88話、小舟で湖遊泳と、特製湖魚弁当
湖町クラリッタで一泊した翌日。
せっかくミスリア湖という観光地があるのだからと、私とライラは改めてミスリア湖観光にしゃれ込むことにした。
昨日はミスリア湖周囲の遊歩道を散策したのだが、今日は違う。
実はクラリッタでは小舟を貸し出ししていて、ミスリア湖を遊泳する事ができるのだ。
なのでせっかくだから、今回は小舟でミスリア湖を遊泳し、湖の内側から楽しもうと考えたのだ。
最初は広い湖を小舟で遊泳って洒落てるじゃん、なんて思って楽しみにしてた私だが、実際に小舟をこいでみると、すぐにとある問題に直面した。
その問題とは……。
「あ……やばい……もう無理、こげない……」
そう、小舟をこぐのは結構大変だったのだ。
最初こそ意気揚々と小舟をこいで湖の真ん中まで来たのだが、そこから一気に腕がパンパンになり、もうこぐ気力が尽きてしまっていた。
だだっ広いミスリア湖の中心で、周囲を大自然に囲まれながら、私はぜいぜいと息をつく。
「リリア、大丈夫?」
ライラが心配してくれるものの、私は声を出す気力すらなかった。ただ首を振って、もう無理っ、とアピールする。
「腕……腕がもげる。これ以上は絶対取れる。腕、取れる……」
「何言ってるのよ、人間の腕は簡単に取れたりしないわ」
「ならライラは今日人間の新たな一面を見ることになるね……」
「腕もげるのが人間の新たな一面なの? っていうかリリア、腕もげる気満々なのね」
私だって腕もげたくない。でも本当に腕が痛いのだ。
小舟を動かすためには、そなえつけの「櫂」で水をかきだす必要がある。しかし、それが思っていた以上に重労働なのだ。
漕いでみて分かる。水って意外と重い。
考えれば、この広い湖を形成するほど一か所に水が集まっているのだ。それを表面だけとはいえ動かすとなると、かなりの力が必要なのは当然だろう。
とてものこと、非力な魔女の私では耐えられない重労働だ。腕がもげるのもしかたない。まだもげてないけど。でもこれ以上こいだら多分もげる。
「はぁ……もうやだ。小舟なんてこぎたくない」
倒れ込むようにして小舟の上で寝転がり、ぼうっと空を見上げる。
今日は晴天だった。青い空はこの湖の色も投影しているのか、爽やかな美しさがある。
湖の真ん中。小舟に寝転がって青空を眺める。ああ、疲れたけどこれはこれでいいかも。何かすごく健康的。
まるで私がこの青空の中に溶け込んでいくようだ。周りは湖で、空は突き抜けるように広く、耳を澄ませば魚が泳いでいるのか水の音、小鳥のさえずり。
……そうか、今私は自然と一体化しているのだ。
私は魔女であり自然の一部なのだ。ああ、腕がもげそうなくらい痛いけど、これはある意味自然の痛み。ならば受け入れよう。自然と共に暮らす魔女として……いや、人間として。
「リリア、現実逃避するのはいいけど、これからどうするつもり? ここ、湖のど真ん中よ。舟をこがないと陸に戻れないわ」
「……ライラぁ、それを自覚したくなかったんだよぉ」
泣きそうな声で私は言った。
そう、戻るには舟をこぐしかない。しかしこれ以上こいだら腕はもげる。腕がもげたら舟はこげない。
詰みだ。私の旅詰んだ。魔女リリア、ミスリア湖中心で旅を終える。原因は腕がもげかけたこと。
「……まあリリアが舟をこげなくなっても、私は空飛べるし」
「ライラだけずるい……」
「いや、リリアも飛べるでしょ」
「箒、っていうか荷物は全部宿屋に置いて来たんだよ……箒が無いと飛べない……あっ」
いや、別に箒じゃなくても代用品があれば飛べるのか? 試したことは無いけどいけそうかも。
「櫂を箒代わりにすればいける……? いや、いっそのこと舟ごと浮かせられるかもしれない。大きい箒みたいなものでしょ舟なんて」
「……さすがに舟ごと浮かせるなんて、腕がもげるより大変そうな気もするけど?」
ライラの言う通りではあるが、いよいよとなったら取りあえずここから脱出はできそうだ。
危ない危ない。こんな旅の終わりは洒落にならないよ。
しかし、なんだろう。さっき青空を見て呆けていたからか、最悪櫂を箒代わりにして脱出できると気づいたからか……なんだか、お腹が空いてきた。
「……とりあえず、ごはん食べよっか」
「この状況で? リリアずぶとーい……」
ライラに呆れられるも、お腹が空いたのだからしかたない。とりあえずごはんを食べて元気を出さなければ。
おそらく時刻もお昼時だろう。私は小舟のすみに置いてた包みを引き寄せた。
実はこの小舟を借りる前に、小舟の上でミスリア湖を眺めながらごはんを食べたいと思って、弁当を買っていたのだ。
湖町クラリッタもミスリア湖を観光地とする町だ。おあつらえ向きに、ミスリア湖で釣れる湖魚を使った名物弁当があった。
クラリッタは交易が盛んな観光地なので、パンとお米、どちらも良く食べられている。
なのでこの名物弁当はお米がベース。メインは湖魚のフライで、エビと豆の煮物と貝が入った出し巻き卵もあった。
エビも貝もこのミスリア湖で取れた物らしく、まさにミスリア湖の大自然を堪能できる弁当なのだ。
さっそく包みを開け、弁当を開放する。容器は耐水製の紙でできたお弁当皿。ごはんとおかずがしきいで区切られていて、見た目が良い。
まず最初に食べるのは、やはり弁当のメインである湖魚のフライだ。
川魚なら何度も食べているが、湖魚は川魚と明確な違いがあるのだろうか?
