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「レイチェル様、ヨルが帰ってきましたよ。ほら、こんな酷い格好で。。」
ヤザーンはレイチェルの元に近づくと、袖を引っ張ってレイチェルの気を引こうとする。レイチェルは、うなずきもせず、取り憑かれた様に絨毯に向かっている。
目は爛々と輝いて、砂漠の中毒性のあるタバコを吸った様にも、見える。
「レイチェル様、レイチェル様。」
レイチェルの反応はない。
ヤザーンは一つ、ため息をついた。いつもの事らしい。
そして、次の瞬間、ヤザーンは、信じられない事に、レイチェルの手元に散乱している大きめの書き付けの紙をくるくると巻くと、乱暴にもレイチェルの頭をパコっとはたいて、大声でどなったのだ。
「こら馬鹿娘!ヨルが帰ってきたと言っているではないか!手紙と指輪のお礼をせんか!」
ユーセフは身震いするほど驚いたが、どうやらこの乱暴な方法でレイチェルは気をとり戻したのか、
「いったーい!ヤザーン様、あなたはいつも乱暴なのよ!」
とブリブリ怒って、正気に戻った様子だ。この恐るべき方法でヤザーンはいつもレイチェルに対応しているらしい。それからようやく、レイチェルはヤザーンの話を聞く気になった様子。
「で、何か御用?もうご飯の時間だっけ?」
「レイチェル、また昼を食っとらんと、ヘイゲルが嘆いておったぞ!いい加減にせんか、皆に心配をかけて。それはさておき、ヨルが帰ってきたから、さあ、あいさつせんか!」
そこでようやく、こちらを向いて、ユーセフの存在に気がついたらしい。大きな、大きな笑顔で迎えてくれた。
「あらヨル!!お帰りなさい!寂しかったわ、本当にあなたがいなくてつまらなかったの!」
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ヤザーンは、あまりにレイチェルの見かけが酷い状態だったので、ブツブツ文句を言いながらも、その地味な髪の毛をとりあえずひっつめてまとめて結んでやり、肩に乱暴にショールをかけてやり、いつもらしからぬ、しっかりとした足つきで、部屋を退出した。
しかも、レイチェルが食べ残した皿まで取り下げて。
。。ヤザーンは、元、ではあるが、非常に、非常に高貴な身分だ。下男の様な仕事をする男ではないし、行儀の悪い娘の頭をはたく様な男でも決してない。
(。。まるで出来の悪い妹の世話する兄の様ではないか。)
そしてそれをまた至極当然の様に、レイチェルは受け入れていた。双子の竜を見た時くらいの、驚きだ。
「。。。久しぶりだね、レイチェル。。」
ユーセフはすっかり出鼻を挫かれてしまって、どうして良いかわからなくなってしまった。
予定であれば今頃、ヨルへの慕情に感極まって涙にくれているレイチェルの指に指輪をつけてやって、そのままハーレムに連れて帰って、二人の夜を過ごすつもりだったのに。
「ヨル、妹さんはどうだった?元気にされてたの?」
ボロボロの格好で、レイチェルがまず聞いてくれたのは、架空の病気の妹。やはり心が和む。この娘は、掛け値なしに心根が、優しいのだ。
「。。あ、ああ。ありがとう、元気にしてたよ。君の絨毯のおかげだ。。。ところで、私のいない間に随分ヤザーンと仲良くなったんだね、驚いたよ。」
本当に、ひっくり返るほど驚いたのだ。レイチェルの酷すぎる格好も、十分度肝を抜くものだったが、ヤザーンは気位が高く、神経質なだけでなく、非常に美意識も、教養も高いのだ。あまり利口ではない、この野暮ったい娘と仲良くなる理由がある様な男ではない。ましてや世話を焼かせているだと。
レイチェルは、眉をひそめて言った。
「あの方、本当にネチネチ鬱陶しいのですけれど、なんだかんだでいいお方ですのよ。ヤザーン様がおいでになってなかったら、私きっと水を飲むことも忘れて倒れていたわ!」
カラカラと楽しそうに笑う。
レイチェルの部屋の片隅に、かなり禍々しい雷の呪いの術式の書き付けが、いくつも形を変えて残っているのに、ユーセフは気がついた。どれも小さな呪いだから、ちょっと触ったら痺れるくらいだ。
相変わらず見事だけれど、なんだこれ?
「さあ、座ってヨル!私、今猛烈に面白い事をしていますのよ!まず私の話を聞いてくださる?ここの絨毯の魔力、とんでもない方向に発生して、蠢いているのが見えまして?これを織り進めて行けば、とても面白いことになりそうですわ!」




