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囂々と、炎は、意思を持った生き物の様に近づいてきた。
強い呪いの炎は、不愉快な、高いつんざく様な声を上げる。
ゾイドは眉をひそめる。
この呪いは、人々の恨みや憎しみ、悲しみを取り込んで、大きく強くなってきた。体にまとわりつく鬱陶しい悪霊の数々が、非常に不愉快だ。
「ディノ、いいか、術式が発動したら、何があっても、目を開けるな。耳をふさげ。体を丸くして、岩の合間に隠れていろ。」
それだけゾイドは言い放つと、呪文の詠唱に入った。
(。。この男はやはり。。人ではない。。)
ディノは、目の前の火の神の呪いよりも、目の前の人外に美しい男の方に、目が離せない。
口の中で何か、長い呪文を唱え始めた。体の中で、魔術が錬成されて、ゾイドの中から、渦となり古代語で描かれたその陣は、広がってゆく。
(古代魔術か。。それにしても、この規模。。)
規模は、おさまる事を知らない。
これほど巨大な陣、これほど禍々しい古代の魔術の使い手が、大陸に存在したとは。
(これが発動したら。。国が滅びるぞ。)
ディノは、岩の間に体を滑り込ませて、だがこの凶暴に美しい人外の男から、目を離すことができない。
大きな何かが起きようとしているのだ。地は揺らぎ、天は怒り、大気は何か張り詰めた物に満ちていた。
砂漠中の精霊という精霊が、この男を見守っているのだ。
長い、長い呪文の詠唱を終えたらしい。ゾイドは胸の前で複雑に組まれた手印をようやく解くと、魔力で発生した暴風の真ん中に立った。
。。ゾイドは、古代魔術の専門家である。
失われた古代魔術を復活させる事。古文書に書かれている歴史上の人物が、歴史を変えた時に使われた魔術の内容や、発動の術式を、研究する事が、この男の人生をかけた研究である。古代魔術は、その必要魔力の規模、出力の膨大さ、そしてその術者に及ぼす危険から、時代を経て滅びていった物ばかりだ。
(私の知りうる限り、最強で、最大の氷の魔術を。)
ゾイドが口を開いた。
ディノは、次の瞬間衝撃波で体が押しつぶされて、何も見ることも、感じることもできない。
ただ凄まじい、暴力的な力が空気に満ちている事だけを感じる。
(これが、神の怒りか!!!」)
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ヤザーンの言葉に、ユーセフは考えた。
(聖女は、自然発生の中でしか誕生しないと聞いた。。)
どの権威が与えた名前でも、どの神殿の神託でもない。気がついたら、人々がそう呼んでいる人物、それが、聖女なのだ。
聖女の正体は謎に包まれている。
歴史上に重要な場面で、ふらりと現れて、ふらりと消える。
奇跡と呼ばれる技を起こすが、権威に知られる頃にはもう風に様に消え去っている、そんな存在なのだ。
(まさか、な。)
ユーセフは一瞬よぎった考えを振り払って、レイチェルに近づいた。
そしての傷だらけのレイチェルの手を少し触ると、ふ、と笑って、そして、何かの詠唱をはじめた。
(。。レイチェルの心が欲しい。例えそれが、汚い手段であっても。)
「。。ユーセフ様!いけません、貴方ほどのお方がこの様な卑劣な真似を!そもそもこの娘は!パシャの!」
ヤザーンが、ユーセフのしようとしている事に気付いて、狂った様に叫ぶ。
ユーセフが詠唱しているのは強力な従属の魔術、それも、魅了の魔術だ。赤い石を媒体にして、レイチェルに直接展開しているのだ。
砂漠の秘宝を媒体とした、砂漠の第一王子の魅了の術式。
逃れ得る事などできない。
若い、非力な娘の心を手に入れる など、卑劣な方法を取れば訳もないのだ。
あたり一面妖しい赤い魔力に覆われて、レイチェルはそれでも振り向きもしない。カッと、一面が赤い稲妻に見舞われたかの様に光り出す。
やがてプス、プス、と魔術が発動を終えた。
「。。。レイチェル???」
ヤザーンがレイチェルに走り寄ると、その指に光る石は爛々と魅了の魔術の発動に反応しているが、レイチェルはぶつぶつと絡まった糸に取り組んでいるだけ。
自らに魅了がかけられた事にすら、気づいていない。
(なんだと。。!)
ありえない。ユーセフは、驚きで、その場から動けない。
ありえない。レイチェルが、「石」でない限り。
「レイチェル、。。お前、まさか、、、「石」か!!!」




