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84話、ベアトリス特性ラズベリージャムパン

「お~い、リリアー、クロエー」


 そろそろお昼時になろうかという頃合い。

 連続する小高い丘を歩き続けていた私たちは、空から降ってくる聞き覚えのある声を聞いた。


「この声……」


 誰の声かすぐにピンときた私たちは足を止め、皆で空を見上げる。

 ここよりやや遠くの空に、箒に跨る魔女の姿があった。遠目ではっきりと顔は見えないが、その雰囲気と声から誰か分かる。


「モニカだ。どうしたんだろ」


 箒に乗って空を飛びながらこちらに近づいてくる魔女は、間違いなくこの前別れたばかりの幼馴染だ。

 モニカは魔女によるマジックショーを行う団体、ルーナラクリマに所属している。一時私の旅に同行していた彼女とは、ルーナラクリマに復帰するため別れる事になったのだ。


 それがほんの数日前の話だけど……どうしてこの辺りに戻ってきたんだろう。私たちに何か用事でもあるのだろうか。

 ひとまず、モニカがたどりつくまで待つことにした。ものの数分でここまでやってきた彼女は、箒から降りてスカートを払う。


「ふぅ、まさか会えるとは思ってなかったわ」


 開口一番そんなことを言うモニカに、私は首を傾げた。


「私たちに用事があるんじゃないんだ?」

「うん、偶然姿が見えたから声かけただけよ。それに聞きたいことがあったし」

「聞きたいこと?」


 全く話が見えなくて、私とクロエにライラの三人は顔を見合わせた。


「この辺でジャムパン売ってるのを見たりしなかった?」

「ジャムパン? いや、見てないけど……え、まさかモニカ、ジャムパンを探してわざわざやってきたの?」


 ジャムパンとは当たり前だが、果実のジャムを入れて焼きあげたパンの事だ。

 そんな物、どこの町でも売ってると思うんだけど。


「それがただのジャムパンじゃないのよっ。すっごくおいしいらしいのっ!」


 なぜか興奮しだしたモニカは、事の経緯を語りだした。


「皆と別れた後、私すぐにルーナラクリマに戻ったのよ。そうしたらどこで聞いたのか、皆が妙な噂を教えてくれるわけ。なんでも、金髪で真っ白い肌の美少女がジャムパンを売りながら旅をしているって話なの」

「なんだその噂」


 確かに妙な噂だ。ジャムパン売りながら旅する? 普通。いや、しない。


「で、大事なのはここからよ。その美少女が売るジャムパンがかなりおいしいらしく、偶然出会って購入できたルーナラクリマのメンバーたちがすっかり虜になってたわけ。もう、どれだけおいしいかしつこく話し続けるのっ。それを聞いてたら私もどんどん食べたくなって……」

「で、思わず箒に乗ってジャムパン探しを始めた、と?」

「そうよっ!」


 力強く頷くモニカ。私の幼馴染大丈夫かな。自分が今どれだけアホな事言ってるのか自覚できてるかな。


「そのジャムパン売りの目撃情報をメンバーから色々聞いてみたら、不思議と私たちの旅した経路を追ってるのよっ。つい最近フェルレストの町近くに居たらしいわ! つまり噂のジャムパン売りは今おそらく、この付近に居ると思うのよっ」

「……なるほど、ようやくモニカが私たちの前にやってきた理由が分かった」


 せっかくルーナラクリマに戻ったというのに、噂のジャムパンが食べたくてこの辺りにとんぼ返りしたという訳だ。そして箒に乗ってジャムパン売りを探していたら、私たちを先に見つけた、と。


