そうぽつりと呟いた。

刺繍は、ゾイドの愛してやまない古代の複雑な氷の魔術の陣を中央に、ぐるりとそれを、わざわざ中和する火の術式。そこの摩擦点から発生する、見事な光の魔術が絶妙の配分で発動して、緩やかに辺りは虹で包まれる。

白い布に、白い刺繍。まるで、レイチェルのデビュタントの、あの日の装いのごとく。


レイチェル初の、複合立体魔術の試みかつ、人生の最高傑作。

レイチェルの、ゾイドへの愛。


「子孫が何を感じるかなど、私は正直言ってどうでもいい。ただ、今、こうやって貴女の愛が刺繍となって、私の目に写るのが、私は嬉しくて、うれしくて。。」


竜に貸したまま返ってこない、二枚目の絨毯の代わりよ、と、この刺繍の大作を贈られた男は、赤い目を更に真っ赤にしたまま、感無量だ。


黒い竜となって下界に降りたゾイドは、案外あっさりと、人に戻った。

当然といえば当然かもしれない。


竜人の国では、思いが形になる。下界では、思いは、ただの思いだ。


下界に近づくにつれて鱗が剥がれ、どんどんと人の形に戻るゾイドは、地上に墜落する前に、自身とレイチェルに防御壁の魔術を仕掛けて、そしてそのまま。


どすん


湖の際の、東の城壁にぶつかって、レイチェルとゾイドは、崩れた壁と、壁の向こうにあった冬の間の家畜の食料である餌に塗れて、大変不格好に帰還した。


非常に運の悪いことに、その場所の近くで、魔女達が定例の会合を行なっていた最中であった事から、魔女達の怒りを買ってしまった。

セリーヌが、何かと引き換えに、魔女達の溜飲を下げてもらったのだが、レイチェルが一体何と引き換えにかと、どれだけしつこく聞いても、


「うふふ、レイチェルちゃん、世の中には聞かないでいた方がいい事ってたくさんあるのよ。」


と煙に巻いて一向に教えて貰えないのが、やはりこの城の恐ろしさだとレイチェルはこっそり思う。


//////////////////////



「テオは先に帰ってきて、王都までメリルを送って行った。。さて、聞かせてもらおうか?次期魔法伯。」


帰還したゾイドが、身を清めてまず挨拶に向かったのは、現魔法伯。暗い執務室で光も灯さずに、男は一人酒を飲んでいた。


黒光りするその大きな机に、金色の杯が映える。ゾイドの挨拶を受けると、ウィルヘルムは、ギロリとその瞳に冷たい色を纏わせた。そして、短く問いただした。


「。。テオに何があった。」


メリルの背に乗って竜人の国から帰還したテオは、別人の様に、付き物が落ちたかのように変わったのだ。


長年彼を悩ませていた言葉の詰まりは綺麗に消え失せ、うっかりと、成人女性である侍女が側に近づいても、もう奇声をあげたりせず、動じない。メガネをかけて、長い前髪でその顔を隠していたのも、もうなかったかのように、堂々とその美しい顔を晒す。


その上、誰に強制されることなく、淡々とビオレッタ嬢のデビュタントのエスコートの為、宝石を手配したり、花を贈ったりと、一般的な貴公子のごとくの振る舞いなのだ。

いや、一度腹を括ると非常に有能なこの男。

すぐに王都の流行を把握し、デビュタントのエスコートに相応しい、一流のマナーを一夜で学習し、そもそもの美貌もあって、今やどこに出しても恥ずかしくない、一流の貴公子の出来上がりだ。


そして、あれだけの執着であった、竜の研究。

テオは、帰還後すぐに、竜の生態研究ではなく、竜の保護に研究専攻を変更して、竜の医師となる事の許可をウィルヘルムに願い出た。


言い伝えによると、始祖の母は、怪我を負った際の傷が元で、生涯ダンスができない脚となったと言う。

おそらくは、アストリア王とリンジーの恋が始まった、怪我。

負傷した竜の治療方法は、未だに学術としては確立していない。テオの、竜の生態についての知識と経験があれば、必ずや、竜医学は確立されるだろう。


「。。。愛を知ったのですよ、彼の国で。」


言葉の少ない赤い目の男は、一言だけそう言った。


二人の帰還後、この息子の愛してやまない地味な娘の耳に、キラキラ光る澄んだ緑の石が飾られていたことに、ウィルヘルムは気がついていた。

澄んだ美しい光を放つ石。


その色にウィルヘルムは覚えがあった。

テオは一度瞳の色が変わっている。

生まれて初めて大魔術を展開した時に、テオの魔力が爆発的に膨張して今の金色となった。

それまでは、春の魔女の森のように、優しい、明るい緑の澄んだ瞳を持っていた。

まるで、あの石のように。


テオの子供時代が終わったのだな。

ウィルヘルムは、なぜか、そう察した。

あの娘に、初めて恋したあの娘に、子供時代の、最後の心のカケラを受け取ってもらって。


ーなんと運の良い息子だ。ー


「そうか。」


言葉の少ない男の父は、それだけ言った。男たちの間で、言葉はあまり意味をなさない。二人の男は、金の杯に酒を注ぐ。そしてどちらかともなく、杯をあげた。


「テオに。」


「。。テオに。」



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