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レイチェルを迎えに来たルーナは、何も聞かずに、レイチェルを休憩室に連れてゆき、ぐちゃぐちゃになった化粧を整えてくれた。
心優しいこの娘は、去りゆくルークの後ろ姿を見て、全てを悟ったのだ。
(フォート・リーにここまで尽くしたここお方を、これ以上この国の勝手に縛って許されるはずはないもの。。)
かのお方は、リンデンバーグ魔法伯のゾイド様というらしい。
初めてそのお顔を拝顔した時に、ルーナの心臓は止まるかと思うほどの魔物のような美貌だった。
ルークよりも美しい男を、見たことがなかった。
そしてその氷のような赤い眼は、溶けるほどに甘く優しく、ルーナの大切な主人だけを見つめていた。
レイチェルが、その赤い目をした魔物のような美貌のお方を求めるので有れば、ルーナはもう何も言わない。
(ありがとう。レイチェル様。)
そうしてレイチェルをそっと、会場に送り出した。
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フォート・リーの王、マクシミリアン4世は不機嫌だ。
壇上には公女ジジ、王女ガートルードが姉妹のように、にこやかに談笑し、その二人の間にジーク、アストリア第二王子が、ちゃっかりガートルードの腰を抱いて加わっている。
壇下では、バルトの妻が丁寧に腰を折って、レイチェルに礼を述べている様子だ。
なんだか夫人は艶々と、顔色も良い。
レイチェルはものすごく恐縮しているらしく、二人とも腰を折り合って、喜劇の様相だが、雰囲気は実に楽しそうだ。
この二人、誘拐犯の妻とその被害者の、はずだ。
横でぼうっと突っ立っているバルトは、なんだか魂の抜けた様な顔をして、満面の笑みの夫人に引っ張られている。
来週から二人は諸国漫遊の旅に出るらしいが、この夫人の機嫌の絶好調さから察するに、夫婦間に何かあったのだろう。
レイチェルの装いはというと、公女の白を基調に紫で飾られたデビュタントのドレスと対になる、紫を基調にし白いアクセントの美しいドレスに、王女ガートルードの首飾りだ。
腕には細い、アストリア第二王子の配下である印の腕輪が控え気味に飾られ、まるで三国の同盟がレイチェルの装いにて宣言されているかの様相である。
(仲良しか!)
ぎりりと歯軋りする。
何もかも予定通りであれば、今頃はアストリアと大戦争を開戦していたはずなのに。
イライラしていると、自身の王妃までが、つい、とレイチェルに近づいているではないか。
ガートルードが壇上から降りてきて、何やらレイチェルと母の間で話を弾ませている。
王妃は高くゆっていた少しうねりのある髪を少し外し、レイチェル触らせて、満面の笑みだ。
何があったのか、非常におかしな状況に見える。
非礼を咎めるべき王妃の取り巻きも王女の取り巻きも、さも楽しそうに二人を見守っている。
それどころか周辺のフォートリーの貴婦人が、暖かく見守っているのはどういう訳だ。
何があった。私は何を知らないのだ。
次の音楽が始まる。アストリアの音楽家が作曲した、早いステップだ。
ガートルードが率先して、見事な足捌きを披露する。
今夜のガートルードは、少々踊りすぎだ。
次々とアストリア王国の麗しい騎士らと、楽しそうにステップを踏み、第二王子とはもう3曲は踊ったろうか。
前回の夜会では憮然として取り付く島もなかったというのに、今日の機嫌の良さはどういう風の吹き回しだ。
今日がデビュタントとなる公女ジジは、フォート・リーの若い貴族達とすっかり馴染んだ。
まだ成長痛が激しく、ダンスはできないというが、その凄みのある美貌で一瞥されただけで、多くのフォート・リーの男を虜にした。
今晩の娘達は二人とも王族として、そして社交界の若い貴婦人として、見事な振る舞いだ。
「お互い次世代は国家のより一層の繁栄が見込まれますな」
頼もしいですな、と笑いながら、爛々とした目でロッカウェイ公爵が話しかけてきた。
実に不愉快だが、笑みを浮かべて返す。
公国は、アストリアを平定した後に蹂躙してやろうと考えていた国だ。腹が立つ。
