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テオは、女が嫌いだ。
女は、何を考えているかわからない。
いつもすまして、くだらないドレスだの宝石だのの話ばかりしている。少しでも良い嫁ぎ先の事ばかり望み、お茶会だのダンスなどで日がな1日暮らしている。魔術の話も、竜の話も、政治の話も通じない。
テオが優雅に振る舞っていれば、何もテオの事を知らなくても、その外見と家の名前だけで、大袈裟な、恋文をうんざりするほど送ってくる。
だと言うのに、テオが一旦口を開くと、今度はつまらなそうな顔を隠そうとしなかったり、言葉がうまく発することができないと、ばかにしたり憐んだり。
あいつらとは、決して会話ができない。
女とは、美しいだけの、面倒極まりない、つまらん生き物だ。
基本的にテオと基本的には同じ頭と顔の作りであるはずの兄は、それでも女の美しさを愛しているらしく、次々に、それは美しい女達の間を渡り歩いていた。テオも美しい女は好きだが、女の美しさを愛でるより、女の面倒さへの嫌悪が勝つ。
女とは、そう言う生き物だとテオは今まで信じていた。
だから、テオは、顎が外れるほど、目の前の光景が、信じられなかった。
(う、嘘だろう。。。と、嫁ぎ先なんか、ぜ、絶対に、見つからないぞ。。)
正確には、レイチェルの嫁ぎ先の予定は、外でもないここ、リンデンバーグ家なのだが、テオはそんなことも一瞬失念してしまうほどだったのだ。
レイチェルは、末端ではあるが、貴族の令嬢だ。
華奢で、体力がなく、小柄な娘だ。行儀作法はそれなりに躾けられているし、はにかみ屋で、控え目で、到って常識的な娘である事も、ここしばらくのレイチェルへのつけ回しでよく、知っている。
そのレイチェルがだ。
石造りの小さな部屋のその真ん中で、事もあろうか、貴公子二人の前で、スラックスを履いているとはいえ、ならず者の兵士のごとく、ガッツリ大股開いてあぐらをかいて、ブツブツ何かをいいながら、刺繍に没頭しているのだ。
時々、ワシワシと頭をかきむしり、複雑に編み込まれた美しい髪型は、とんでもない事になっている。
糸は散乱し、布は舞い、何もなかったはずのこの部屋は、まるで、工事現場のごとくの散らかり様。
途中で履いていた靴が邪魔になったらしく、部屋の端に投げられて、レイチェルは裸足だ。
寝っ転がったり、立ったり、血走った目を爛々とさせて、野獣のように刺繍に挑むその姿は、まるで格闘技に挑むがごとくだ。
(と、遠乗り用の格好を、兄上が、レ、レイチェルに用意した理由が、よ、よよよく、わかった。)
遠乗り用の動きやすいものとはいえ、それでも繊細なレースのびっしりと縫い付けられた袖を、レイチェルは邪魔そうに、グルグルと肩まで巻いて、適当な紐で止めてしまっている。せっかくの美しい貴婦人用のブラウスが、まるで農家の作業着の様態だ。
その隣で、ゾイドは溶けそうに甘い赤い瞳でレイチェルを見つめている。
時々ハサミを渡してやったり、冷たい床が寒くないようにゾイドのマントをひいてやったり、慣れた手つきで、甲斐甲斐しく世話を焼いているのだ。
「あ、兄上、あれは、、」
テオはレイチェルの方を指差して、口をパクパクさせて、この般若の形相で刺繍に取り掛かるレイチェルの事を、ゾイドに説明を求めた。令嬢失格どころの騒ぎではない。こんな行儀悪い娘など、テオははじめてお目にかかる。
テオの知っている刺繍する貴族の女性は、セリーヌ夫人のように、サンルームに優雅な手芸道具を持ち込んで、お茶をしながらゆっくりと、美しい柄を紡いでゆくのが、テオの知っている唯一の姿だし、世間的に、常識的に、あるべき姿だ。
あんな人を殺しかねない壮絶な勢いの刺繍をする令嬢など、正直城に出ると聞いている幽霊に出食わした方が、まだ怖く無い。
「ゾクゾクするだろう、テオ。」
ゾイドは、テオの訴えを、曲解したのか、その陶器でできた人形のように美しいその顔に、薄らと妖しい微笑みを浮かべた。
「。。なんて素晴らしいんだ。。。この退屈な世界に、ゾクゾクする。レイチェルが紡ぐ刺繍も、刺繍で作り出す魔術も、その世界にどっぷり、何も見えないほどに溺れているレイチェルも、全てだ。」
「ゾクゾク。。」
どちらかと言うと、テオは、見てはいけないものを見てしまったような衝撃と、恐怖でドキドキの真っ最中だ。
ゾイドは、片時もその目を、この野獣のように刺繍に挑む娘から、離さない。
感情が見えないこの男の瞳孔は大きく開き、極度の興奮にいることが、テオにはわかった。
「。。レイチェルは今、全身全霊で、刺繍と、魔術の世界に揺蕩っている。」
うっとりと、ゾイドは続ける。
「私は羨ましいんだよ、レイチェルが。私が焦がれて止まない、魔術の海に溺れて、一つになって、そしてその海の底から真珠のような、誰も知りえないような魔術を手にして、戻ってくる。」
テオは、噛み付くように刺繍と向き合うレイチェルの方に、視線を移した。
テオがレイチェルに依頼をしたのは、「竜の羽」の刺繍の再現だったはずだ。
あわよくば、発動が可能となる魔力の回路の突破口となればと、レイチェルに依頼したのだ。
だが、レイチェルが今刺しているのは、魔術の発動には何ら関係のない、薄い布の周辺を囲んでいただろう、今はもう朽ちて、そこに何があったかも定かではない、刺繍。
レイチェルが何かの目的と、信念を持って、1針ずつ格闘していることは、間違いがない。テオに見えない何かが、レイチェルを突き動かしている。
「私は、魔術を志す一介の魔道士として、狂わしいほど、レイチェルに嫉妬しているんだよ。」
「く、狂わしいほど、嫉妬、ですか。」
テオには、まださっぱりよくわからない。アストリア国で一番の魔術士とされた、テオが尊敬して止まないこのゾイドが、嫉妬。
「ほらみてみろ、テオ。あの刺繍に魔力が流れてきただろう。レイチェルは、竜紋には何一つ関係しない刺繍を、真っ先に仕上げたのがわかるか?。すぐに理由がわかるから、目を離さずに見ておけ。ああ、なんて突拍子もない。。なんて素晴らしい。。。ああ、私のレイチェル、また私を置いて行ってしまうのか。。」
ゾイドは恍惚とした表情を浮かべる。
レイチェルは、今度はあろうことか、口に針を咥え出す。はしたないとか、そう言う問題ではもうない。針を針山に休ませることすらもどかしいらしい。ゾイドは側にレイチェルの近づいて、糸の終わった針を受け取って、器用に糸を通して、またレイチェルに渡してやる。
ゾイドはまるで、主人に仕える侍女のごとく、幸せそうだ。
(あ、兄上が。。)
アストリア国で最も高貴な血につながる、リンデンバーグ家の長子が。アストリア国一の魔術士が。テオの尊敬して止まない、兄が、この地味な乙女に、仕えているのだ。
そうしているうちに、刺繍から発光が確認される。
魔力が走り出した証拠だ。
ほとんど酩酊状態だったレイチェルは、ここでようやくゾイドの顔を見て、一言だけ、しかし完全にゾイドに、命令口調で、こう言い放った。
「メリルの糸を、刺し始めます。結界の用意を。」




