116
意地悪な陰口のさざめきが、爆笑の渦に変わる。
この小さな、うら若い、見るからにウブそうな娘が、大勢を前に、男性器の表現について、何かを言おうとしているのだ。気の毒そうな顔、下卑た顔、心配そうな顔、興味深々の顔、笑いが止まらない顔、ともかく皆、話を聞こうとレイチェルの次の発言をまつ。
「。。あー、ジーン嬢、詳しい説明を求める。」
フォート・リー王は流石に言葉を和らげて、発言を促した。
レイチェルに嫌味な発言をした神官は、真っ赤になったり真っ青になったり、己の発言がこの妙な状況の呼び水となった事を深く後悔している様子だ。
衆人環視の中で、気の弱い貴族令嬢であればこの状況に羞恥で卒倒しているだろう。
そうでなくとも、貴族社会で若い令嬢が男性器について、公衆の面前で直接的な表現をしたともなれば、社会的には終わる。しかもこの娘は未婚だ。
相当な覚悟と、相当の自信があっての事だろう。
王はフォート・リー側に、静まる様合図を送る。
レイチェルは、会場が少し静まった事で安堵して、続けた。
「二重の三角形は、男性器の大きさが通常の大きさの倍、上部引かれた三本の線は、女性に与える快楽の度合い、それから真ん中に書かれた永遠を示すその印は、全体的な子種の総量、すなわち一晩での活動可能係数です。この場合は永遠を示す記号が入れられているので、限度がない、と言ったところでしょうか。」
生々しい内容に、会場のあちこちで再びクスクスと笑いが聞こえてくるが、レイチェルはあくまで学術的な内容を説明しているので堂々としたものだ。
「失礼御令嬢、その、内容についてはどこからの引用で、、、」
おずおずと、ロッカウェイの古代魔術研究者が挙手した。
レイチェルは、丁寧に淑女の礼をとり、きっと言い放った。
「私の名は、レイチェル・ジーンと申します。アストリア国の子爵令嬢です。私が望んだわけではございませんが、縁があってここにおります。」
レイチェルの、満場を前にしたフォート・リーへの強烈な嫌味だ。
(貴方達に笑われている私は、人道的とは言えない方法で、ここに連れてこられているというのに、意地悪な陰口を叩かれる理由も、笑われる筋合いも、舐められる筋合いも無いわ。)
フォート・リー席の、赤く顔を強ばらせている宰相に、レイチェルはチラリと目をやって、そのまま続ける。
「出典は、ありません。ですが今でもこの印は、文字の読めない下級娼婦が、男の子の下穿きに、御守りとして必ず縫い付ける紋です。女の子の紋もありますが、形が全く違うのです。」
会場から笑い声は消えて、ざわめきが満ちてきた。
文字も読めない様な、下級娼婦の子供の下穿きに縫われている紋など、存在も知っている者など、この場には誰もいないのだ。
皆魔術の研究者だ。貪欲な知識欲を刺激したらしい。
「。。。娼婦は世界が誕生した際の最古の職業で、太古は巫女も兼ねていた、という。」
アストリアの神殿長には少し、レイチェルの発言内容に心当たりがあるらしい。
ゆっくり言葉を繋ぐと、優しく問いかけた。
「レイチェル嬢、君の様な貴族の若いご令嬢が、娼婦の息子の下穿きの紋など、何故知っている?話によっては君の評判を、いたく傷つける事になることは思わないかね。」
再び会場からは下卑た笑い声が漏れ出てきた。
「王都の外れの孤児院に、実家の子爵家は長年寄付をしているのです。孤児院の子供は、時々服は古着の寄付があるのですが、下穿きや靴下は消耗品なのに、なかなか手に入らないんです。それで、2年前から子爵家で布だけ買って、わ、私が新調していて。。」
洗濯を手伝った時にあまりに下穿きがひどくて驚いて、とモゴモゴと言い籠る。
先ほど堂々とした態度とは大違いだ。
全員分の既製品を買ってやれば良いが、1人何枚もとなると、レイチェルが直接縫った方が、相当安くつく。浮いた分で、直接肌に触れるのに、質の良い布を買ってやれるのだ。
質実剛健といえば通りが良いが、こんな所で子爵家のケチがバレてしまった事に恥ずかしく思い、顔を赤くする。
だが神殿長がそっと暗喩した、未婚のレイチェルが男性の下穿きを目にする様な状況についての不名誉には考えも及ばないらしい。
その場の全員が、(赤面する場所が違う)と心の中でのけぞった。
「大体半分くらいの子供が王都の裏通りの娼館から、育てられないからと、連れてこられた子供なのですが、その子達の男の子の下穿きには、必ずこの紋の刺繍があるんです。」
レイチェルは手元の資料に印をつけた場所を示す。
「刺繍には、縫い付けた人の思いがたくさん詰まっています。身一つ、着ているものだけで孤児院に置いてこられた子供に、その、刺繍にどんな思いが込められているのか分かれば、私が子供の下穿きを新調する時に、刺繍に込められた思いを引き継いでやれると思って。。。」
レイチェルは恥ずかしくて、声は小さくなり俯いてしまう。
もう誰もレイチェルを笑う者はいない。
孤児院の洗濯を手伝うだけでも、おそらく貴族の令嬢でそんな事をする娘など、聞いた事もない。
ましてや子供達の下穿きに心を痛め、手ずから縫ってやり、古い下穿きに見つけた刺繍に託された母の思いを守ってやろうと、しているのだ。
後ろの方の席で、鼻をすする音が遠慮がちに聞こえる。
皆、次の言葉を待っている。
「それで、直接聞いてみたんです。」




