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ロッカウェイ公爵夫婦が帰国の途に着いたのは、それから一月ほどであった。
公女の魔力過多による成長阻害が解決し、次世代の公国の後継問題の解決と共に、軍事大国、フォート・リーとの友好条約の締結。
これ以上ない成果の上に、領地の砂漠に生息する竜の為に、フォート・リーの軍を動かす約束まで取り付けた。
公爵にとって、竜はただ、フォート・リーの軍隊を砂漠に誘導する言い訳にすぎない。
もとより砂漠を緑化するまでもなく、公国は観光資源などで、外貨は潤っている。
派兵依頼の目的は、砂漠の向こうの大国への、威嚇だ。
この所、代替わりした若い王が、虎視淡々と砂漠の国へ覇権を伸ばし、公国の富を狙っているという。
自国の軍を持たないロッカウェイは、フォート・リー軍の砂漠への派兵が、大変効果的な威嚇であることを知っているのだ。
満足極まりない外交の成果を出して、公爵は笑いが止まらない。
これ以上なく機嫌の良い父をうまく言いくるめて、ジジはもう少しアストリアに滞在する約束を取り付けた。
実際、もう魔力過多の症状は身体に見られないものの、しばらくはゾイドの管理下にあった方が良いとの主張ではあるが、要するに、ジジは折角手に入れた大人の体で、しばらく羽を伸ばして遊びたいのだ。
「だってさ、レイチェル、やっと私一人前にデビューしたんだし、婚約するまで遊び倒したいのよ!」
どうせ帰国したら今度は国の施政者としての責務で、遊ぶ時間もなくなるのだ。
アストリアに帰ったら、やっと魅力的な形に成長した胸元を思い切り強調した、下品なドレスを山ほど仕立てて、夜会という夜会に参加してやろうと息巻いているジジに、レイチェルは苦笑いだ。
「気持ちはわかるけど、とりあえず、まだ踵の高い靴も履けないくらい体が痛いんでしょ?最初から飛ばすと、肝心な所でヘマするわよ。」
公爵夫婦がフォート・リーを去ってすぐに、ベッドの上でそんな物騒なことを絶叫するジジだ。
これはアストリアに帰国後一悶着あるだろう。
レイチェルも、明日出立する。アストリア調査団の船と共に。
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ロッカウェイ公国の領地である砂漠に立つ為に、国を留守にするマクシミリアン4世は、自身が不在の間でも国防が立ち行くように、しばらくはアストリアとは和平路線を貫く事とした。
バルトは女神の足のモノ間の存在を知ってから、灰になって開戦どころではない様子でいるし、国内の学者はアストリアとの合同研究に大変意欲的だ。
特に女性陣は友好的で、石の乙女への贔屓っぷりはさっぱり理解ができないほどが、どうやら公女の従者としてきていた赤目の男との恋物語に関係するらしい。
聖地については、女神の遺跡の新発見された記述に基づき、アストリアには共同統治の方向で交渉を進めている。
まあ、宗教上の重要な聖地ではあるが、それ以上の価値はない。
交渉に着いてはガートルードの好きにさせてやる。失敗したら、武力で奪還すればいい。
それよりも、竜だ!勇者の名を継ぐのは、このマクシミリアン4世だ!
