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魔女の森を抜けると、深い青い空に、緑の美しい草原の丘、そして暗い色の湖の湖畔にそびえ立つのは、間違いない、白鳥城との名で知られる、リンデンバーグの古城だ。
白い外壁と、細い尖塔のその城は、レイチェルも絵本などで見たことがある。
リンデンバーグ城には、囚われのお姫様のお伽話が伝わっており、小さな女の子達に人気が高い。
「。。なんてきれい。。」
レイチェルは、その白鳥のごとく美しい城の姿に、すっかり心を奪われる。
ゾイドは懐かしそうに目を細めると、
「私の生まれ故郷です。ここから先は、領地です。馬車の速度を緩めても、魔女に捕まらないので、少し休憩にしましょう。」
そう言って、馬車を止めると、レイチェルとゾイド、そしてテオは久しぶりに馬車を降りた。
寒冷地に属するリンデンバーグ領は、王都からそう遠くはないのに、高度が高い場所にあるせいか、どことなく、空の色も湖の色も、深みがあり、自生する植物の種類も少し、違う。
もちろん引きこもり令嬢は、高地にきたことなど、生まれて初めてだ。
ひらひらと舞う蝶も、王都とは違うもの、道々に咲く花も違い、すっかりレイチェルは感心してしまう。
「この花は、リンデンバーグ。ここの地名の由来となった花です。貴女の髪に、この花は’なんと可愛らしく写るのでしょう。。。」
そう言って、この領地によく咲いている、紫の小さな花を摘んできて、レイチェルの髪に飾った。
ゾイドは感無量、と言わんがばかりだ。
「私も滅多に帰ってこないので、この花の美しい時期に帰ってこれてよかったです。」
今回の計画は、王家にも、ジーク殿下にも知らせていない。
一度だけ、テオの研究を手伝ったら、あとは真実は闇に葬り去る予定だ。
誰にも怪しまれずに、レイチェルとゾイド、そしてテオがリンデンバーグの城に一緒に帰るには、メリルの脱皮が始まるこの時期に、花さくリンデンバーグの地に結婚の挨拶で帰郷すると言う名目が、一番自然だった。
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「結婚の挨拶、か。ふん。。まあいいだろう。」
休暇の願いと、リンデンバーグ領までの遠出の許可をジークに申し出たゾイドに、ジークはその美しい空色の瞳をジロリとゾイドに向けた。
砂漠からの帰還後、まだ休暇を取らせていない。
ジークにしても、そろそろ休みを取らせてゆっくりさせてやろうか、とこの手紙を受け取るまでは。考えていたそんな頃合いだった。
ジークは、飴色の美しい机の中から、無造作に封筒を取り出して、ひらりと指先で踊らせた。
「ビオレッタ嬢から、こんな手紙がきた。お前たちは、一体何を企んでいる。」
そう言うと、一通の封筒を、側に控えていたローランドに手渡した。
柔らかい花の透かしの入った封筒に、柑橘の香りのするインク。
ローランドは声にして、中身を読む。
「殿下、ゾイド様の婚約者のレイチェル様のご尽力で、私の夢が叶いそうです。テオ様は、レイチェル様が研究に協力して、それが成功すれば、私をエスコートすると、約束してくださいました。この上は、私の夢を叶えて下さる聖女様が、テオ様の研究をうまく成功に導いてくださる事を、女神様にお祈りいたします。」
ゾイドは涼しい顔で、こう説明した。
「レイチェルがテオに、竜の母、としての生態観測の協力を約束したのですよ。テオに付き纏われる事を非常に嫌がっていましたからね。ある程度の生態が明らかになれば、テオもレイチェルを模倣して、メリルと意志の疎通ができる様になるかもしれない。」
嘘ではない。ただ、大きく端折っている部分があるだけだ。
その青い瞳に冷たいものを交えながら、ジークは続ける。
「。。。質問を変えよう。先日、ジジの公館から、強大な祝福の魔力が感知された。ジジがお前たちをそこまで祝福する謂れなど、ないはず。」
「ジジはビオレッタ嬢と仲がいいですからね。ビオレッタ嬢の夢を叶える為に、友人として一肌脱いだところで、何も問題はないかと。」
