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砂漠から帰還したユーセフは、ハーレムで一人一人の妃の挨拶を受け、子供一人一人の顔を確かめ、父王に挨拶をする。ここでおおよそ1日。
父王はまたハーレムに妃を入れるとか、入れないとか。
そして重臣たちより留守の間の連絡を受けた。
辺境の国の反乱があり、ここはすぐに平定されたとか、そういう、重要ではあるが、いつもと大して代わり映えのない報告をうける。ここでおおよそ1日がかかる。
砂漠に出ると、王都に帰るたびにこの一連だ。本当に面倒くさい。
パシャは、ファティマ妃に委ねてきた。
あれは美しい女だ。今頃楽しくやっているだろう。
帰還しておよそ3日目もしてからようやく。
ようやくユーセフは、ヨルの格好に扮して、レイチェルに逢いにいく。
レイチェルに会えない砂漠の間、ずっとユーセフは、レイチェルの事を考えていたのだ。
きっとレイチェルは、誰とも話ができずに、寂しがっているだろう。
私が置いておいた、メッセージをきっと、心の頼りにしていただろう。
毎日毎日、会えないヨルの事を思って日々暮らしてきたはずだ。
(そろそろヨルに、心を傾け始めた頃合いだろう。)
女の扱いに長けたこの男は、よく女の生態を知っているのだ。
孤独な外国の、若い女の心の隙に入り込むなど、造作もない。
最後のカードの中には、小さな指輪を入れておいた。
レイチェルは知らないだろうが、砂漠の秘宝とされている、赤い竜の喉の奥にある石でできた石が乗っている指輪だ。
額に当てると、未来が見えると言われているほど、妖しく、美しい石だ。
ヨルの帰還を知って嬉し泣きにむせぶレイチェルの、その小さなレイチェルの指にはめてやろう。そして、そのままハーレムに連れて帰ろう。
レイチェルが心を傾け始めたヨルが、実は砂漠の第一王子ユーセフとしれば、レイチェルは喜びに酔いしれるだろうか、畏れ多いと震えるだろうか、夢心地になるだろうか。
東館の廊下を抜けて、光の眩しい庭を横切る。
侍女達が慌てて自室に戻った。”ヨル”が来たら、姿を消す様に、侍女達には申し付けているのだ。
レイチェルはこの2階の、角の部屋。
ヨルの姿を見て、走り寄って抱きしめてくれるだろうか。それとも涙で濡れてくれるだろうか。
本当に待ちきれない。
「レイチェル!」
扉を開けると、そこにはレイチェルではなく、なんとも気まずそうなヤザーンが幽霊の様にそこに立っていた。
(。。なぜヤザーンが。。?)
そして部屋の隅に目をやると、一心不乱に絨毯と格闘していた、悪鬼のごとく、レイチェルがいた。
ヨルの事など気がついてもいない。
何があったのか、酷い姿だ。
髪はもつれて目の下にはクマ、手は擦り傷だらけ。また痩せた様子だ。
なぜか砂漠の女の着る装束を纏っていた。
ヤザーンがスタスタと近づいて、飲み物をレイチェルの口元に持っていってやる。するとガボガボ、とものすごい音を立てて吸い込むと、また絨毯に挑む。
まるで格闘技の試合に挑む、砂漠の男の様相だ。
「最近ずっとこんな感じで。」
ヤザーンはグフ、グフ、と申し訳なさそうに笑った。
(おや。。)
ユーセフは、少し訝った。
ヤザーンが、いつもの不愉快そうな、神経質な表情ではなく、どこか、落ち着きを見せている。
ヤザーンは続けた。
「指輪も、きちんと受けとりましたがね、いえね、綺麗だとは言っていましたよ。ただ、絨毯織りの邪魔になるとかで、机の中に入れたままで。」
ヤザーンは勝手にレイチェルの机を開けると、確かに、白い封筒と、パシャからのメッセージカードの海の中に、コロンと砂漠の至宝が、転がっていた。
「。。。なぜ砂漠の装いを?」
なんとか口にした、疑問の一つに、ヤザーンは、もう堪えられないと言った様子で、爆笑して答えた。
「グフグフ、あの娘、放っておいたらグフ、風呂から出てそのままの姿で、グフ、絨毯を織り始めるものだから、グフ、私がヘイゲルの若い頃のを借りて、着せてたら、着心地が良いらしいのですよ。」
。。。。ユーセフの頭の中で、あられもない格好で、悪鬼のごとく絨毯にいどむレイチェルの勇ましい姿が思い浮かばれる。それから、慌てて古い砂漠の服を探してきて、頭から被せてやってる宦官の姿も。
ユーセフは頭が痛くなってきた。
おのれの与えた赤い石のついた指輪を手に取って見る。
妖しい光を放つ、小さな石だが、この石は、竜をもつ、王族にしか所有が許されていない物だ。こんな安物の机の引き出しに、剥き出して捨て置かれているとは。元々の持ち主の、竜が泣くだろう。
それにしても、ヤザーンがなんだかんだ言いながら世話してやっているのには驚いた。この男は大変に気位が高いのだ。
そして、よく考えてみると、己の作戦が全く失敗に終わっているらしい事に気がつき、唖然とする。
どうやらこの娘の心の中では、絨毯織りへの愛の方が、ヨルへの依存だの、愛着だのそんな小手先の物なんぞより、余程大きく占めているらしい。
ヤザーンは、しつこく、まだ続けるのだ。
「いやね、グフグフ。絨毯に落とし込んでいる術式が発動するまでは、グフ、本当に寂しそうにしてたんですよ。毎日庭にてで、見つけた殿下の贈り物だのカードだのを胸に抱きしめたりして、涙を流したりもして、可愛いものでしたがね。グフ。グフ。」
「グフフ。あの娘は筋金入りです。殿下、やめといた方がよろしいですよ。」