要するに、この脳味噌が筋肉で構成されている男に取ってはなんでも良いのだ。
この名が勇敢なる名として、歴史に残るのであれば、竜の勇者であろうが、世界王であろうが、なんでも。
ロッカウェイ公爵は、実に人の本質を見極める事に長けている。
マクシミリアン4世に、勇者の称号という餌を投げてよこしたのだ。
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出立の日は、穏やかな出航日和だった。
空は青く晴れ渡り、国境のハドソン川は、凪いでいた。
フォート・リーからたった一刻半ほどで、懐かしいアストリアだ。
ガートルードがジークを見送りにきていた。
二人はどこからどう見ても別れを惜しむ恋人同士のようだ。
今回アストリアとフォート・リーの間に国交は結ばれなかったが、その前段階である、学術団の交流は始まった。
クイーンズコート会議の第二回目は、アストリアが主宰して、フォート・リーの学者を招待する。
「私、絶対に橋をかけてみせましてよ。」
ジークの袖にすがって涙を浮かべている麗しい王女は、物理的に、アストリアとフォート・リーの間に橋をかけて、ジークに会いにゆくと、情熱的とも、政治的とも受け取れる宣言をしてみせた。
もしも物理的に両国間に橋がかかれば、物流の革命が起こる。アストリア産の質の良い紙を安価で輸出できたら、実家と、姉の嫁ぎ先が助かってしまうな、とレイチェルは実に庶民的なことを考える。
「レイチェル様はすぐに無理をなさるから、どうかご自分の事をまず大切に、ゾイド様のおっしゃることをよく聞いて、夜は早めにおやすみになってくださいませ。」
みっともないほど泣き咽ぶ、姉のように慕っていたルーナとの別れは寂しいものではあったが、ルーナの側に、宰相家の若い騎士が、照れ臭そうに立っているのをレイチェルは微笑ましく思った。
少なくともルーナの心配は要らなそうだ。
なんと、この少しちゃっかりした所のある侍女と、人の良さそうな青年の間には、来年には色々順番をすっ飛ばして子供が誕生するらしく、レイチェルを送ったあとはすぐに女神に結婚の誓いを立てるとか。
レイチェルはこの伯爵家の三男坊である騎士と、ルーナの実家からそれはそれはそれは感謝されたものだ。
ルーナは年齢的に少しばかり婚期を逃しそうになっていたのだ。
夜会で初めて挨拶が叶ったルーナの父からは、レイチェルは良縁結びの聖女様と呼ばれてしまい苦笑だった。
二人の子供が女の子であれば、レイチェル、と名付けたいとの申し出に、レイチェルはくすぐったくも、快く了承してやった。
レイチェルは岸辺の見送りの面々に目をやる。
フォート・リーの娘達は、示し合わせたかのように、皆緑のリボンをレイチェルに向かって降っている。
レイチェルが、髪飾りを作ってやった娘達だ。
愛しいゾイドに送る為、娘達に、ブルーベリーの箱にかけてくれるようにお願いした、リボンと同じ色。娘達の一人一人の顔を見つめ、レイチェルは涙が止まらなくなってしまった。
レイチェルは、船で使うようにルーナに押しつけられたバスケットの中身を開けてみた。
やはり、涙を拭うハンカチも用意してあった。たった一刻半の船旅だというのに、ハンカチの他には、軽食と、食べやすいお菓子、それから、繊細な編み込みの美しい、ショールが入っていた。
(。。これ、ルーク様からだわ。)
ルーナは何も言わなかった。
だがそのショールからだけは、少しだけ、ほんの少しだけ、青い百合の香りがしたのだ。
間違いない。ルークは見送りには来なかったが、最後の最後まで、こうやって心を砕いてくれる。
ルーク様。
あの心配性の男の顔が浮かぶ。船の上は冷えるから、さっさとショールをかぶって船の中に入って、暖かいものを飲んでいろ。そんな声が聞こえそうだ。
美しいショールに身を包ませてみる。
微かに残る、青い百合の香りに、忘れなくてはいけないあの人に、抱きしめられているような、そんな気がした。
この国は、誘拐されて、軟禁された国。
だというのに、この国で出会った皆との別れが辛くて。
自ら拒んだ男の愛が、懐かしくて、恋しくて、切なくて。
レイチェルは堪らずに、甲板で膝を折って号泣してしまった。
岸辺からはレイチェルの名を口々に呼ぶ娘達の声がする。
(ありがとう、フォート・リーのみんな。)
船は岸壁を離れた。フォート・リーが遠くなってゆく。見送りの娘達が小さくなり、そして景色となってゆく。
背後からずっと、気配がしていた。
「。。。レイチェル。。」
レイチェルは大きく息を吸い込んだ。ゆっくりと、ショールを肩から滑らせた。
(私は、このお方と生きてゆくの。)
レイチェルは振り返ると、その大きな胸に迷う事なく真っ直ぐに飛び込んで、こう言った。
「。。ただいま、ゾイド様。」
ゾイドは力一杯、胸に飛び込んできた愛おしい娘を抱き締めると、ゆっくりと口づけを交わし、そして言った。
「おかえり、レイチェル。私の唯一の人。」




