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テオが次に目を開けると、暗い、懐かしい、麝香の様なゾイドの香りのする、ベットの上だった。
(ああ、わ、私は、意識を、失っていたのか。)
ぼんやりと、意識が戻ってくる。ここは知っている。ゾイドの研究室付きの私室だ。
テオはベットから抜けると、サイドボードに置かれていたメガネを掛け直し、改めて周りを見回す。
最後にこの部屋に入ったのは、テオが北の大国に派遣される少し前だったか。テオが置いていった、北の大国の地図がそのまま壁に、少し曲がったまま張られてあった。テオの派遣されるツンドラ地帯を印した、赤い印もそのままだ。
相変わらず、飾りもなければ、何もない、ただ酒を飲んで寝るだけの、ゾイドの仮眠用の部屋。
だが、よく見るとこの生活感のない部屋のあちらこちらに、見覚えのない小さな品々が増えていた。
(の、飲み物の、温度を安定させる為、か。)
無造作に置かれていた、見た事のないコースターを手に取ってみる。
刺繍で面白い術式が施されてあった。小さな術式だが、魔術の組み合わせが絶妙に見事だ。刺繍も大変美しい。
テオも一つ欲しくなる様な、地味だが素晴らしい逸品だ。
他にも、外国製だろう、押し花の入った綺麗な飴が転がっていたり、ささやかながらもこの部屋に出入りする他者の存在を主張している。
建て付けの悪い扉をギギギ、と開けると、そ子は勝手知ったる、ゾイドの研究室。
古い大きな皮張りの椅子に体を任せて、執務中のゾイドが書類に向き合っていた。
「。。目が覚めたか。」
「あ、兄上。」
「今日は随分メリルに脅されたらしいな。これに懲りたら、勝手は慎む事だ。メリルはエリザベート王女の所属だ。万が一があれば、お前の大事になりかねない。」
ゾイドは書類から顔も上げずに、淡々とそう言った。
砂漠から帰還後の、事務処理が溜まっているらしく、あまり屋敷にも戻っていないと、ルードが言っていた。
メリルの小屋での出来事の事の次第は、聞いているだろうに、ゾイドは不思議なほどに落ち着き払っている。
竜の魔力の直接転用など、テオが実際に卒倒したほどの一大事件だ。ゾイドが何故こうも平静なのかの方が、テオは理解ができない。
「あああ、兄上、レ、レイチェルが、しし、しでかした、事を、」
「ああ、リウから聞いたよ。本当にあのお方は、いつでも私を驚かせてくれる。」
クック、と気怠けに、ゾイドはうっとりと、エクボを浮かべ、夢見る様に微笑んだ。
(兄上が、微笑んだ。。)
テオは尊敬して止まない、そして人形のように無表情な兄の美貌の顔に浮かんだエクボに驚きを隠せない。
(さささ最後に兄上のエクボを拝見したのは、ま、まだ私がギムナジウムに入る前の。子供の頃だ。。)
「ど、どう。。」
テオは上手く言葉を続けることができない。
プルプルと腕を震わせて、言葉が出てこないで、喉の奥からひん、ひん、と音にならない息が続く。
ゾイドは優しくテオの頭をクシャリ、と撫でてやると、真っ直ぐテオを見つめ、優しい目をした。
この非常に面倒な弟を、ずっと大切に慈しんできたのだろう。
「どうやってメリルから魔力を貰ったのか、か?レイチェルから直接聞いたら良い。大丈夫だ、私がそばに居るから。あのお方は虫も殺せないような心の優しいお方だ。お前を傷つけたりは決してしないよ。」
それに、そう言葉を区切ると、ゾイドはまた少し微笑んで、可笑しそうに付け足した。
「あのお方とお前は、よく似てるんだよ。とても怖がりなところや、とても素直な所がね。」