 となると、次にモニカが言いそうなことも大体予想できる。

 モニカは両手を合わせて、私たちに向かって頭を下げる。


「お願いっ、一緒にジャムパン売りを探してちょうだいっ」


 うん、そうくるだろうと思ってたよ。一人より複数で探す方が効率いいし、私もクロエも箒で空飛べるしね。

 どうしようか、とクロエとライラに視線で問いかける。この二人の反応も正直分かってはいるのだけど……。


「そんなにおいしいジャムパンなら、私も食べてみたいわ」


 ライラはモニカとまた会えて嬉しいのか、彼女の魔女帽子に向かって羽ばたき、ちょこんと座った。


「……私もジャムパン食べてみたいかも」


 クロエはちょっとそわそわしていた。こう見えて甘い物好きだから、言葉と表情以上に食べたいんだと思う。

 そして私も……そんなにおいしいと噂されるのなら、一度くらい食べてみたいと思う。


「よし、探してみよっか、そのジャムパン売りの美少女」

「ありがとうっ、やっぱり持つ者は幼馴染よねっ」


 感激してか、私たちの手を握りまくるモニカ。そこまで? そこまでジャムパン食べたい?

 話は決まったので、私も久しぶりにバッグから箒を取り出し、横乗りをして魔力を調整。ゆっくりと浮き上がる。


 久しぶりに箒に乗るが、乗り方を忘れるという事はそうそうない。何となく体が覚えているのだ。身に染みているとでも言うのかな。

 そうして魔女三人、箒で空を飛び、周囲を旋回しつつ辺りを見下ろしてみる。


 モニカの話からすると、件のジャムパン売りの目撃情報は、私たちの旅の道程をなぞる形らしい。

 なので当てもなく付近を探すよりも、今日まで歩いて来た道を辿る方が良さそうだ。


 ……しかし、目撃情報がちょうど私たちの後を追う形なのはちょっと変に思える。偶然にしては……ちょっと出来すぎな気がした。

 そんな不思議で奇妙な気持ちはあったが、それもジャムパン売りを見つけ出せれば、ただの偶然だったと氷解するだろう。


 そう思っていた私は、数日前止まったキャンプ場の入り口前で佇む人影を目撃し、ぎょっと息を飲んだ。

 あれは……あの日傘をさす少女は。

 驚いて思わず空で静止してしまう。するとモニカとクロエが近くへ飛んできた。


「どうしたの? 何かあった?」


 私の目線を追いかけて、モニカがどれどれと地上を見下ろした。


「あっ! あれよっ! 多分あの人が噂のジャムパン売りの美少女!」

「ええっ! あれがぁっ!?」


 モニカよりも大声を出して私は驚愕する。正直嘘だと言って欲しかった。


「昼間はいつも日傘をさしてるって言ってたから、間違いないわよ。降りて話しかけてみましょう」


 嬉しそうに声を弾ませながら、モニカは地上へと向かって箒を走らせた。クロエもそれに続き、二人が地上へ降りる。

 私は……ちょっと気が進まなかったが、しかたなく二人を追いかけた。


 そうして地上に降りて、日傘をさす少女の姿を正面からはっきりと見る。それとほぼ同時に、ライラがあっと声を出した。


「あら、久しぶりね。魔女リリア」


 血色が薄い唇が動いて、綺麗な声音で名前を呼ばれる。

 鮮やかな金髪に、雪のように白い肌。そして真っ赤な瞳。

 吸血鬼ベアトリス。そこに居たのは、間違いなく彼女だった。


 そして彼女は……だらだらと汗を流していた。澄ました顔をしているけど、昼間だからかなり辛いのだろう。よく見ると顔色は青白い。

 私とベアトリスの様子に妙な物を抱いたのか、モニカとクロエが怪訝な表情をする。


「リリア、この人と知り合いだったの?」

「うん……まあ、ちょっとね」

「なんだ、じゃあジャムパン売りの美少女の正体を最初から知ってたわけ?」


 モニカに言われて、私は首を振った。


「いや、それは知らなかった……っていうか、ベアトリスが本当にジャムパン売ってるの?」


 ベアトリスは微かに笑って、傍らに置いてあった小さいクーラーボックスを開く。

 するとそこには……透明な包装紙に包まれたジャムパンがいくつか積まれていた。


「そうよ。私は今、自家製ラズベリージャムパンを作って売りながら、旅をしているのっ!」


 ベアトリスはびしっと私を指さした後、どこか思いふけるように胸に手を当てた。


「あの日……あなたの前から去ってから私は、どうやって自由に旅をしようか、改めて考えてみたの。ただ旅をするだけではつまらないわ。自由に生きるためには、自由な意思で目的を持たなければいけないのよっ」


