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「。。。それで、件の、卵は。」
「あそこに営巣されているのが見えますか。あの中に一つ。」
ゾイドは腰につけていた、携帯用の望遠鏡を取り出す。
金のツタの絡んだ、薔薇の木でできた重厚な作りの望遠鏡だ。ユーセフは既視感を覚えたが、すぐに忘れる。
「。。なるほど。中から魔力が感じない。死んでいますね。」
「一月ほどは、生命反応があるのですが、その後は成長を放棄するかの様に、命が潰えるのです。」
「。。いつから。」
「。。そうですね、私がこの軍を任される様になった頃からですから、10年は前からでしょうか。」
ユーセフは大きくため息をついた。
子竜が孵化しなくなって、もう10年の年月が経過した。
砂漠の僻地の、野生の竜についても、同じ状況だと言う。
父の妃の見た夢に頼るほどに、事態は逼迫している。
子竜の育たないこのままでは、近い将来砂漠に雨は降らなくなる。
この国は、滅亡への序章に日に日に、近づいているのだ。
ユーセフは、日々国を背負うものとして、四方八方手を尽くして、問題を解決すべく働いている。この重大な事態の回避の責任は、王族。それも、次代の王となる、王太子、ユーセフ第一王子の双肩にかかっているのである。
ユーセフは、押しつぶされそうな重圧の中で、日々生きているのだ。
それは砂漠の大国の第一王子として生まれた男の宿命。
日々の政治の駆け引き、外国との軍事問題、次々に命を狙ってやってくる間者、王位を狙う腹違いの弟達。
王国の命綱とも言える灌漑の管理、新オアシスの設営、気難しい竜の軍団の統治。その上での、孵化しなくなった、竜の卵という国家の危機問題。
ユーセフは、重圧ばかりで、実際は同じ様な日々の繰り返しの、退屈な砂漠の王子の毎日に、少し疲れていた。
(レイチェルに会いたい。。)
ユーセフの側に、白い小さな花をつける、砂漠の雑草が生い茂っていた。
レイチェルが好きな、名も無い花だ。
ユーセフはなんの気なしに白い花をその手に摘んで、ふと気がついた。
(また、あの娘の事を考えていた。。)
地味極まる茶色い髪、茶色い瞳、華奢な体。どの妃にも劣る、貧相な娘。
ハーレムの妃たちは近隣の豪族、外国の姫、それぞれの政治的事情で送られてきた娘たち。
皆美しく、才智に溢れている。
砂漠の大国の広大な国土を治めるには、大変な統治力が必要とされる。
それが故、近隣国や国内の豪族から王や王子は大勢の妃をめとり、それぞれの子をなして、その生まれた子に領土を平定させるのが、砂漠のやり方なのだ。
どの妃も大切に扱ってきたし、愛と呼べる感情も与えてきた。子をうめば、その子は砂漠の領地を統べる役となり、更なる栄誉が妻達には与えられる。どの妃にも、贅沢な暮らしをさせてきた。
だが、この国家の危機に、遠く砂漠でユーセフは、どの妃でもなく、あの地味な若い娘を思っているのだ。
あの娘の、真っ直ぐな眼差しが、曇りのない愛が何よりも欲しい。
ユーセフは、己が作り出した架空の人物、ヨルがうらやましかった。レイチェルの初めての絨毯を、無垢に与えられたヨルが、心からうらやましかった。
レイチェルの隣にいると、世界は優しい。
日はただ砂漠から上り、ただ、砂漠に落ちる。
花が咲いて、実をなす。そして絨毯ができて、眠りにつく。月が上り、そして夜が明ける。世界は、ただそれだけで満ちているのだ。
あの娘の愛は、砂漠の蛇の毒の様だ。一度でも触れると、時間を経て、気がつかないうちに手遅れになる、厄介な毒だ。
興味深い、面白い術式を操る、ウブな外国の娘だと、からかって遊んでいたのは最初だけ。
今や甘い毒に苛まれて、気がついたらあの娘なしでは、息もできない。
早く会いたい。早くあの娘が欲しい。
ーー砂漠から帰ったら、すぐにハーレムに召し上げる。すぐに、だ。
ユーセフは、レイチェルの残像を振り払うと、ゾイドに振り返って、慇懃に礼をして、今日の予定を説明する。
「午後から、私が管理している灌漑施設にもご案内いたします。ここ一体の灌漑施設の中で、一番大きいものとなります。その後は父の側近からの鷹狩のお披露目があり、夕食は天幕で、第二十五妃殿下が、おもてなしをします。彼女が見た、”夢”の詳しい話を、直接お聞きください。」




