93話、鴨池とタレがたっぷりの焼き鳥
午後の心地よい陽気の中、木々が漫然と生える街道を進んでいると、突然眩しい光が視界の先にあらわれた。
私は反射的に、魔女帽子の広いつばを光避け代わりに引っ張ってしまう。すると頭上から小さな悲鳴が聞こえた。
「あわわっ、ちょっとリリア、私座ってるのよ!」
「あ、ごめん」
悲鳴の主は妖精のライラだ。
彼女は基本的に、私の魔女帽子のつばを定位置としている。私が光避け代わりにつばを引っ張ったため、帽子に座る彼女がずり落ちかけたのだろう。
「いや、なんかいきなり眩しくなったからつい……」
「確かに眩しいけど……私からしたら、目がくらんだと思ったらいきなり滑り落ちかけて、まるでこの世の終わりだと思ったわ」
「ライラのこの世の終わり軽すぎじゃない?」
それだけ予想外だったという事だろうけど。
それにしても、この突然の眩しさは何なんだろう。私は目を細めて街道の先を見据えてみた。
街道の先では、漫然と生える木々が突如消えてぽっかりと開けている。そして木々の代わりとばかりに湖が広がっていた。
どうやら突然の眩しさは、午後の陽ざしが湖の水面に反射したものらしい。空を見てみると雲が結構あり、短い時間の中で太陽の光が消えたり差したりしている。
「湖に光が反射していたんだ。いきなり日が差したせいで、一気に眩しくなったんだろうね」
言っている合い間に、太陽は小さな雲に覆い隠されて強い日差しが消える。
それを幸いとばかりに私は急ぎ足になり、湖へと近寄ってみた。
近くで見てみると、それはミスリア湖と比べるどころか、湖というほどの大きさですらなかった。池くらいの規模で、静かな水面が街道の右端から広がっている。
「うわ、すごいな」
「本当ね、ちょっと驚いたわ」
なのに私とライラが思わずそう感想を漏らしたのは、その池にたくさんの鴨がいたからだ。
全体的に茶色だが、羽根の一部には鮮やかな藍色がはしっていて、小さく生える羽根がまだら模様のようになっている。
鴨の種類は良く分からないが、確か野生の鴨以外にも、アヒルと交配させた合鴨がいるはずだ。
水面を埋め尽くしそうなほどたくさんいる鴨をざっと見渡してみるが、この鴨たちが野生か交配種かはさすがに分からない。
ただ人間の私が居るのに近くをすいすい泳いでいるし、大分人に慣れているのだろう。
「あ! あそこに橋があるわよ」
ライラがひょいっと魔女帽子から飛び降り、私の目の前で羽ばたきながら一方を指さす。
街道をもう少し先へ行った辺りで、この鴨がたくさんいる池とその先の街道を繋ぐ橋がかかっていた。
驚くことに、その橋にもたくさんの鴨が群がっている。手すりの部分とか鴨が整列していた。何してるんだあの鴨たち。
「せっかくだからあの橋を渡ってみましょうよ!」
たくさんの鴨を見て興奮しているのだろう、ライラが羽ばたいて先へ行ってしまう。
今歩いている街道はあの橋を横切る形でまっすぐ続いているが、ここはせっかくだから橋を渡って別の街道を進むのも悪くない。別に急いでいる旅ではないのだ。寄り道を楽しもう。
ふわふわ飛んで大分先に行ってしまっているライラを追いかけるべく、私は小走りで後をついていった。
そして橋へとたどり着くと、さすがに私も絶句してしまう。
橋は木製作りで何の変哲もなく、少し色があせているかな、程度で渡るのに不安は感じない。
しかし、手すり部分どころか、肝心の歩く部分までたくさんの鴨が徘徊していたのだ。
手すり部分の左右は鴨が整列し、歩くところはたくさんの鴨が我が物顔でうろうろしてる。もうこれは橋というより鴨の巣だ。
こんな中を歩くのは少し気後れしてしまうけど……。
「ほら、行きましょうよリリア。鴨がいっぱいよ!」
ライラは私の肩の衣服をぐいぐい引っ張り、気を急かしてくる。
なぜだ、この鴨の群れの中でどうしてそんなにテンション高いの。私ちょっと怖いんだけど。
この橋に足を踏み入れたとたん、縄張りに侵入した外敵とみなされて襲われないだろうか。
不安はあったが、こうなったら覚悟を決めるしかない。私は恐る恐る橋を渡りだした。
「わっ、皆見てるわっ」
私が橋を渡りだすと、左右の手すりで整列する鴨が一斉にこちらをじろじろ見始める。
怖いんだけど……なんでライラ楽しそうなの。
「と、通るだけだから……通るだけだよ、本当……」
びくびくしながら橋を進んでいき、気づけばもう三分の一まで踏み込んでしまっていた。
ここの鴨は人に慣れているのか、まったく逃げようとしない。足元を徘徊する鴨も、私が足を進めると道を譲るように左右へ分かれる。時折私の靴を踏んでいく奴もいた。それはさすがに失礼だよ。
人に慣れている様子とはいえ、妙な動きを見せて野生の本能を刺激したくない。私はできるだけゆっくりと歩き、鴨がたくさんいる橋をどうにか渡り終える。
「はぁ~……何か疲れた」
橋を渡っている最中、鴨に監視されているような心地だったので、それから解放された安ど感で包まれる。
「あんなに近くでたくさんの鴨を見られて楽しかったわね!」
「……そう? 私、鴨にプレッシャーかけられたの初めてで疲れたよ」
楽しそうなライラとはうってかわり、私は深いため息をついた。
しかし、こうして鴨たちからのプレッシャーから解放されたせいか、どうにも小腹が空いてくる。
