238
「。。随分早かったね、メリル。君はまだ子供なのに、そんな全速力で飛んでは、疲れてしまうよ。」
ギーは、黄金の門の前で、メリルの到着を知っていたのか、待っていたらしい。
メリルを前に、穏やかに微笑む。
レイチェルが開いた、魔力の回路にゾイドに連れてこられたメリルは、それが一体何かすぐに分かったらしい。
するりと回路に体を預けると、竜の魔力で、一気に回路を駆け上がったのだ。
「メリル、こら、私を殺す気か、少し手加減しろ!」
ゾイドでなければ、確実に振り落とされるか、もしくは気を失うかしていただろうが、そこは国内最高峰の魔術師は伊達ではない。
軍事用の強い魔術を幾重にも巡らして、メリルにしがみつき、ゾイドの魔力が尽きるその寸前に、竜の国の、その前の黄金の門まで、メリルとゾイドは無事たどり着いていたのだ。
ギーは、流石に疲れてはいるが、大変嬉しそうにギーの周りを周回するメリルに、どこからか光の粒を取り出して、メリルに与えた。メリルは、子供らしく、もぐもぐと喰む。
そして、メリルの背からようやく降りた、ゾイドに向き直り、
目を細めた。
「ようこそ、ゾイド。竜人の国へ。」
何故私の名を、と聞こうとゾイドが一歩、ギーの方向に足を踏み出そうとすると、
「うわ!!!」
足元の白い大地が、ずぶりと抜けてしまった。
ゾイドはメリルの鱗を掴んで、間一髪落ちなかったが、落ちていれば、足の下は、どの空間に放り出されるか予想もつかない、転移の回路だ。
ギーは、そんなゾイドに、
「残念なことに君はこの国に、招待されていないようだけれど、この国に入るには、招待が必要なのだよ。」
そう微笑みながら言った。
そして、ゾイドを長い時間、言葉もなくじっと見据えると、
「。。ただ、招待もなく、ここまで強引にやってくるとは。強い、強い思いを抱いているね。。。気に入ったよ、君をここに連れて来たのは、君の強い思いだね。」
足に届きそうなギーの長い銀の髪が、風に揺れた。
何かギーが魔術を展開したらしい。ゾイドの足元は、一転して固い、白い大地となる。
ゾイドは、ギーほどの美しい生き物を目にした事は一度もない。
美貌に心を一瞬でも奪われると言った経験は、ゾイドには初めてだ。
すぐに、ギーが何者か、頭を巡らせる。
(なるほど、このお方は竜人か。人外の美貌、高い魔力、そして。赤い目。伝説通りだが、これほどとは。。)
「。。竜の国のお人よ。招待もなく、ここまで足を運んだ不調法をお許しください。私は、ここに来ている私の身内を迎えに参りました。」
ゾイドは、ギーの美貌に怯まずに、メリルの鱗を手放すと、ギーの前に、堂々と歩み出る。
ギーは、緩やかに笑みを浮かべると、
「。。テオと、レイチェルを迎えに来たんだね。二人は心配いらないよ。実に幸せそうに、悠久の時を共に過ごしている。」
ギーがそう言った瞬間に、ゾイドの顔色が変わる。
低い、強い声で、それでもギーに礼を尽くして、柔和な声で言った。
「竜人のお方。私はその二人を、連れ戻しにまいりました。二人は、私にとって大切な、大切な者。」
ゾイドの周囲の空気が、渦を作り、ゾイドの頭上に、黒い暗雲が起こる。
ギーは、その微笑みをそのままに、だが今度は、固い声で言った。
「。。そうか。。君がそれほど強く望むなら、この国に、足を踏み入れる事は、許して上げようか。ゆっくり、二人と話をすると良いよ。」
その言葉を聞いた瞬間、一瞬にして、ゾイドの頭上の暗雲は消え去り、今度は柔らかい光が満ちる。
ギーは、少し心配そうにつづけた。
「ここはね、テオやレイチェルのような心の持ち主にとっては、永遠の楽園だ。けれども君にとっては、下界の人の言う、地獄に近い所だと思うよ。何せここでは、考えの全てが言葉になり、思いの全てが、物質化する。」
ギーは、じっとゾイドを見つめると、淡々と続ける。
「君の心は綺麗なものばかりではないからね。君は、君の心のために苦しむことになるだろう。」
そう、言い放つと、ゾイドの頬に一瞬ギーのその長い指が触れて、何かの魔術が施されたらしい。指がゾイドに触れた直後から、ゾイドの体は光の粒で包まれ、なんとも言えない浮遊感がゾイドを包んだ。
ギーはゾイドに施した魔術の出来栄えに満足すると、もうゾイドに構う気はないらしい。
ゾイドに背を向けると、今度はギーはメリルに向かって話しかける。
「さあ、メリルおいで。君は優秀な子竜だね。まだ子供で、それに下界生まれなのに、ここまで迷子にならずに飛んできて、立派なものだ。」
「母様に、会いに来たの」
ゾイドはぎょっとする。
頭に響くのは、子供の声。これは、実際の声ではない。心の声だ。
間違いない。メリルの思想が、聞こえているのだ。
「きっと君の母様は喜ぶよ。メリル、君は人の姿になれるかい?」
メリルはうなずくと、大きな光の渦となり、その渦が光の粒を、形作った。
眩しいその光から現れたのは、赤い目をして、白い髪をした、おかっぱ頭の、小さな男の子だった。
「メリル。お前雄だったのか。。。」
ゾイドは、驚きのあまりに、その場から一歩も動けない。
竜人とは、竜の人と化したもの。
そして、下界生まれの高位の竜であるメリルも、竜人となる事ができたとは。
ゾイドの頭の中で、グルグルと、テオの集めた、竜人に関する様々な研究論文や古文書が巡る。高位の竜が人化したものが竜人であるとすれば、様々な疑問が、一気に解消する。
「ギー様、こいつのせいで母様は泣いてるの」
「母様はここにいるべきだと思う。」
その美しい唇を尖らせて、ゾイドの方を指差しながら、ギーにメリルは告げ口をする。
まだ幼児の姿をしているが、明らかに人ではない、美貌だ。
「それは、レイチェルが決める事だよ、彼女が何を願うか、そして願いを叶えてやるのが私たちの役目だ」
ニコニコとギーは、メリルの頭をポンポンと撫でてやる。
「母様は、とても心が綺麗だ」
まだ納得していないようなメリルは、口を尖らせながら、続ける。
「そうだね。君の産みの母の竜も、そう言っていた。」
「テオも心は綺麗だけれど、僕はあいつはあんまり好きじゃない。鬱陶しいんだ。」
「ははは、そうだね、テオは竜に対しては、愛情が暑苦しいほどだね。」
そして二人は、ゾイドの方をもう振り返ることもなく、和やかに会話をしながら、黄金の扉のその向こうに消えていった。
ゾイドは、一人でその後ろ姿を見守っていた。




