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「随分と、無欲ですのね。。。」
「私は強欲だから、愛しているお人には、身の程も弁えずに、もっと愛して欲しいと、望んでしまいます。。」
レイチェルは、悲しそうに笑うと、目を伏せた。
「。。あの方を愛すると言う事は、そう言う事だとわかっていたのに。」
レイチェルは、今日は、なぜだか、テオに聞いてもらいたいような気がしたのだ。
テオは、真っ赤になりながらも、繊細な自分の心の内を、レイチェルを信用して、余す事なく晒してくれる。
そして、何も求める事なく、ただ愛している、とそう言ってくれるから。
レイチェルは、誰にも見せたことのない、心の内を、テオになら見せてもいいような、そんな気持ちになったのだ。
レイチェルは、ポツリと呟いた。
「。。あの方、私の魔術が面白いんですって。それから、私の体質が珍しいとか。ご自分にはない能力を私が持っているものだから、私の身分も、それから地味な容姿も、あまり気になさらないで、こうやって大切にお手元に置いてくださるの。」
レイチェルは、大きなため息をついて、刺繍をやめて、遠くを見た。
永遠に続く花園。その向こうには大きな湖があるらしい。その湖に姿を映すと、魂の本来の姿が映ると言う。
レイチェルの独白を、静かに聞いていたテオは、レイチェルが言わんとしたことが、少しずつ、わかってきた。
言葉を発さないで、レイチェルの次の言葉を、ずっと、待っている。
「今は、私が物珍しくて、あんなに大切にしてくださいます。ここにいる竜人のような、私より優れた、珍しい魔術を扱えて、私より変わった体質の美しい姫君に出逢われたら、ゾイド様は、きっと私の事を思う心なんて、色あせてしまうのですのよ。そう分かっていても、恐れ多くもあの方をお慕いする心を止めることができずに、今も、あの方の隣に居たいと、望んでしまうのです。ゾイド様を愛すれば愛するほど、私が傷つく事は、分かっているのに。」
そして、涙がいっぱいに溜まったその大きな瞳で、テオの目を真っ直ぐに見つめて、聞いた。
「テオ様、貴方はどうして私を愛していると、そう思われるの?」
テオは、思い出していた。
この心の優しい娘の報告書だ。地味な子爵の次女として、それでも華やかな姉と比べられ続けて、変わり者と裏で言われ、館でずっと、魔術書と共に引きこもっていたと言う。
姉によく似ていたと言う母も早くに亡くした、内気で孤独な娘は、いきなりデビュタントの日に、ほぼ無理やり、ゾイドの婚約者にされた。
そこにはレイチェルの意志はなかったはずだ。それでも困惑しながらも、心の優しいこの娘は、少しずつ、少しずつゾイドに心を許して、愛を育んでいったらしい。
「。。ああ、そうか、君を不安にするのは、勝手な兄上が、珍しい魔道具を愛するようにしか、君を愛していないと、感じている所だろう?」
テオは、ゾイドの事はよく知っている。
ゾイドは、お気に入りの魔道具を使ってみるように、レイチェルを振り回し、珍しい魔道具を独り占めするかのように、レイチェルを独占する。
いつか、遠い昔に、さる魔道士が使っていたと言う、貴重な魔法の杖をゾイドは大切にしていた時期がある。寝る時さえ、肌身離さずにして、磨きをかけてていたが、大掛かりな魔術の発動実験の時に使用して、失敗して、灰にした。
「では私の愛は、君を不安にするかい?」
ゆらりと、テオの瞳が揺れた。
「。。そうね、テオ様のお心は、触れていても不安にならないわ。むしろ安心して、心地いいわ。」
テオは、ゆっくりと微笑む。
「私ももちろん、君の魔術は本当に興味深いと思うよ。君が石の乙女だと、父から聞いたときは、本当に驚いたし。」
レイチェルの手元の、大掛かりな刺繍を少し触れて、テオは呟く。
「だがね、レイチェル。私が君を愛しているのは、君の心が綺麗だからだ。きれいな魂と、優しい心が好きだからだ。」
「テオ様。。」
「君に魔術が使えようと、君が街の普通の娘であろうと、君の心に触れる事ができたなら、私はきっと、君を愛したよ。君は内面が水晶のようにきれいだ。私はそのままの貴方が好きなんだ。そして、そんな美しい貴方の心に傷がつくのが、私は心から嫌なんだ。」
それから、これはとても大切な事だと私は思うのだけれど、
そう前置きを置いて、テオは核心に迫る。
「兄上の前では、強がっていないと、我慢しないと、努力をしないと、愛されないと、愛される価値がないと、君は思ってやしないか?私は、男女の事はあまりわかっていないけれど、愛とは、そんな事ではないと、その位は私にだってわかる。私はそんな事は何も求めない。君にただ、側にいて、笑っていて欲しいだけだ。」
「君の刺繍は大好きだけれど、君が、それが自分の存在価値だと思っているのなら、いっそその素晴らしい刺繍も、やめて欲しい。君が、そのままの君が素晴らしいと、気が付いてくれるその日まで。」
レイチェルは、信じられないものをみる目で、テオを見た。
おそらく、レイチェルが気づかないでいた、心の奥の本当の渇望を、希望を、テオはまさに、言葉にしてレイチェルに見せたのだ。
何もない、私を、愛してくれる。例え魔術が出来なくても、社交が出来なくても、刺繍さえ、できなくても。そんな事ではなく、ただ私の、ただの幸せを願ってくれる。
レイチェルの瞳から、次々に暖かい涙がこぼれ落ちてきた。
テオは、その繊細な心で、決して誰にも見せることがなかった、レイチェルの繊細な心の痛みを、感じとってくれた。そして、その心の底の、本当の願いを、テオは叶えてくれると、言う。
ここが下界なら、きっとそんなテオの言葉を信じることができなかったはずだ。だが、ここは竜人の国。心の声が、声になる国だ。テオの言葉に、何一つ、嘘偽りはないのだ。
「。。テオ様、私、子供の頃からずっと怖かったし、悲しかったの。」
一人ぼっちだった子ども時代。
何をしても、上手にできなかった。お姉様みたいに、美しければ、社交が上手であれば、
「愛されたからしら。。」
レイチェルの心の声が、強い渦になって、大きな風を起こした。
レイチェルの心の奥で、唸りをあげていた、強い思いだ。
テオは、その大きな渦に、悲しそうな顔をした。レイチェルの、心の満たされなかった思いの大きさに、隠されていたその大きな悲しみに、ようやく触れることができたのだ。
もう、二度とこんな大きな悲しみを、心に隠しておかせはしない。
「レイチェル、私に、全部教えてくれないか。君が嬉しかった事、悲しかった事、子供の頃から、覚えているだけ、全部だ。私にだけは、全て教えて欲しい。」
テオは、優しく微笑むと、そっとレイチェルを抱きしめた。色や欲を含まない、ただ慈しむだけの、固い抱擁だ。
レイチェルは、ボタボタと、大きな瞳から涙をこぼす。
「私の心は、安全だよ、レイチェル。私は君を傷つけない。何せ時間はたくさんあるんだ。全部教えてくれないか。君の事、嬉かった事も、悲しかった事も、全部だ。」
「ふ。。ヒック、ヒック、テオ様。。テオ様。。。」
レイチェルは、テオの肩にしがみつく。溢れる涙は、もう止める必要もないものだ。
「。。愛している。レイチェル、君を愛している。」




