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「。。砂漠の神は、竜では、ありませんのよ。竜は、神の使い。」
ファティマは、水タバコをふー、と吹かすと、意味ありげな眼差しで、ゾイドを見つめた。テントの天幕の中、水タバコの甘ったるい煙が、ランプのオレンジ色の光にそそのかされて、重く広がった。
ゾイドは、ファティマと共に、ファティマの故郷であるという辺境の荒地に旅だったのだ。
この美しくも面倒な、旅の道連れは、それなりに切羽詰まった理由があるらしい。
ファティマがことのあらましを説明しようと、その厚い唇を開きかけた時。
「その神の怒りを治めるのに、私の力が必要という事か。随分と周りくどい事をする。」
表情の見えない顔で、ゾイドは話の序盤ですぐに、結論に達した様子で、不愉快そうに言葉を放った。
取りつく島もない。
ファティマは唇をかんだ。
この男はあまりにも鋭い。
おおよそこちらの言いたいことは、すぐに察する。
駆け引きを楽しむ様な男でもない。色仕掛けで手玉にとってやろうと思っていたが、実際は美貌の寵姫と呼ばれたファティマより、この男の方が、余程美しい。この男の方が、ファティマよりも上手だ。
「ファティマ、話を続けてくれ。さっさと厄介を片付けて、私は愛する人の元に帰りたいんだ。」
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レイチェルは、いつもと同じだった。
ヨルが聞き役。「へえ」「すごいね」「初めて聞いたよ」。
レイチェルが好きな事を好きなだけ話している間、ヨルが、相槌を打つだけ。
ただ、今はレイチェルはヨルの方を一切見なかった。
別に何も、男女の駆け引き的な意味合いではない。
絨毯だ。
レイチェルの心にも、頭にも、視界にも、絨毯しかないのだ。
色々ヨルに、好きな事を話すが、ほとんど、うわ言のごとくなのだ。
「ヨル、見てここの蠢き。まるでミミズがのたくっている様に魔力が発生しているわ。でもこの術式なら、右ではなく左に動くべきなのに、なんて素晴らしいの、まるで意思がある様に右に動くのよ。」
「へえ」
「こんな動きをするなんて、完成させたら、魔力が上に行って、下に潜って、それから、ああなんてこと、練った別に術式が錬成されるのよ」
「すごいね」
「糸をね、赤にしたのだけれど、怖くなって砂漠の砂色を混ぜて見たのよ。出力が調節できないなんて、初めてだわ」
「初めて聞いたよ」
。。ユーセフは、20人近くの美女を侍らす、ハーレムの持ち主だ。
放っておいても、周辺の諸国から、砂漠の豪族から、そして平定した国々から、最も美しいとされる娘達をハーレムに寄越される立場にいる。
夫のいる美しい女を強引にハーレムに入れたこともある。
どの女も、愛を与え、金を与え、そしてわがままを聞いてやれば、己のものとなる。そう難しいものではなかった。
だから、ユーセフは生まれて初めて、とても困ってしまったのだ。
ヨルに、レイチェルは可愛い若い娘としての、純粋で、か弱い姿を見せてくれた。
小さなわがままも言ってくれた。
ヨルとしての、友情に隠された愛も、無防備にも受け取りつつ、あったのだ。
ところがどうだ。その可憐な姿は、この娘のたった一部でしかない。
なんだ、この悪鬼のごとく、目を爛々として絨毯に向かうこの情熱は。
この令嬢、三度の飯より、手芸と魔術を、愛している。
。。つまりだ。
これがこの娘の、本質なのだ。
絨毯を前に、レイチェルの心の中でのヨルの扱いは、ヤザーンのそれと対して変わらない。いや、食事を持ってくるヤザーンの方が、おそらく距離が近い。
ユーセフは、どうしたら良いか、わからない。
ユーセフは、この猛烈に絨毯に取り組む娘を前に、立ち尽くしていた。
この髪を振り乱し、悪鬼のごとく、寝食を忘れて絨毯に取り組む娘を、小手先の男女の愛の技しか知らない男が、振り向かせることなど、不可能だと悟ったのだ。
(。。大切な婚約者がいる、とか言っていたか。。)
ユーセフは、ただの男としての己の浅さを苦々しく自覚しながら、ふと思う。
(一体どんな物好きで、一体どんな大物が、この娘の愛を得たのやら。。)