これも、ゾイドの言葉に嘘はない。
薄らと表情の読めないその顔に、微笑みらしきものを称えると、ゾイドは聞いた。
「殿下、何を疑っておいでで。」
そこで、ふとジークも考え込んでしまう。
謀反、であるなら、砂漠の大国のから帰国の際に、竜の一群を従えて、すでにアストリアを攻撃しているはずだ。
そもそもゾイドにも、レイチェルにも、名誉欲どころか金銭欲も無い。
ジークは、毛糸と編み針の他、神殿でのレイチェルの働き、そしてフォート・リーでの働きの褒賞については、聖地・ルーズベルト領の領主の地位を、ガートルードと結婚祝いに贈るつもりで、レイチェルに準備をしていた。
ガートルードとの婚姻が確立すれば約束されている、フォート・リーとアストリアの共同統治の地が、その両国の仲を取り持った謎の聖女に与えられるとなると、両国民の国民感情に優しく響く。
ジークも、さっさと足元を固めて、ガートルードと結ばれたいのだ。
砂漠からの帰還後、すぐに結婚の手続きができる様に神殿長を呼んでいた。婚姻が成立したら、祝いに、領地を与える旨を告げるはずだったのだ。
あのテオが、引っ掻き回さなければ。
「。。。。」
ルイスは、何も言わない。
明らかに、ジジとゾイドは、ジークから何かを隠している。
だが、その秘密に、ルイスの可愛いビオレッタの乙女の夢がかかっているとしたら、ルイスは、目の前の貴人の二人の言葉の応酬に、じっと貝の様に黙り込む。
やがて、ゾイドは、ほとんど脅迫の様な形で、王家の魔馬を借り受ける約束を取り付けて、執務室を後にする。レイチェルは乗り物に弱いのだ。
魔術師には似つかわない、広い背中が去っていくのをジークは目で追いながら、ローランドに質問を投げかけた。
「。。ローランド、どう思う。」
「テオの研究がらみであることは、間違い無いですが、殿下や王家に二心あるわけでないのであれば、好きにさせても良い様にも思えますが、あまりにも、不自然ですね。。」
ジークはぴくり、と眉をあげた。
「お前もそう思うか。発言を許す。言って見ろ。」
ローランドはその深い緑の目を、グッと床に落としてしばらく思慮した後、言葉を発した。
「。。あのテオが、夜会に若い令嬢をエスコートする条件を飲むほど、レイチェル嬢の生態観測に価値を見出していることですよ。何せ、テオは女が嫌いで、以前私がギムナジウムを案内する為連れてきた、理事のお嬢様に、食べていた玉子を投げつけて大問題になったほどです。」
ジークも、貝の様に押し黙っていたルイスも、ブ、と思わず吹き出しそうになったが、慌てて顔を作り直して、続きを促す。
「他にも、ギムナジウムの近くの、評判の安くて美味い定食屋も、若い女将がやっているから、テオだけは絶対に寄り付かなかったり、ああ、そういえば、女物のハンカチを持ってきていた級友に、女の持ち物など汚らわしいとか言って、頭からいきなり見事な浄化魔法をかぶせて、教室中が新築みたいになって騒ぎになったこともありました。」
ルイスは、もう我慢できない。
そのしなやかな長い足をバタつかせて、テーブルに突っ伏す。
「ギャハハはは!さすがゾイドの弟というか!!ビオレッタを追い払いまくる訳だ!!」
ちなみに、ビオレッタ嬢は、まだ随分子供の頃に、ルイスに逢いに王宮に遊びにきた際に迷子になり、子供には滅法優しいテオに助けてもらったらしい。
それが初恋とか。子供の成長は早いのである。
(その際にうっかりビオレッタから目を離して迷子にしたのは、他でもないこのルイスなので、あまりルイスはこの恋に関しては強いことが言えない。)
「そのテオが、一応は若い女性であるレイチェルにつきまとい、その代償にビオレッタ嬢をエスコート。。。」
ジークと、ローランドは、考え込む。ルイスはまだ一人で爆笑中だ。
ここにレイチェルがいたら、「一応ってどういうことですか!」と怒られてしまいそうではあるが、ここに当人はいない。
ジークは、いい事を思いついたらしい。
「。。ローランド、魔馬の用意を。面白くなってきそうだ。」