 ぐっと力強く拳を握り、彼女は私へ鋭い視線を向けた。


「そして私は決めたわっ。ラズベリー。そう、あの甘酸っぱくて真っ赤なラズベリーのおいしさを世界中に広めるのっ! それこそが私が旅する理由っ。自由な目的っ!」


 もうラズベリーのおいしさは世界に伝わってると思うんだけど?

 そもそも、私の血を吸うのはもういいんだ? 私としてはありがたいけど。


「そこで私は、旅をしながらラズベリーを活かした食べ物を売ることにしたわ。最初はケーキを作ろうかと思ったけど、保存とか色々考えてジャムパンになったの」


 確かにお店を構えて売るのと旅をしながら売るのでは、適した料理は変わってくるだろうなぁ。それに旅の途中で調理する必要もあるし。

 ベアトリスは更に続ける。


「私はこのラズベリージャムパンを売り歩いて、この世界をラズベリーで満たすの。そう、ラズベリーで世界を支配するのよ。そして私はラズベリー吸血鬼ベアトリスとして君臨するわ」


 なに言ってるんだこいつ。

 モニカとクロエが私の左右に引っ付いて囁いてくる。


「この人、可愛い顔してるけど大分ぶっ飛んでるわね」

「……常人とは思えない思考をしている」


 初対面の二人にはベアトリスの刺激は強すぎたのか、ちょっと引いてしまっていた。もちろん私も引いてる。

 当のベアトリスは私たちの様子に気づかないようで、日傘越しに空を見上げた。


「ああ……世界中の海と川と湖がラズベリーソースになればいいのに。太陽もラズベリーにならないかしら。もしそうなったら月はブルーベリーね」


 やっばい。日の光で吸血鬼脳が溶けてしまってるのだろうか? とても脳が機能しているとは思えない発言だった。

 どうしよう。ベアトリスの事を二人に詳しく説明するべきだろうか。

 実はベアトリスは吸血鬼で、今や自由意思を持った魔術遺産みたいな存在だと……。


 私はベアトリスとモニカにクロエ、三人の顔をゆっくり見回した。

 ラズベリーで世界を支配した時の事を想像しているのか、うっとりとして日傘越しに空を見つめるベアトリス。尋常ではない汗をかいている。

 それを見ながら、やばい人ね……と囁き合うモニカにクロエ。


 ……うん、やめておこう。今話したら、絶対私も脳みそがベアトリス側に思われる。幼馴染にそんな風に思われるのはいくらなんでも辛い。


「と、とりあえずさ、ジャムパンちょうだい。三個ね」

「はいどうぞ」


 すっとクーラーボックスを差し出され、そこから包装紙に包まれたジャムパンを三つ取り出す。

 料金は……それなりだった。旅をしながら作って売っているというコストをきちんと考えたまっとうな値段。ラズベリーで脳を侵食されてるとは思えない程まともだ。


 モニカとクロエにジャムパンを渡すと、彼女たちは困ったようにベアトリスを見た。さっきの発言をたっぷり聞いて、これ食べても大丈夫なのかと疑問に思ったのだろう。

 そんな不安を感じ取らないベアトリスは、にこっと笑顔で水を向ける。


「どうぞ、私に遠慮せず食べてちょうだい。改善点があればぜひ教えて。私は最高のラズベリージャムパンを作って世界を支配しなければいけないのだから」


 モニカとクロエは余計不安を抱いたのか、乾いた笑いを返していた。

 二人の気持ちは分かる。さっきの発言聞いてたらベアトリスはとてもまともじゃないもんね。


 でも私とライラは、ベアトリスの料理の腕を十分知っていた。なにせ彼女の手料理を二度も食べたのだから。

 だから迷うことなくラズベリージャムパンを食べる事にした。


