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もう魔力が発動してから、何刻も時が過ぎたろうか。
テオの胸の中は、とても、心地が良かった。
テオは長い時間の間、ずっと、大切な宝物を扱うかのごとく、恐る恐るレイチェルをその胸の中で、危険から守っていてくれた。
(女性が苦手だとおっしゃるけれど、本当はこんなに紳士なお方だったのね。。)
確かに、物凄い問題児で、大変な変人ではあるけれど、メガネの奥はこんな美しいかんばせを隠しておられるし、少しこの妙な振る舞いにだけ慣れれば、とても優しい男だ。
「テオ様、私をずっと抱えててお疲れになりません?」
レイチェルが、長い二人の間での沈黙の後、おずおずと話しかける。
「。。いや、君は少しでも手を離したら、どこかに飛んでいってしまいそうに軽いのが怖いけれど、私はちっとも疲れてはいないよ。こんな時に、君を退屈させないような、楽しい話題を持っていたら良かったのだけれども、残念ながら私は、竜の事しか知らない朴念仁で、君のような貴婦人と話せるような男ではないんだ。。」
気まずそうに、そして本当に残念そうに、ブツブツと呟きながら、テオは赤面して頭をかいた。
レイチェルは、思わず笑ってしまう。
「。。テオ様ったら、私を貴婦人扱いなさる奇特な方なんて、テオ様以外おいでではないですわ。私も、貴公子様とお話するような、流行りの芝居の話なんて、知らなくってよ。」
レイチェルは、テオのような不器用な男が、なんとか貴婦人としてレイチェルに、教科書通りに、失礼のないように誠実に向き合っている様子が、おかしくて、それから愛おしくてならない。
テオは、貴族社会で生きてゆくには、あまりに純朴な心を持っているのだ。
「ねえ、でしたら、到着まで、テオ様、私に竜の話をしてくださいませ、私、竜の母なんて呼ばれていますけれど、竜の事はまだ何も知らないのですのよ。」
貴婦人を喜ばせるような話題を持っていない事を恥じている様子のテオは、レイチェルが竜の事を質問してくれて、とても嬉しい様子だ。
ぱっと子供のような可愛い笑顔を浮かべると、つらつらと、話を始める。
「レイチェル、知ってるか、竜はな、一夫一婦制で、、」
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息と息が触れ合うほど近い距離で、やはり距離が近いのが恥ずかしいのか、時々テオは思い出したかのように顔を赤くしながらも、レイチェルとテオは、微笑みながら、語り合っていた。
それはテオにとって、時間を忘れるほど、楽しい時間だった。
心が満ちるまで、テオは愛する竜について語り尽くし、レイチェルは、興味深げに耳を傾けながらも、数学的な話になると、すぐに、「そのあたりは興味がなくってよ」と、正直に告げるのだ。
貴婦人としてはこのような振る舞いは失格中の失格だが、テオは、レイチェルの顔色を伺いながら話をしなくて良いので、とても気が楽だ。
テオはレイチェルが数字関連に興味がなくても、何も問題はない。
竜については語ることはたくさんあるのだ。
そして、そもそもレイチェルは魔術の深い知識がある。テオの話が序盤から理解できる貴婦人は、テオの記憶に残る限りは初めてだ。
ほとんど何も知らない、と言っていた、竜の話を、レイチェルが目を輝かせながら聞いてくれた事、好き勝手に話の腰を折って、色々と心の赴くままに、テオに質問をしてくれる所、興味がない話は、興味がない、と言ってくれるレイチェルが、テオはとても嬉しかったのだ。
テオは、とても純粋な男だ。
純粋な心は、傷つきやすい。テオの妙な行動は、純粋な心を守る為の、テオなりの方法なのだとしたら。
テオは、レイチェルの前では、「変わり者」「うまく言葉が発せない」「竜のことばかり」「美貌の」「ゾイドの弟」、「魔法伯家の次男」。
テオを表現する、全ての形容詞がボロボロと、テオから剥がれていくのを感じていた。
レイチェルは、その地味な茶色い瞳で、真っ直ぐ、ただの「テオ」を見ていた。そして感じていた。そして、テオを、一人の人として、真摯に向き合ってくれた。
テオは、レイチェルの前では自由だ。レイチェルは、テオを決して傷つけない。どんなテオでも、鬱陶しくても、決して否定はしない。鬱陶しがりながら、そのまま受け止めてくれる。
レイチェルは、テオの心の機微がとても、とてもよくわかる。
それは、おそらく二人が似たもの同士だからだろう。
レイチェルだって、ゾイドに捕まるまでは、貴族社会では残念令嬢と呼ばれて、領地で引きこもる予定だったのだ。
一頻り話が落ち着いたところで、ぽつりと、レイチェルは呟いた。
「生きにくいですわね、私達。」
テオも、完全に同意する。
「全くだ。この世にいる人間がみんな、レイチェルならいいのに。」
テオの、心からの声だ。
「心のままに生きることが、許される世の中になるとよろしいわね。」
少し悲しそうな顔をしてレイチェルは俯いた。
レイチェルは、末端の貴族にあたる子爵家の、変わり者の次女だ。
貴族社会において、レイチェルの価値は、ほぼない。兄との婚約の際の王都の大騒ぎを、テオも耳にしていた。レイチェルをめぐる噂は、テオの顔を曇らせるに足りる、上品とは言い難いものだった。
こんな素晴らしい女性なのに。
こんな素晴らしい技術と、知識を持っているのに。
そして、こんなに美しい心で、私の心を温めてくれるのに。
テオは、思わずこんな言葉が口をついていた。
「私は、心のままのレイチェルが、大好きだ。」