いや、小腹が空く理由はそれだけではない。私は少しだけ注意深く鼻で息を吸う。
「……何か良い匂いしない?」
「え? そう? ……うん、確かにするかも。何だか香ばしいというか、そんな感じの匂い」
「ねっ、これ絶対食べ物の匂いだよね。どこからだろう」
匂いに誘われるように街道を進みだす私たち。
すると、すぐにその匂いの元を発見できた。
街道の端っこの方で火を焚き、何かを焼いている少女がいたのだ。この良い匂いは明らかにあそこからだ。
その少女の近くには小さな台があり、そこには何やら紙コップが並べられている。紙コップには串のようなものが何本も入っていた。
もしかして焼いた何かしらを紙コップにいれ、それを売っているのだろうか? いや、売っていて欲しい。お腹空いた。
私は恐る恐るその少女の方へと近づき、声をかけてみる。
「あのー……もしかしてこれ、売ってるんですか?」
「あ、はい、そうですよ。買っていきますか?」
たき火で何かを焼いているらしい少女は、私の方を見てにこやかに笑う。
その焼いている何かが完成したのか、少女は私の方へ近づいてくる。その手に持っているのは肉が刺さった串だ。どうやら串焼きを作っていたらしい。
少女はその串焼きを紙コップの中へいれ、改めて私の顔を見て微笑んだ。
「今なら出来たてで、よりおいしいですよ」
確かに良い匂いが漂っている。もうこれを買って食べると決めているが、一応聞くだけ聞いておきたいことがあった。
「これって……何ですか?」
「焼き鳥です」
「えっ、焼き鳥?」
「はい。焼き鳥です」
……私は思わず先ほどの鴨がたくさんいる池を見た。
なぜ鴨がいっぱい居るここで……この匂い、鴨にも届いていそうだけど。
「この辺りでいつも売ってるんですけど、なぜかここが一番売れ行きがいいんですよね」
どうしてでしょう? とばかりにくすくす笑い出す店員。
本当どうしてだろう。鴨が近くに居て何か食べにくいのに。
でも私も買うつもりになってるし、何かこう……相乗効果でもあるのだろうか。鴨見たから鳥の肉を食べたくなるとか、そういうの。
私は改めて、紙コップの中を覗いてみる。
紙コップには六つほど串が入っていて、そこには焼かれた肉が刺さっていた。タレをつけて焼いているのか、どれもこげ茶色系でテカっている。
そしてこの香ばしい匂い。匂いだけでタレが甘辛系だと分かる。食べればきっと、肉汁と甘辛いタレが絡んでくるのだろう。
あ、食べたい。すごく食べたい。
「とりあえず紙コップ一つ分ください」
「はい、お買い上げありがとうございます。出来たてのを差し上げますね」
少女にお金を払い、焼き鳥が入った紙コップを受け取る。六本も入っているので、ライラと分けたとしても小腹を満たすのには十分だ。
出来たてなのでこのまますぐ食べたいところだが、さすがに売っている人を目の前にして食べるのは気後れする。なので私はちょっとだけ街道を戻ることにした。
しかし戻ったら戻ったで鴨がたくさんいる池が視界にうつる。それはそれでどうなんだ……と思ったが、食欲が限界なのでもうこのまま食べることにした。
串はやや小さめで一口サイズのお肉が五つほど刺さっている。ライラでも手で持てて食べやすいタイプだ。
ライラと二人、串を片手に食べ始める。
「あー、甘辛くておいしい。何か若干ジャンクな感じなのがいいかも」
タレがたっぷりついていて、お肉はべったべたになっている。なのでもうほとんどタレの味。でもどことなく肉汁と肉の旨みが見え隠れしている。
「本当ね、タレの味が強くてジャンクな感じ。でもおいしいのに間違いないわ」
ライラもご満悦なのか、小気味よく鼻歌なんて歌いながら食べている。
しかし……こうして鴨を見ながら焼き鳥食べるっていうのも、変な話だよなぁ。
「あ……!」
ふと私はある事を思いだし、戦慄に声を漏らした。
この前通ったくるみ街道。そしてそこで取れるくるみを使ったくるみパンを売っていたパン屋さん。
まさか……この焼き鳥は。この肉は……。
あの鴨たちは人間に慣れていて、近づいてもろくに逃げようとしない。捕まえるのは簡単だろう。
正直、そうだったとしても知らなくていい事実だろうが、思いついてしまうと頭の中でちらちら影がよぎる。
事実をはっきりさせたくなった私は、急ぎ足でさっきの少女の所へと戻った。
「あの、この肉ってもしかして鴨……?」
「? いいえ、違いますよ」
慌てた剣幕で鴨肉かどうか聞く私が変だったのか、少女はきょとんとした顔をしていた。
そうか……良かった。鴨見ながら鴨肉食べるとか、そんなことにはならなかったようだ。
「いやー、すぐ近くに鴨がたくさん居るものだから、そうなんじゃないかって思っちゃって」
安ど感のあまりへらへら笑いながら言うと、少女はにこやかに笑う。
「これは鴨肉じゃなくて、豚肉ですよ」
「え?」
意外な言葉に、私は呆けた声を出した。
「豚肉……? 焼き鳥なのに?」
「ええ、そうですけど」
「それは……焼き鳥なの?」
「はい、焼き鳥です!」
「……?」
え、どういうこと。
よく理解できない私は、混乱したまま豚肉の焼き鳥を食べてみる。
タレがたっぷりかかっているせいか、もう何の肉とか分からなかった。




