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「ん?ああ、え?」
あまりに意外だったので、生返事を与えたが最後、この華奢な娘にこれほど力があったのかと思わせるほど、強い力で手首をひねられた。
娘は顔を袖口にバッと、近づけて、何か観察している様子。
ブツブツと独り言と呟いている。
ゾイドは、そうきたか、と言わんがばかりに、楽しそうな表情を浮かべて、席から立ち上がりさえもせず、涼しい顔でお茶のお替りなどしている。
(これ、よく、ある事なのか?)
「これを刺したのは魔女ですよね、でもなんでイラ草の紋様なんだろう、この紋様は北でしか使わないはずだし、ここ魔除の目玉を入れないと、発動しないから、ただの形骸化した模様?それにしては複雑に刺されているわ。。」
今度は断りもせず、今まで観察していた左の手首ではなく右の手首をとると、同じ様に続けた。
「あ、左右でバランスをとってるのね。魔女のやり方は周りくどいわね。。」
今度はいきなり、バッ、と至近距離で顔をあげると、
「伯爵様、お願いがございます。少し足してもよろしいでしょうか。」
「はあ?」
何を言われているのかさっぱり判らない。
了承と受け取ったらしく、娘は物凄い勢いで、転げる様に針を持ってくると、猛然と何か、袖口に刺し始めた。
「おい、ゾイド」
流石に焦って息子に助けを求めるが、ゾイドは平然と紅茶を楽しんでいる。
婚約者に失礼な事を言われた、意趣返しだ。しかもその婚約者は、失礼なことを言われたことに気がついていなさそうだ。
表情の読みにくい息子の顔は、愛おしそうにこの娘のしている事を、眺めている。
(つまり、このままでいろ、との事か。)
半ば茫然となりながらも、息子からの助け舟は望めないと諦めて、この娘のやっていることを観察することにした。ものすごく居心地の悪い、妙な時間がすぎる。
手つきは本当に、迷いがない。どうやらこの娘は本物の職人のようだ。
こんなに近くでまじまじとこの娘を観察すると、ドレスや宝飾こそ華やかな物だが、どうやら一切化粧もしていない。香水もつけていない。微かにメリルの香りがするだけだ。
地味な顔つきではあるが、目は大きいし、可愛いと言えない事もない。
どうも色々、印象がバラバラなのだ。
「。。できたわ。。」
「レイチェル、できましたか?さあ、愛しい人、どんな悪戯をしたのか、私にも教えてくださるのでしょう?」
「魔女の使う紋の形骸化した物が刺してあったのですよ。伯爵様のお召し物。びっくりしました。初めて実物を見て、嬉しくなっちゃって。それで、ちゃんと発動する様に、ちょっと紋様を加えてみたんです。」
「ああ、領地には魔女の森がありますからね。領地では、時々ですが魔女の流れを引く職人が、慣れ親しんだ紋様を工芸品に利用したりする様です。ちなみに、これはなんの紋だったのですか?」
「魔女の月の祭りの時に、月の復活を祈る紋様ですよ。多分人が身につければ、血行がよくなったり、お手洗いが近くなったりするんじゃないかしら。魔女は魔術も独特のやり方が多いから、実物を見ることができて本当によかったわ。」
初めてだったけど、ちゃんと発動させることができたわ。嬉しいわ。と非常に満足気だ。着ていても害はないですので、心配なさらないで、と。
先ほどまで子猫の様に震えていたのに、今や私と、この娘は、堂々とした被験者と施検者の関係にすり変わっているではないか。
やはり手練れの女狐か。私までやり込められるとは。
「伯爵様、深く感謝いたします。」
そうやって勝手に満足そうに淑女の礼をとると、用は済んだとばかりに、この後予定があると、悠々とゾイドとサンルームを去っていった。
「。。ルード、あの令嬢の予定とは?」
「お部屋がお気に召さないとかで、王宮で与えられていた部屋と同じ様な部屋を御所望になりました。」
王宮で保護されていたと聞いていたが、相当贅沢な部屋を与えられていたのだろう。この屋敷の、女主人の部屋である水晶の部屋が満足できないとなると、贅沢好きな女狐か。
まあ、そうであれば逆に御し易い。
何人かゾイドの子を為したら、あとは十分な金子を与えて引き取って頂こう。
他の男に渡るのなら、その後ならば、解放してやればいい事だ。
しかし。
やはり、どうにも色々、印象がバラバラなのだ。
ウィルヘルムは、紅茶をあおると、己の袖口に新しく加えられた刺繍を眺めた。




