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空には赤く妖しく、砂漠の七連星が輝いていた。
この所、竜の孵化があちこちで認められているらしい。七連星の方角は、いつも子竜の飛行訓練の様子が見る事ができた。
ほんの一月ほど前までは、あり得なかった日常が、帰ってきたのだ。
「この星を眺めるのももう今日が最後になるのですね。寂しい気がいたします。」
レイチェルは隣に立っている、人外の美貌を誇る己の夫に、そう呟いた。
「。。秘密基地の天井を、砂漠の星に変えようか。そうすれば、君は寂しくない。」
レイチェルはクスクスと笑って、
「あら、お義理父様との思い出なのでしょう?ゾイド様。それよりも、またガートランドまで連れてきてくださいな。」
「いつでも連れてきてあげたいけれど、ユーセフに君の可憐な姿を見せてやるのは不愉快だな。」
ゾイドはそう言い捨てると、子供のように爪をかんだ。この男、素直になると、子供のような行動をすることに最近レイチェルは気がついた。
(どうしようもないお方。。。)
「ゾイド様、私は貴方の妻ですのよ。」
レイチェルは呆れてそう言った。
「ああああ、つつつつ、妻だった、な。」
途端に砂漠の七連星のごとく顔を赤くするゾイドは、本当にどうしようもなく、そして可愛いとレイチェルは思うのだった。
今日は、アストリア使節団のお別れ会だ。ダリウス1世はともすれば、大量の金銀財宝やありとあらゆる栄誉、挙句の果てには、王都の一等地にレイチェルの銅像を建てようと画策して、あまりの鬱陶しさにレイチェルに叱られたばかりだ。
「私を怒らせたくないのでしたら、もう放って置いてくださいませ!」
ダリウスは、地位と権力と財産を使った方法でしか、この若い娘に感謝を伝える術を知らない。砂漠の大恩人に、何も報いる事ができずにいるこの男は、生まれて初めてだろう無力感を感じていた所だった。
そんなレイチェルは、ダリウスに小さな送別会をお願いした。
「初めての絨毯を織った時みたいに、みんなで楽しく過ごしたいのです。」
聖女の初めてのお願いだ。東館の侍女の居住区に、アストリア使節団と、東館の侍女達、ユーセフの妻子、そして王まで。皆揃って、小さな送別会が開かれた。
実は、王子のハーレムに男性が足を踏み入れることも、王の身分が侍女の居住区に足を踏み入れることも大いに砂漠の伝統に反する行為であるのだが、ダリウスはその権力の全てを盾とし、レイチェルの望む小さな送別会を開いた。
ユーセフは妻達に、パイを焼いて欲しいとねだったそうだ。
今日は20人の妻達による、パイ祭りでもある。
投票によって一番に選ばれたのは、7歳でユーセフに輿入れをした、第一妃殿下。
妃は輿入れをしたその日のごとく、頬を赤く染めて、夫からの栄誉に酔いしれた。
他の妻達も、みな、初めての夫からの願いに皆感涙に咽び行っていた。
愛する夫から、何かを頼まれる幸せだ。
ユーセフの後宮の妻達は、皆、夫を変えたレイチェルに非常に感謝している。
(みんな、もっと幸せになるわ。ヨルだって。奥さん達だって。)
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レイチェルの元に、ヤザーンが静かにやってきていた。
ヤザーンは、若い宦官を連れていた。
「一度で良いから、レイチェル様に感謝をお伝えしたく。」
聞けば、若い宦官は、肉体的な不快感、そして精神的な悲しみから、どうしても宦官として生きる事が、できずに日々自分の体を傷つけていたと言う。
この男も、ヤザーンと変わらない生い立ちの持ち主だ。元は、平定された砂漠の周辺国の王族の子弟。国が平定されたときはまだ成人前の子供だった。
そんな時に、ヤザーンから一枚の下穿きを受け取った。
その下穿きを履くと、股の間が痺れて、痛みが感じない。そして、なぜか気持ちが落ち着くのだった。
ヤザーンによると、宦官も存在しないような遠い異国の娘が、親切心で作った下穿きだと言う。
「これ、レイチェル様の刺繍ですよね。」
若い宦官は、涙ながらに下穿きの一部を指差して、そう訴えた。
「貴方の心に触れて、私はまた、生きようと思いました。」
宦官が示したのは、小さな縫い取り。おそらく王族クラスの教育を受けたものでなければ読み取ることはできなかったであろう、小さく、そして非常に難解な、アストリアの女神の祝福だ。
「私が貴方を愛するように、貴方は貴方を愛する。」




