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テオは、ガクリ、と膝から倒れ込んで、そして、ボロボロと両目から、真っ直ぐ滝のような涙を流した。
「レイチェル、ここがチ・ブラ・マテソだ。苦しみなき竜人の国。私を、ここに、連れてきてくれて、ありがとう。」
声は震え、正直な涙は、真っ直ぐテオの頬を伝う。
テオの、人生をかけた研究が、実を結んだ瞬間だ。
子供の頃に書庫から見つけた、汚い、かび臭い絵物語。兄と忍び込んだ宝物殿で見つけた、美しい刺繍。始祖の伝説。北の大国の竜。竜人。ああ。
ギーは、うずくまったままのテオの肩をそっと抱き起こして、そして、鈴を転がすような声で、テオに言った。
「なかなか発動しなかったんだね。そうか。あれの鍵はね、祈りだったんだよ。」
ギーは、微笑んだ。
「あの布に閉じ込められていた魔術は、昔下界に降りた自分の娘が、いつか竜人の国に帰りたくなったときに、帰ってこられるようにとの祈りを込めた、母の祈りの魔術が施されてあったんだよ。レイチェルは刺し手の思いをしっかりと感じて、再現し、そしてとても大切な事だけれど、君の為に、祈ったんだ。だから発動したんだよ。」
テオは、ギーの話を聞き、そして、息を飲むと、今度は涙を流しながら、狂ったように笑い出した。
「そうか、祈り、か。。リンデンバーグ家の研究者がどれだけ研究しても、発動はできないわけだ。何せ身勝手な私たちは、誰かの為に、祈ったことなど、ないような、ろくでもない人間ばかりだからな。。。」
そして、喜びとも悲しみともわかりかねる、感情の爆発で、テオは慟哭した。
「テオ様! しっかりなさって、テオ様ったら!」
おろおろとテオの涙を拭いてやるレイチェルに、ギーは向き直って、そして、微笑むと、
「さあ、君達を歓迎しよう。何せこの階層に、客人は珍しい。どうかもてなしをさせてくれないか。」
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ギーは、雲を一つかみ掴むと、何かの魔術を発令して、光り輝く、大きな大きな扉を出現させた。
ギーが手を当てると、扉は左右に開き、手招いた。
テオは、しっかりとレイチェルの手を握りながら、喜び勇んで扉をわたる。
レイチェルは少し躊躇したが、テオに続いた。
「わあ、なんて美しい。。!!!」
一瞬の風が吹いたと思うと、そこには金銀、宝石でできたみるも艶やかな、建物達が、静かに雲の上に鎮座する、荘厳な街だった。
行き交う人々は、皆ギーと同じように、白い、ゆったりとした服を纏い、皆銀の長い髪を思い思いにゆいあげている。
空には何匹もの竜が行き交い、白い静寂の世界は、静かながらも、緩やかなさざめきに満ちていた。
「すごいぞ、レイチェル、伝説通りだ。竜人の住う国は、そこは一切の汚れがなく、光り輝く町並みだという!!」
テオは興奮して、今にも躍り出しそうだ。
赤い宝石のように変化したテオの瞳は、レイチェルが残してきた大切な人を思わせる。
レイチェルは、ふと、寂しくなってしまう。
ギーは、そんな二人を微笑みながら見つめて、一つの大きな金の扉を開けた。
中は白い、永遠に続くような宮殿のような作りになっており、そこだけが赤い廊下をわたると、廊下の先には美しい花々が生茂る、四阿がいつの間にか出現した。
フワフワと、どこからかお茶のセットが三人の前まで風に乗ってやってきて、レイチェルの目の前で、注がれた。
(そういえば、この宮殿には誰もいないのに、こんなに綺麗なまま。。)
レイチェルが戸惑いながらも、おずおずとその芳しい香りに争うことができず、そっと茶器に口をつけると、ねっとりとした、この世の物ではないような、極上の甘味がレイチェルの喉を通った。
天の甘味のような、くらむように美味なお茶で喉を潤して、ようやく落ち着きを取り戻したテオは、ギーにきちんと向き直ると、もつれたその銀の髪をかきあげて、目の前の、天人のごとく美しいひとに、ようやくかすれた言葉をかける。
「。。教えてください、ギー。」
ギーは、優雅にお茶を楽しみながら、ああ、と気が付いた様子で、
「ああ、そうだね、君たちはまだ不浄の場所から来たばかりで、まだわからない事が多いね。なにが聞きたい?君は散々この国や、私たちについては調べてきただろう?それこそ恋焦がれるほどにね。」
そう微笑した。
テオが何かを口にしようかと言葉を紡ごうとしたとき、もうギーには伝わったのだろう。ギーは微笑むと、
「ああ、そうだよ、テオ。竜人の正体は、竜だよ。この階層に来ることができる竜は、人の姿をとることができる。」
そういうと、ふわりと一瞬で、白い竜の成体の姿に変わり、そしてまた、人の姿に戻り、ティーカップを手にした。
(なんて。。なんて美しい姿なの、あれは、まるでメリルの成長した姿だわ。。)
レイチェルは、茫然と一連のギーの姿を凝視していた。
「リンジーは、下界に遊びに行った時に、怪我をしてしまい、ここまで飛べなくなっていたんだよ。その時にリンジーを助けてくれた、時のアストリア王に恋をしたとか。そして、リンジーはそのまま人の姿のままで下界で暮らした。その命が尽きるまで。。。あれは、気性の激しい竜だったからね。そして恋人との間に子をなして、今、時を超えて子孫のテオ、君がいる。」
「リンジー、というのですか、我らの始祖は。」
「火のように激しい心を持つ、美しい娘だったよ。悠久の時を経て、あの娘の子孫が訪ねてくれるとはね。。長く生きることも、悪い事ばかりではない。」




