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逃げる様に赤ん坊連れの姉の方は、帰って行ってしまった。
ゾイドの横で、怯えた様に震えながら淑女の礼を取る娘は、もう泣きそうだ。こう言う可憐な、いかにもか弱い風に見える娘こそ油断ならないのは、ゾイドもよく知っているはずだが、まだ若いのだな。
彼女は人見知りなんです、少し遠慮してください、とゾイドはいつもの感情の見えない顔をこちらに見せるが、気の毒なほど震えて俯く娘を、上から下までまじまじと、観察してみる。息子のようには騙されない。
なるほど、報告通りの地味な色の髪、地味な顔、雀斑だらけだ。
華奢な体には、品の良い薄い黄色のドレスを纏っている。このドレスは魔法伯家御用達のサロンの手による見事なものだ。
(フン、無垢な顔を装いながらも、早速この家の女主人気取りだな。)
このサロンは決して一見の客を受けない。この娘が出入りできる場所では本来ないはずだ。
大方伯爵家の名を使ってねじ込んだのだろう。
小さな手は、貴婦人のものらしからぬ、しっかりしたものだったのは意外だ。
よくわからないタコがいくつもある。おそらく針タコだ。これは案外、本物の職人の手だ。面白い。
そして、胸元を見て、ぎょっとした。
明らかに王族の持ち物と思われる大きなサファイアの首飾りには、フォート・リーの婚礼の魔術がかかっている。この魔術は、息子の手による物では無い。
(。。この娘、誰かと婚約しているのか。)
調べさせたらすぐにサファイアの持ち主も、魔術を掛けた男もすぐに、判明するだろう。国交のない国の情報でも、魔法伯爵家の力をもてば造作もない。
そして、もう一つ、娘は首飾りをつけていた。蝙蝠石でできた流行りの首飾りだ。
その石の粒には、赤い、氷の魔力が娘の体を通して、じっとりと走っていたのだ。
この娘に魔力はない。ゾイドの魔力がじっとりと蝙蝠石に放出されている理由は、一つしかない。
(なるほど。この娘はタチの悪い魔女の類だな。いいだろう。)
ニヤリと笑い、ウィルヘルムは、レイチェルに、慇懃無礼に礼を取ると、言った。
「これはこれは、ようこそわが屋敷に。私はこの屋敷の主人、ウィルヘルム・ド・リンデンバーグ。ゾイドが見染めたと言う御令嬢のお顔を見に、森の奥から出て参ったのです。」
可憐ななりをして、震えているが、それはこの娘の本質では無いはずだ。
この娘はフォート・リーの貴人をたぶらかして婚約を結び、国の宝となるほどのサファイアを手に入れた。挙句、この感情の薄い息子に取り入って、二重に婚約を重ね、挙句婚姻前にも関わらず、その体内に息子の魔力をこれだけ取り入れる様な、行為をした訳だ。
(化けの皮を、剥がしてやろうではないか。)
あのゾイドが引っかかる様な相当の手練れの魔女だ、せいぜい楽しませてもらおうか。
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(知ってるわ。。知ってるわこの感じのお方!)
爛々と光る鋭い目つき。うねる黒髪は、炎のごとく。
美貌のこの壮年の男は、間違いない、ゾイドが見せてくれた、当代の姿絵のお人、その人だ。
(完全に。。。バルト様と同じ感じだわ。。)
レイチェルはブルブルと震えが止まらない。
やはり、どれだけかの国で楽しい日々を送ってはいても、意に反して連れ去られたと言う恐怖の心の傷は、なかなか消えてはくれないらしい。
折角の姉様との大切なひと時を、さも当然のように邪魔をして、レイチェルを、上から下まで、珍しい動物を検分するかのように、この男は振る舞った。
高位貴族にありがちな傲慢な、レイチェルの苦手なタイプだ。
(あ、でもちょっと目元がゾイド様に似ているわ。。)




