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「。。ねえヤザーン様、これ、何?」
「。。。なんでも、意気投合したらしいですよ。」
レイチェルが、朝の挨拶に入っていった天幕での話。
一番大きな天幕の中に酔っ払ってすっ転がっているのは、砂漠の第一王子ユーセフと、アストリアの偉大な魔術士、ケマル ・パシャ事、レイチェルの婚約者、ゾイド・ド・リンデンバーグ次期魔法伯。
この大陸きっての貴人だ。
一晩中語り明かして、飲み明かしたらしい。
仲良くなって何よりだが、竜の子の心配はどうした。
「呆れたわ。ヨル、ゾイド様。」
きっと張り詰めた空気で深刻な顔で書類など読んでいるのかと思えば。
「レイチェル、君は本当に可愛いね、怒った顔も子猫みたいだ。」
酔っ払いのアストリア人は、プリプリ起こっているレイチェルに酒臭い口づけをすると、子供の様に膝枕をねだる。
「ゾイド、そりゃないだろう。私の目の前で当て付けるのか。」
酔っ払い砂漠の王子は絡み酒の様子。
「羨ましいだろう。ユーセフ、この天使を手に入れるのに私はその膝に縋って衆人環視の中で泣いた事もある。貴方も精々、精進することだ。」
二人とも完全に出来上がっている。
この二人、ただの年相応の青年に戻って、楽しそうだ。
門番の兵士の飲み会とさして変わらなくなったこの貴人達を、レイチェルは呆れて見ている。
「へえ!お前の身分でそれは、実に勇気があるな!そんな事を私がしてみろ、砂漠に雨が降る。」
雨ではなく、恐らく、間違いなく血の雨だ。
「クック。。それは丁度好都合ではないか、ユーセフ!灌漑に使っている魔力を節約できるから、その余力で21番目の妻を娶ればいい。」
「ゾイド、お前は本当に性格が捻くれてるな。予定ではレイチェルが21番目のはずだったんだよ、部屋まで準備しているのに。。くっそ腹が立ってきた!」
酔っ払いのグダには付き合う気はないが、二人とも幸せそうだ。
王子という立場は実に孤独だ。
そして、不世出の天才という立場も。
それぞれの高みの頂点に一人で立つ二人にしか分かり合えない事が、あるのだ。だが、レイチェルの目には、ただのどうしようもない二日酔いの若者が、二人。
「酔い覚ましを作って差し上げるから、二人ともしゃきっとなさい!こんなにたくさんの瓶をあけて。。もう情け無いわ。。お仕事どうなさるのよ。」
ガラガラと瓶を片付けて、二人の飲んだくれに渋い茶を作ってやりながら、レイチェルはぶつぶつヤザーンに文句を聞いてもらっている。
ヤザーンは出来の悪い妹の面倒な愚痴を聞いてやっている兄のごとく鬱陶しそうだが、ちゃんとアストリア語で相槌をうってやっている。
「。。ゾイド、レイチェルといると、何事も心配いらない気がするんだ。私が、ただのヨルでいても、何も恐ろしい事は、起こらない気がする。」
目でレイチェルを追うと、ユーセフはそう苦しそうに呟いた。
ユーセフは竜の卵の事を思うと、命が擦り切れる様な凄まじい不安が押し寄せてくるのだ。
一人で耐えていた思いを、孤高の砂漠のパシャは、共にしてくれた。
不安、弱音、悩み、そして悲しみ。ユーセフが、今まで吐き出す事の許されなかった、心の澱として積もっていた思いを、一つ一つ、一晩かけて、ゾイドは聞いてくれた。
人の話を聞く事がユーセフの、王子としての仕事だ。だが、一体何人が、ユーセフではない、ヨルの話を聞いてくれただろうか。
状況は何一つ変わらないが、心が軽くなる。
(おそらく、この関係を、友というのだろう。)
そして、この人生で初めてできた友は、非常に察しが良い。
「。。孵化の事を考えているのだな。」
「あと数日、他の事で必死に心をうめろ。時間しか解決できない事だ。私の可愛いレイチェルを少しだけ、共有してやる。貸しにしておいてやるから、あとで秘蔵の酒をもってこい。」
そういうと、ゾイドはレイチェルを手招きして、膝の上に載せると、優しい顔でレイチェルのその頬を愛おしそうに撫でて、お願いをした。
「レイチェル、ねえ、私の綺麗な恋人。私にあの可愛い歌を歌ってくれないか?神殿で歌っていた、下町の恋の歌だよ。」




