205
リンデンバーグの古城は、北の大国の国境に程近い、魔女の森のその奥に、ある。
暗い森には魔女たちが太古から住まい、独特の文化を形成してきた。
この魔女の森のあるリンデンバーグの地は、寒冷ではあるが、農業と鉱業の発展により、非常に安定した領地経営である。
この豊かな土地をめぐって、歴史上何度も争いがあったと言うが、結局はうまく魔女達を御せるだけの魔力と魔法の知識を持つ、リンデンバーグ家以外には、手に負えなかったらしく、この土地は、建国の歴史と同じくらいの古くから、リンデンバーグ家の領地だ。つまり、それほどまでに魔女の扱いは難しいとも言えよう。
湖の湖畔にそびえ立つその白亜の城は、領民から、白鳥城と呼ばれているほど優美で、女性的な外見だが、その実、王都の王城よりも古いその城は、堅固な魔術が幾重にも、幾重にも数世代に渡って施されており、どんな大魔女の手でも、当主の許可なくは入城できない仕組みになっているとか。
王都からもそう遠くはない。洗練された王都の文化と、独特の魔術の文化が融合した文化がこの土地では見事に花開いており、この領地で生産される魔素を含んだ植物で織り込んだ洗練された魔物除けの外套などは、よく数十年に一度は王都で大きな流行になる。
。。。と言うのが、今レイチェルが受けた、リンデンバーグ領の、説明。
「田舎なので、城は広いですよ。1日では回りきれないので、何日かに分けて、ご案内しますね。」
上機嫌で領地の説明をするこの男は、その領地の次期当主。
二人と、そしてテオは、馬車の中にいる。
ゾイドは王都を出発してから、レイチェルの手を握って離さないどころか、ずっとレイチェルの顔を見つめ続けて話をするので、正直レイチェルは居心地が悪いほどだ。
実はちょっと、手元で刺繍をしたかったりするのだが、ずっとずっと幸せそうにレイチェルをその膝に抱え込んで、蜂蜜の様に甘い視線で見つめてくるゾイドに、言い出せないでいる。
ゾイドの美しいその赤い瞳は、レイチェルを見つめる時は、柳の様に細く、その薄い唇は、ずっと柔らかい弧を描いている。
象牙でできた彫刻の様な、美しい男。
(ゾイド様の、子供。。)
ウブなレイチェルは、いまだにジジに言われた、「ゾイドの子供の母となる」と言う言葉を噛み締めて、ほう、と一人で赤くなったり白くなったり、忙しい。
(こんな美しい方の子供を、私の身に、授かることが、あるかもしれないなんて。。)
ゾイドは王都を離れてから、ずっと上機嫌だ。可愛いレイチェルと、狭い空間で密着しながら、そして行先は自分の故郷。
砂漠にいた頃には考えられない。
「あ、兄上、わ、私は、まだ城を全部、ま、回った事がない。」
同じく上機嫌の、金の瞳の男は、その弟君。
結局、テオはビオレッタ嬢に、酷い手紙(とレイチェルとジジは思うのだが、男性陣はそう感じないらしい。)ながらも、エスコートを承諾する手紙を送ったのだ。
ただし、レイチェルが研究に協力をする事、そして研究が成功した暁には、と言う酷い条件付きであった。
手がつけられないほどテオに執着していたビオレッタは、そんな手紙であっても、とにかく承諾の答えをもらったことで、喜び勇んで関係各所にお礼の手紙を送りまくり。。
レイチェルは、ビオレッタの夢を叶える聖女様だと、さんざん貴族社会で喧伝してくれたとか。
「ははは、3つ目のダンジョンは手強いぞ。まだ入ったことはないだろう?今度潜り込んでみろ。いきなり地下で、城の下水道に繋がっていて、気がついたら魔の森の入り口についていた。あの城は仕掛けだらけだからな。」
「あ、兄上は、武器の部屋にあった、し、仕掛けはご存知か。」
「第三武器庫か? 第四なら落とし穴だが。」
「い、いえ、それが、ななななんと、第一武器庫の、ちょ、彫像の中に、自爆装置の跡が。あ、あったのですよ。」
「なるほど!あの髭の彫像か。乙女の彫像の中には、拷問の用具があったけれど、髭のあれは重いから、わざわざ中をみた事がなかったな!」
この麗しい兄弟は、和やかに「実家の城、あるある」を語らって楽しんでいるが、規模が大きすぎて、レイチェルには何もイメージができない。
レイチェルの実家は、小さいタウンハウスだ。レイチェルと、マーサの二人で掃除しても、半日もかからないほどでピカピカになる広さだ。
リンデンバーグ家は、国内でも最も古い大貴族だ。
商人に毛が生えたくらいの子爵家のレイチェルとは、そもそも住む世界が違う。
(な、何をこのお二人がおっしゃっているのか全く理解できないわ。。行ったことのない場所のある実家って、何よ。。)
レイチェルは、このとても乗り心地の良い馬車の中で、ヒュンヒュンと流れる風景を見ながら、これから向かう、ゾイドの故郷に思いを馳せていた。
ゾイドは自分の生まれ育った城に、愛しい人を連れて帰れると言う訳で、浮かれて6頭立ての魔馬仕立ての馬車を、恐れ多くも自身の砂漠の国でも功績を盾にして、王家から借り受けて(分捕って、とも言う)きたのだ。
おかげでレイチェルは、王家の紋章の入った、この上なく美しい、黒く光る外装で、中は白い革張り、柔らかな水色の絹の壁布の当てられ、金と真珠で天井を飾られている馬車に揺られて、実に快適に、ゾイドの故郷に渡る。
魔女の森に差し掛かっても、この馬車を邪魔する魔女はいない。
魔女とは、非常に、非常に面倒な生き物なのだ。
普段は温厚だが、問題が起こると非常にしつこく、ねちっこく記憶して、いやらしい方法で、確実に何世代もかけて、地味に復讐をしてくる。
もうすぐ脱皮の時期になるメリルには、しばらく会えないが、脱皮の期間はどちらにせよメリルは冬眠状態だ。
「いい子でね、メリル。しばらく留守にするけれど、ゾイド様のご家族に挨拶をしたら、すぐに帰ってくるからね。」
人語を理解するらしいメリルは、名残惜しそうに鼻を鳴らすと、レイチェルは、たっぷりとそのまだ柔らかい銀の立髪を分けてもらい、しばらくの別れを、惜しんだのだ。
「母は、とても穏やかな人なので、レイチェルが心配することは、何もないでしょう。ああ、リンデンバーグ領に、レイチェルを、連れて帰る日がくるとは、、」
本日何度目かになる、感嘆のため息は、この麗しい赤い目の男から。
このところ、ゾイドの深いエクボを見ることが多くなったな、と出会った日の人形の様な、ゾイドの表情のない顔を思い出す。
(こんな日が、くるなんてね。)
領地に帰ったら、まず古城からの湖の絶景をお見せしたい、マスがよく獲れるので、楽しみにしていて欲しい、それから、領地で生産している茶器をお見せしよう、それから、それから、と遠足前の子供の様に、ゾイドは上機嫌を隠せない。
(ゾイド様とテオ様のお母様か、、気に入っていただけると、良いのだけれど。。。)




