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レイチェルの顔を見るのは、泉からもう一週間ぶりだ。
正確には、レイチェルの滞在している部屋に様々な魔術を仕掛けて、一目でもレイチェルの姿をみようと工夫をしていたのだが、ある日、ルーナという名のレイチェルの侍女がやってきて、「乙女の寝室を覗く様なゲスな真似はいい加減にしろ」と凄まれて、やめた。
レイチェルの顔をようやく見ることができて、ゾイドは嬉しくて天まで登る心地だが、レイチェルの手に巻かれた包帯と、首から下げられた大きなサファイア、そしてまだ風邪を引いているのだろう、少し潤んだ目を見て、どの言葉を紡いでいいのかわからなくなっている。
「泉、ぶり、ですね。」
レイチェルは困った様にゾイドに声をかけた。
「。。すまなかった。」
ゾイドはなんとか謝罪の言葉を絞り出した。
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一週間前のことだ。
ゾイドは泉のほとりで、レイチェルの膝にすがって、泣きじゃくった。
ひとしきり泣きじゃくったその後、濡れそぼったレイチェルの胸に光る、大きなサファイアに気がついたのだ。
ゾイドにはそのサファイアに見覚えがあった。
先日王宮の魔法騎士に下賜された、王女ガートルードのサファイアだ。そして、その首飾りは魔法を使って鍵がかけられている事も。
(あの時の目は、、そういうことか!!!)
ゾイドはジジを見送る際に太陽の騎士からゾイドに投げられた、訝しい視線の意味がようやく理解できた。
ゾイドはガバリと体をあげると、一瞬にしてバルトと共にいるルークを見つけ出し、いきなり凄まじい数の氷の矢を降らせたのだ。
ゾイドの目は憤怒で燃える。
レイチェルは知らなかったが、ガートルードの首飾りを留める際にルークが使った魔法は、術者の命が消えない限り、もしくは物質的に対象物を破壊しない限り、決して外れない、古いフォート・リーの婚約に利用される魔法だったのだ。
通常は婚約が成立した時点で、夫になる男が、贈った装飾品にこの魔法をかけて妻となる女を飾る。
遠くに戦争に行く夫の無事を案じた妻達が、夫の無事を知る為に始まった、軍事国ならではのこの国の伝統だ。
(この男は、レイチェルを妻にと欲している。)
すんでのところで、ルークの横にいたバルトが対魔法の結界を張った。
恐ろしい数の氷の矢は弾かれて、一面に散らばってゆく。
後一瞬でも遅ければ、ルークはハリネズミになっていただろう。
その次の瞬間ゾイドはルークの目の前に躍り出て、氷の大魔術を展開する。ルークは魔法の施された剣でその展開をなぎ払い、二人は戦闘態勢に入った。
その時だ。
「痛い!」
弾かれた氷の矢の破片が、レイチェルのところまで飛んできたらしい。
レイチェルの手に、小さな傷がついて、血が流れた。思わず声が出た。
「「レイチェル!」」
先ほどまで戦闘態勢だった二人の男は、展開中の魔術も放り出して、もうお互いの事などどうでも良いかの様に、泉に飛び出した。
「お二人とも!いい加減になさって!」
愚かな男たちを制したのは、勇気ある王宮メイドだ。
ルーナだ。
バルトが、寝間着でルークが連れ去ったというレイチェルの為に、専属の侍女を連れてきたのだ。
ルーナは泉にざぶざぶ入ってレイチェルを抱き抱えると、二人を一喝した。
「レイチェル様は!前の風邪が直ったばかりなんですよ!それなのになんですが、ルーク様は寝間着で大勢の殿方の前に連れ出すし、貴方がゾイド様ですか?貴方はレイチェル様を、こんな氷の様に冷たい泉に立たせて、勝手な思いのたけをぶつけるだけぶつけて。挙げ句は二人してレイチェル様に傷をつけるなど、お二人とも、レイチェル様を愛しているなら、少しはレイチェル様の身をお考えになったらどうですの!」
ルーナの身分で二国の貴公子達にこんな失礼な事を言えば、大変な問題になることは間違いないが、だがルーナはそれ以上に勝手な男達に振り回されたレイチェルの身が哀れでならないのだ。処分するなら処分したら良い。レイチェルを本当の意味で守ってやれるのは、この場の高貴な身分の誰でもない。ただの王宮メイドのルーナだけだ。
実際、レイチェルは寒さで体の震えが止まらないし、未婚の令嬢だというのに、大勢の男達を前に濡れた寝間着に、かろうじてローブをかぶっているという格好を晒している。
その上手には怪我までして、本当に酷い状況だ。
ルーナは大急ぎでレイチェルを、焚き火まで連れてゆき、暖かいお茶を作ってやり、ずっと冷え切ったレイチェルを抱えて、まるで出産直後の母猫の様に男達は決してレイチェルに近づけずに、レイチェルを無事連れ帰ったのだ。
王宮に帰った後も、ルーナはレイチェルの発熱を理由に、どの男達も近づけなかった。
今日が、泉から初めての外出なのだ。




