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「ね、ここの発動がおかしいんですのよ。裏返すとまた別の術式に変化して、二重の術式になるんですのよ。。」
「本当だ。しかも発動している魔力は、安定しているけど実に、ささやかな。何か目的を持っているとしか良いようの無い発動の仕方だが、レイチェルは何も知らないのか?」
「私の砂漠語は、3歳の子供くらいだって、アンリ先生がおっしゃっていたわ。複雑な事は何もできなくてよ。この祈祷文も、一番一般的なものだし。」
レイチェルと、ゾイドは、二人で仲良く絨毯に這いつくばって、発動している魔力を観察しているのだ。
二人とも、魔術に関しては、三度の飯より興味がある。
ゾイドはレイチェルの手を握ったままだし、レイチェルはゾイドの膝から降りないし、なんだかんだけ隙さえあれば、しょっちゅう口づけを交わつつある中でも、目だけは二人して絨毯に発動した魔力を追っている。この二人はやはり、似たもの同士なのだ。
。。。尚、ここはレイチェルの部屋でも、ゾイドに与えられた部屋でもない。
医務室だ。
ゾイドは、なんと入院中なのだ。
レイチェルとようやく会えた喜びと、赤い指輪を見た激昂と、それからとどめに、レイチェルから結婚を申し込まれた嬉しさで、ゾイドはレイチェルの部屋を間違えて爆発させてしまい、ついでに制御を失った自らの氷の魔力で、自らを氷漬けにしてしまったのだ。
大変迷惑なこの男、完全な解氷まで三日は、ともかく医師の管理下にいなくてはいけない。
アストリア王の側近達は、この誠にくだらない事件の後始末にあちこちに挨拶に回っているが、砂漠の偉大なケマル ・パシャが、討伐の際の魔力の使いすぎで、暴走してしまったという体にして話をつけているらしい。
実際は、若い男が自己を見失っただけなのだが。
「。。二つの術式が発動する様になっているんだな、これは興味深い。。」
レイチェルの髪を弄りながら、小さなその爪の一つ一つに口づけを落としながら、ゾイドは魔術士としてしっかり観測をしていた。
レイチェルが絨毯の術式に選んだのは、砂漠では一般的とされる祈祷文と、数学的に正確に記された砂漠の七連の星。なぜ絨毯に折り込むと、不思議な発動をするのかは全く謎なのだ。
扉を叩く音がする。
「入れ」
ゾイドは砂漠語で答えた。
扉を遠慮がちに開けたのは、アストリア使節団の、セスだった。
「セス!!」
「やあレイチェル嬢、元気そうで何よりだ。。。ところでなんで砂漠の服をきてるの?」
本当は、他にも、なんでゾイドの膝の上で、一緒に絨毯の上にいるのか、など色々突っ込みどころがあるのだが、とりあえず当たり障りのない所を聞いてみる。
この男、だいぶ本館の侍女達から人気があるらしく、事あるごとに薔薇の香りのする甘い菓子などを侍女達から届けられているそうな。
可愛いお嫁さんが欲しいとの事だが、扇情的な砂漠のお嫁さんであれば、おそらくすぐに見つかるだろう。
「コルセットなしでいいのだもの。セス、この国は本当に居心地がいいわね、帰るのが嫌になっちゃいそうよ!」
レイチェルはカラカラ笑うが、砂漠の国の女の扱いに関しては、あまり諸外国からは評判がよく無い。
引きこもり令嬢・レイチェルにとっては、素晴らしく居心地が良いのだが。
セスは苦笑いを浮かべると、近くの椅子に腰をおろして、今日の業務の報告を行う。
今日のセスの予定は挨拶、挨拶、会食、社交。レイチェルが東館に引きこもっている間に、使節団は各国の使節団と交流を重ね、親睦を深めてきたのだ。
「それで、ゾイド様、呪いの炎を撲滅した事で、異常気象は解決しそうですか?」
セスは真っ直ぐな目で、ゾイドに質問をする。
社交や挨拶の中で友好を深めてきた砂漠の民の、異常気象への憂いに、この若い男は心を痛めていたのだ。
「ああ、砂漠上部の大気の揺らぎで、七連星が竜の目には歪んだ角度に写っていたはずだ。それで七連星にむけて真っ直ぐ竜達が飛べなかったのだろう。異常気象は、竜の飛行による上空の空気の撹拌が、通常通りに行かなかったのが原因だ。今はその揺らぎの元となった炎を消したから、異常気象については解決しそうだ。だが、竜の子供の孵化については、あと数百年といったところか。」
「あら、ゾイド様どうして?」
レイチェルはゾイドの首に抱きつきながら、子供の様に首を傾げる。
ゾイドは、セスにむけていた表情の無い顔から一変して、これ以上ないほどの幸せそうな笑顔をレイチェルにむけて、そのつむじに口づけを落とす。
「竜の子供の孵化には、砂漠の神の起こす甘い、冷たい風が必要だそうだ。その風がふくと、竜の子がやっと成長するのだとか。」
ふーん、と話を聞いて、レイチェルは、何か考えに浸っていた。
ゾイドはそんなレイチェルを、今にも体全部が溶け出しそうに見つめている。
ゾイドは、全身全霊で、この地味な娘に恋をしているのだ。
まだ若いセスは、心からうらやましくなる。
(いつの日か、ゾイド様の様に頭の先から爪先まで、全部で恋ができる様な女の子に、会える日がきたらいいな。。)
また扉を叩く音がする。
「パシャにおかれましてはご機嫌麗しく。。」
今度は、ヤザーン。
ガラガラとお茶の支度の入ったカートを引っ張ってくる。
レイチェルはゾイドの膝から降りると、何枚かの下穿きの入った袋をヤザーンに手渡す。
ヤザーンはレイチェルに優しい目をむけて、深く頭を下げた。
仲間に渡す、呪いの刺繍入りの下穿きだ。皆、首を長くして、「聖女」からのめぐみを、待っているのだ。
レイチェルは、行儀悪くヤザーンが持ってきたお茶の支度に入っていた、お茶菓子を摘んで、ヤザーンに尋ねた。
「ねえヤザーン様、砂漠の神が吹かせる風って、実際はどんな風ですの?甘くて冷たいってゾイド様はおっしゃるのですけれど。」
ヤザーンはお茶を注ぎながら、淡々と答えた。
「そうですね、冷たい風の中に、少しだけ湿気を伴って、甘く感じるのです。それからその風そのものの中に少し振動する魔力が入っていて、竜など高等生物には少し刺激があるのですよ。竜以外にも、あの風を頼りにして繁殖行動を行う植物も大勢あるのです。」
レイチェルとゾイドは、二人して目を見合わせる。
ヤザーンのいうことに、大いに、覚えがあるのだ。
「ヤザーン様、ちょっとこちらに!!」
レイチェルはお茶を注ぐヤザーンの腕をガッツリとつかんで、ずんずんと、絨毯の前まで連れてきた。
「レイチェル様、ちょっと、ちょっと!」
そして、乱暴にもヤザーンを、絨毯の上に突き倒す。
「レイチェル!この馬鹿娘、何を考えている!」
レイチェルはヤザーンの上に馬乗りになって、物凄い勢いで肩を揺さぶって、ヤザーンに問い詰める。
「ねえ、ヤザーン様、感じる?ひょっとして、砂漠の風って、こんな感じではなくって??」