公爵は、会場から眼を離さないまま、独り言のように、ささやきかけてきた。
「私は人に賭けをするのが好きでね。あの娘は実に面白いですね。今のうちに我が国に取り込んでおけば、あとで相当楽しませてくれそうでね。」
外交手腕のみで大国の間を生き残るこのロッカウェイの抜け目ない公爵は、レイチェルをすっかり気に入ったらしい。この男はただの子煩悩の親でというだけではない。レイチェルに利を感じて、ジジを足がかかりに、今のうちに取り込むつもりなのだ。
そして、爛々とした目を大きくさせて、少し声を低くさせて、続けた。
「公国の領地になっている、西の砂漠の国に竜の群れが発見されましてね。」
竜。
魔術を志すものであれば、無視できない単語だ。
竜の生態はまだ謎に包まれている。その生態、巣、魔力、何もかもが研究対象であり、発見され次第保護の対象でもある、魔術士の憧れの生き物だ。
意外な男の口から上がった意外な単語に、マクシミリアン4世は動転した。何を言わんとしているのだ。
公爵は、また独り言のように続ける。
「あそこは何もないのですが、地脈が特徴的なので、公国の研究機関を置いているのですが、先代の公爵の代に、そこから報告が上がってきたのです。最初の報告からもう40年ほど前になりますかね。それも金の竜だというのですよ。竜の王は、背に何本も剣が突き刺さっている古龍だとか。」
「どうやら昔は豊かな土地だったらしいかの地が砂漠化したのは、その竜の背の剣が痛み続けているせいで、竜が雨を呼ぶことを止めてしまったそうです。その背に刺さっている剣の内の一本は、公国の研究者によると、勇者オズワルドの剣だと認められています。しかも、最近はどうやら群れに卵を抱えているらしく。」
竜の牙の中に入っている液体は、万病に効く妙薬として、大変な価値がある。
その中でも金の竜は効き目が最高のものとして、勇者オズワルドは時の世界王の姫君の不治の病を救うべく、討伐の旅に出たという神話がある。
成長不全の公女の為に八方手を尽くしていた公爵は、なんとかしてこの竜の牙を手に入れようと、ここ十数年様々な方法を模索していた。
「調査団を派遣しているのですがね。何分ロッカウェイは軍を持たないのでね。竜の巣近くまではたどり着けるのですが、そこからは接近には成功した事はありません。ありがたい事に、ジジの病の件での牙は不必要となりましたが、いかがでしょう。」
そこでようやく、公爵は、マクシミリアン4世に向き合った。
「竜の背に刺さった剣の除去に、フォート・リーから軍を派遣いただけないでしょうか。竜の巣までは砂漠に強いうちの学者が案内しますので、実際の剣はマクシミリアン4世の名を冠した討伐隊の手で取り払っていただけたら。かの地にまた雨が降り、豊かな実りの森となるでしょう。」
勇敢なる竜の戦士の名誉は全て、フォート・リーの物に。豊かな大地はロッカウェイ公国に。そして、竜の巣で発見される様々な魔力の関連物は、アストリアの研究所にて分析され、魔術の研究に深く貢献される。
マクシミリアン4世は、理解した。
この男の、先ほどからの爛々とした目の理由はこれだ。交渉を持ちかけているのだ。
成長不全の子を思う親の顔を最大限に利用して、この場を外交の大舞台に仕立て上げた、遣り手の狸だ。
賭博の中毒者によく、こんな目をしている男達がいる。
おそらくこの狸は、外交の大舞台の高揚感の中毒なのだろう。
だが。
フォート・リーの武王は考えた。
竜の背に刺さった、伝説の勇者オズワルドの剣を引き抜いて、オズワルドを超える伝説の武人として、世界にこの名を残す。
卵から孵した金の子龍を従えて、黒いマントを翻して。砂漠の乾いた大気に、竜の咆哮が響き渡るのだ。王、マクシミリアン4世に栄光あれ!
うっとりする。
男の大ロマンだ。
大陸の覇者となった世界王の自分と、勇者オズワルドの正統な後継者として、勇者の剣と金の子竜を従えた己の姿の両方を天秤にかけてみる。
ゾクゾクするのはどちらだ。
無論後者だ。王国は、ガートルードが好きにすれば良い。平和な匂いの漂い出した国の統治など退屈だ。
私は冒険の旅に出るのだ。
血が沸き、肉が踊る。砂漠への、勇者の旅だ。
「お引き受けいたしましょう。」