海と繋がっている川は多々あるが、湖は基本的に海とは繋がっていない。そもそも川のように上流や下流なども基本なく、水の流れがそこまで無いはずだ。
それが生息している魚の種類に影響を与えているとなると、意外と湖魚は珍しい食べ物かも知れない。
湖魚のフライはパン粉でコーティングして油であげられている。もともとの姿が全く分からない状態だが、ひとまず一口食べてみよう。
がぶりと、フライの先端部分をかじってみる。
するとサクっとした食感と共に意外と肉厚な身が出迎えてくれて、噛みちぎるとじゅわっと中の水分が出てきた。
そのまま味わいながら食べてみる。衣の香ばしさが強く、肝心の魚の身は結構淡泊だが、塩味が効いている。
そしてなぜだかレモンの爽やかな風味があった。不思議に思って湖魚のフライを見てみると、表面に薄ら黄色い物が付着していた。
どうやらフライにした後、レモンの皮を削ってかけているらしい。これのおかげで淡泊な湖魚のフライにレモン風味が混じり、塩気と相まって上品な味に仕上がっている。
フライをもぐもぐ食べつつ、ごはんも口に運ぶ。思えば、こうしてお米とおかずを一緒に食べるというのにも慣れたな。
でもやや淡泊で塩気とレモン風味があるフライは、ごはんがそこまで進むとはいえない。おいしいのには違いないけどね。
そこで私が次に手を伸ばしたのは、エビと豆の煮物だった。これは見るからに茶色くて味が濃そうだ。
エビはかなり小さめで、豆よりちょっと大きい程度。豆はおそらく大豆だ。
小エビと豆を一緒に食べてみる。やはり思った通り味が濃い。甘辛いというか甘しょっぱいというか、甘みと塩気が混じった味わいだ。
そしてこのあましょっぱさが意外とごはんに合う。ごはんを口に運ぶと、いい感じに中和されておいしかった。
エビと豆の煮物の味を確かめたところで、残していた貝入りだし巻き卵の番だ。
だし巻き卵は綺麗に形が整えられていて、表面は薄ら焼き後がついている。
これは一口サイズに切られていたので、まずは一個口に運んでみた。
「うん、これおいしい。貝の食感も面白い」
柔らかいだし巻き卵を噛むと、具材の貝が食感の良いアクセントになってくれる。貝自体も旨みが強く、卵に貝のダシを吸わせているようだ。
塩気とレモン風味が爽やかなフライに、味が濃い目のエビと豆の煮物、そして貝のダシが効いただし巻き卵。湖のど真ん中で食べていると、おいしさが二割ぐらい増している感じ。
こういうお弁当タイプのごはんも悪くない。なんだかちょっとしたピクニック気分に浸れて良い物だ。
腕がもげかけていた痛みを忘れ、私はご満悦で舌つづみを打つ。
すると一緒に食べていたライラが、少しだけため息をついた。
「どうしたの? 口に合わなかった?」
「ううん、ただ、このエビがカニだったら良かったのになって思っちゃったの」
……なんだそれ。あ、そういえばライラってカニでテンション上がるタイプの妖精だっけ?
エビではテンション上がらないんだな。どうなってるんだ妖精って。
また新たな妖精の不思議な一面を見つつ、お弁当を全て平らげる。
「ふー、かなりおいしかったな。私も今度、パン粉をつけてフライにする料理やってみようかな」
「それは楽しみだけど、これからどうするの?」
「え?」
「まだ湖のど真ん中よ」
「……そうだった」
ごはん食べてたらすっかり忘れていた。
「ちょっと休んでごはん食べたら腕もげる感が少し減ったし、がんばって舟こいでみようかな」
「それがいいわ。空を飛ぶ小舟なんて絶対に目立つもの」
本音を言うと、もう舟をこぎたくなかったのだが、やらないと陸に戻れない。
だから、とにかく私は必死に舟をこぎ続けた。
……そして十数分かけてようやく陸に小舟がたどり着いた時。
私の腕はもげていた。もげているとしか思えないくらい痛かった。腕もげてるよこれ。
「う、ううううう、もげてる……これ絶対もげてるよライラ……」
「もげてないもげてない。人間の腕はもげないものよリリア」
「いやいやいや、もげてるっ、これもげてるっ。もげてる感すごくあるもんっ」
小舟から降りて近くのベンチに座った私は、しばらくライラにそう訴え続けるのだった。
……もう舟はこがない。




