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小さなお別れ会という名の大宴会は、朝まで続く。
篝火の向こうにいるのは、使節団のセス。
東宮の艶やかな侍女達に囲まれてすっかりご満悦だ。
可愛いお嫁さんが欲しかったこの男、砂漠に来てより、すっかり扇情的な砂漠の美女達との逢瀬にハマってしまい、どうやら結婚は遠のきそうだ。
別れを惜しむ美女達に、しっかり連絡先を渡していた。
ちなみに使節団の中で砂漠語が一番上達したのも、この、元さわやか青年、現色男。
彼の砂漠語に女性的なアクセントがついているのは、ご愛嬌といった所か。
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ユーセフの子供達も今日は特別に夜更かしだ。
父も、祖父も、そして侍女もレイチェルもいるこの非常に珍しい宴に、子供達は大はしゃぎだ。
それぞれ、可愛い手に手にお菓子を持って、レイチェルに捧げる。
レイチェルが捧げられたお菓子の鉢から、一つだけとって、あとは子供達の取り分になる。砂漠の客人をもてなす際の、可愛い風習だ。
レイチェルの為と、滅多に貰えないお菓子を作って貰った子供達は、大喜びで珍しいお菓子をレイチェルから受け取り、お菓子を手に手に、庭を走り回る。
ユーセフは、大陸語とアストリア語を子供達に学ばすこととした。
この子供らの誰かをアストリアに留学させるから、部屋を空けておけと笑う。
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砂漠のキャラバンに同行したユーセフの兵士に絡んでいるのは、ケマル・パシャこと、困ったレイチェルの夫、ゾイドだ。
砂漠で披露した敗れると知っている愛に挑んだ話が、この男の琴線に触れたらしく、色々と教えを乞いに、酒を片手に弟子入りに来たのだ。
砂漠のケマル・パシャも、愛に関しては大変不器用で、初心者。
愛に勇敢な男の先輩に、素直にただの若い男として、教えを乞う。
「お前は愛に敗れる事が恐ろしくないのか。私はレイチェルに我が愛を拒絶されることを思うだけで、命が潰えてしまうほど、恐ろしい。」
感情の乏しいその人形のような冷たい顔で、本当に素直な心で、ゾイドは呟く。
ダニエル、と言うこの一兵卒は、まだ愛とは何かを知ったばかりの、ゾイドというただの若い男に、こう諭した。
「ゾイド様、愛に敗れる事は、名誉です。愛に挑んだ勇者の証ですから。」
愛の前に、一兵卒もケマル・パシャもない。
この非常に愛に勇敢な男に、ゾイドは兄弟の酒を交わして、勝手に弟子入りを決めたとか。
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夜はゆっくりと更けてゆく。
ユーセフの妻の1人が、楽器を吟じ始めた。
広い砂漠の空に、リュートのような砂漠の音は、よく響く。
ユーセフの子供達がそれに合わせて歌を歌い出し、若い侍女が踊りを踊り、
いつの間にか皆、輪になって、歌い踊っていた。
その時だ。
ゆらり、とじっと宴会の様子を眺めていたダリウス1世が、その席を立って、輪の中心に歩み出た。
何事かと固唾を飲んで皆が見守る中、何と、ゆっくり歌を歌い出したのだ。
辺りは一瞬で静まり返り、楽器を吟じていたユーセフの妻は、真っ青になりながら、震える指で伴奏を続けた。
王が歌を歌うなど、それも人前でなど、前代未聞だ。
考えがわかりかね、宴会場は張り詰めた空気で満ちた。
ダリウスは辺りを気にすることもなく、低く、よくとおる声で、砂漠に古くから伝わる、子を思う母の歌を歌った。
この偉大な王は、一晩中、どのようにしてレイチェルに感謝を示したら良いのか、考えていたのだ。
地位も、名誉も、財産も欲しがるどころか、与えようとしたら不興を買ってしまった、この若い大恩人に。
(私は、1人の砂漠の民として、何ができるだろうか。。)
偉大な王、ダリウス一世はレイチェルに、歌を贈ることにした。
子供の頃、ダリウスは歌が大好きな少年だったのだ。
女々しいとあまり父からは良い顔をされなかったが、母はダリウスが歌うと、とても喜んでくれたのだった。
母のいるハーレムから王宮に住まいを移し、王冠を継ぐ為の教育が始まるころには、人前で歌う事は禁止された。
王冠を戴いてよりは、戦争につぐ戦争の日々を生き抜いてきた。
もう歌を歌う事は、忘れてしまっていた。
だが、今日、急に歌いたくなったのだ。
砂漠の聖女の、旅立ちを彩るために、レイチェルに歌を聞いて欲しくなったのだ。
王としてではなく、ダリウスの心に住む歌が好きだった砂漠の少年が、レイチェルに歌を聞かせてあげたいと、そう言ったのだ。
歌が終わると、レイチェルに向かって頭を垂れた。
「ありがとう、ダリウス様。とても素敵な歌声ね!最高の贈り物だったわ。」
レイチェルはパチパチと拍手をして、にっこりと、大きな笑顔でそう、ダリウスに言った。
レイチェルには伝わったのだ。
「またいつか遊びにきたら、また私に歌ってくださる?」
ダリウスは、遠い母の顔を思い出した。
ダリウスが歌うと、いつも母はそうやって、また歌って欲しいと言ってくれた。大切な何かが、心の中に戻ってきた気がする。
「おじいちゃま!次は私と歌って頂戴!」
「ずるいぞ!僕が先だ!」
「おじいちゃま、アストリアの歌を教えてあげるわ!!」
気がつくと、ダリウスは、ユーセフの子供達に囲まれて、大変なことになっていた。皆口々に、一緒に歌を歌って欲しいという。
(今まで、孫とこんなに触れ合った事など、なかったな。)
ダリウスは、一人一人の顔をしっかりと確認するように見つめ、そして大きく笑うと、一番小さなアッサーラ姫を膝にだき、そして再び、孫達と歌を歌い始めたのだ。歌に合わせてまた曲は始まり、人々は踊り出し、夜は更けていく。
皆、思い思いの夜を楽しみ、レイチェルはぼんやりとした幸せな気持ちの中で、砂漠の最後の夜を楽しんでいた。




