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レイチェルは、いつものごとく、絨毯を織っていた。
複雑な技術もそうだが、いちいち柄を折り込む際に、糸を変えるのがとても、手間がかかるのだ。
脇目も降らず、1日中織っていても、小指の先ほども先に進まない日もある。
とても燃える。
なんと素晴らしい芸術が、砂漠の女性に与えられているのだろう。
遠くで、子供の声が聞こえてきた。
「レイチェル、レイチェル!」
大陸語の教室の子供達のようだ。
「ハディーを。連れてきたよ!」
「レイチェル、僕たちのハディーだよ!」
ハディー。ええっと、ハディー、ああ、確か庭の仕事をする男性の総称としての呼び名だったっけ。
レイチェルは手を止めて、振り返ると、そこには妖しいほどに美しい、黒い目、そして髪と、白い肌をした、白い砂漠の男の平服を着た男が、子供達に囲まれていた。
そしてレイチェルと目があうと、男は、にこりと笑って、アストリア語で、こうレイチェルに挨拶をした。
「こんにちわ。子供達が、ぜひ貴女を紹介したいというので、遊びにきましたよ。」
「あら!アストリア語!なんて嬉しい!」
レイチェルは、ここで大きな勘違いをしたのだ。
一つは、あまりにアストリア語で会話をしていなかったので、(つっけんどんな幽霊男・ヤザーンはこの際数に数えない)会話に飢えていたのだ。
一つは、己の恋人の、人外の美貌に慣れていたため、この男の妖しい魅力が、人並み外れたものだとは、特に思わなかったこと。
もう一つは、これはレイチェルのせいではないだろう。
砂漠の言葉のハディーは、父、という意味。ハディーン、は、庭師。
この男は、子供達の父。そう、ユーセフ第一王子だ。
それを愚かにも、思い切りこの東館の繊細な庭を管理する、庭師の一人と思い込んでしまったのである。
砂漠の男は、身分にかかわらず皆白い同じ形の服を着るが、大きな宝石の嵌った指輪を見れば、そして傷ひとつないしなやかなその指先をみたら、すぐに気がつきそうなものだったのに。
レイチェルは久しぶりのアストリア語が、嬉しくなってしまったのだ。
「あなたアストリア語ができますのね!初めまして庭師のお方、私はレイチェルと申します。お名前を伺っても?」
「。。ヨル、とお呼びください。友よ。」
「ヨル、お会いできて、本当に光栄ですわ。お茶はお好きですの?ご一緒しませんこと?」
顔を青くしていたヘイゲル侍女長に、ヨルは砂漠の言葉で何か、言っていた。ヘイゲルはそして、何処かに行ってしまった。
侍女達は、皆部屋に引きこもってしまった様子だ。
きっと、男性が怖いのかしら。そういう文化だと聞くもの。
レイチェルは、ヨルと、久しぶりのアストリア語でのお茶会を楽しむべく、いそいそと準備を始めていた。
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「それで、膝の所にアッサラー姫と同じ刺繍が欲しいのですね。よろしくってよ。少し体重をここに載せてみてくださいな。すぐに調整いたしますわ。」
「ええ。アッサーラ様の膝に刺されていた、刺繍の事を子供達に教えてもらったのです。本当に助かります。花の剪定をする時に、膝をつくので、膝が痛むのです。」
ユーセフは、レイチェルの勘違いに乗って、庭師・ヨルとなって、レイチェルと会話をしているのだ。
この心から愚かな娘は、余程会話の相手に飢えていたのか、あまりこちらの薄っぺらい嘘にも気づくことなく、くだらない話をベラベラと続ける。
別布を膝に当てるから、そのまま少し待っていて欲しい。そう言って怒涛の勢いで刺繍を始めた。
迷いのない糸捌きは、職人そのものの動きだ。
お茶のお代わりが必要になるほどの時間がたった頃、ニコニコと大きな笑顔で、レイチェルはこう言った。
「これで大丈夫だと思いますわ!膝から倒れてみてくださいな。」
正直、とても驚いた。
砂漠の食事は美味しいが、香辛料が強いので多くは食べられない、だの、案外王都が暑くない事に驚いただの、つまらない話をしている間に、この娘は複雑な陣を貼って、術式を完成させていたのだ。
半信半疑で椅子を立って、膝から倒れてみる。
膝から守護の術式が発動したのが感じられた。
驚いた事に、あまり守護の力が強すぎると、今度は膝から跳ねてしまう事を計算して、守護は二重に、弱いものを重ねて、時間差で作動するようになっているのだ。
(こんな精緻な魔術を使いこなす魔術士など。。このガートランドにも何人もいないはずだ。。。)
ユーセフは、背筋から、汗が流れるのを感じた。
この娘は、何者だ。
娘は、ユーセフの心に去来する剣呑な思いなど、気にならないほど、会話に飢えていたらしい。今度は絨毯織りの話に飛んだ。
「そうそう、アストリア使節団の部屋にあった絨毯、素晴らしいものでしたわ。絨毯に盗聴の術式を織り込むなんて、なんて独創的なのかしら!」
ユーセフは、今度は心臓が止まるかと思うほど、驚愕した。
魔力で探知できない絨毯織りによる盗聴は、ユーセフの知る限り、看破されたのは今回のアストリア返礼使節団が初めてだ。
そして、これよこれ!いつか織ってみたいわ、と、適当な紙で書き付けたのだろう。完璧な絨毯の術式の写しが、走り書きで写されたものを、見せてくれた。
(この娘が、看破したのだ。。!)
レイチェルは、今度は盗聴の術式を施された絨毯の事なのどうでもいいかのように、砂漠に七連星の話をしている。
どうしても、自分で測ってみたいのだが、ハーレムの庭は木々が生い茂っていて、夜空が見えにくい、とブツブツ言っている。
ユーセフは俄然興味が湧いて来た。
ここの所、退屈していたのだ。
砂漠の娯楽は少ない。
こんな面白い娘はここ王都ガートランドでは、一度も見た事がない。
この娘の話が聞きたい。