 ベアトリス特性ラズベリージャムパンは、楕円形のふわふわのパンの中にラズベリージャムが詰まっているタイプだ。パンはきつね色に焼かれていて、香ばしい匂いがする。

 まずパンを半分にちぎり、ライラと分ける。そしてちぎった部分のラズベリージャムが覗く所から食べてみる。


「んっ! おいしいじゃん」

「そうね。相変わらず料理の腕は一流だわ」


 一口食べたとたん、小麦の甘みと風味が口の中に広がる。まずパンの部分がかなりおいしい。

 そして噛むとラズベリージャムの味がじわっと現れ、甘酸っぱさが香ばしいパンの味を包んでいく。


 あ~、これはおいしい。やっぱりベアトリスの料理の腕はすごい。お店で売っても問題ないどころか、人気になりそうなおいしいパンだ。

 こんなにおいしいなら、旅をしながら売らずにお店を構えて売ればいいのに。そうしたら色んな人が買いに来て、あっという間に色んな町に出店したりとかして。


 そうやって世界中の町に自分のチェーン店ができれば、実質ラズベリーで支配したも当然だろうに。

 真に受けられたら困るので、この事は言わずに胸に秘めておく。実行されたら、本当にラズベリーで世界を支配されそうだ。そうなったらもう私の旅終わりだよ。どこ行ってもベアトリスと出会いそうだもん。


 私とライラが余程おいしそうに食べていたのか、警戒していたモニカとクロエもそのうちにぱくっと一口食べ始めた。


「あっ、おいしいっ。ルーナラクリマの皆が言った通りだわっ」

「……これは、今まで食べたジャムパンの中で一番かも」


 私たちの反応に喜んでいるのか、ベアトリスは誇るように胸を張った。


「今はまだオーソドックスなジャムパンだけを売ってるけど、そのうち色々種類を増やすつもりよ。マフィンタイプで外にジャムをかけたり、ラズベリージャムをもっとドロっとさせてジャムコロネにするのもいいわね。いっそのことラズベリーをドライフルーツにしてシュトーレンやスコーンにするのも悪くないわ」


 本気だこれ。もっと色々なジャムパンを作って本気で世界をラズベリーで支配する気だ。並々ならぬ熱意を感じる。

 世界がラズベリーで支配されるうんぬんは置いといて、ベアトリスが作る色々なパンは大変おいしそうだ。食べられるのならぜひ食べたい。


 そんなことを思いつつ、ベアトリス特性ラズベリージャムパンを全て食べ終わる。甘くて糖分も取れるし、お昼ごはんにちょうど良かったかも。

 私たちが食べ終えて満足しているのを見て、ベアトリスは小型クーラーボックスから伸びる紐を肩にかけた。


「それじゃあ、私はもう行くわ。この辺りでは結構ラズベリージャムパンを売ったもの。実質支配したも同然よ」


 背を向けるベアトリスに、私は慌てて声を投げかけた。


「聞きたいんだけど、私の旅の道中を追いかけてたの?」


 ジャムパン売りの美少女、つまりベアトリスの目撃情報は、私の旅の軌跡をちょうど追いかけるような形だった。

 それはきっと偶然ではない。この前泊まったキャンプ場の前に彼女が居たことで、私はそう確信していた。


 するとベアトリスは、顔だけ振り向いて微笑する。


「あなたには私の目的を一度伝えておきたかったのよ。それに、このジャムパンの感想も聞きたかったから。これでようやく、私は自由に旅ができるわ」


 ベアトリスはゆっくりと歩き出す。そして今度は振り向きもせずに言った。


「でもきっとまた、いつか私とあなたは出会うわ。だって、お互い自由に旅をしているのだもの」


 きっとそうだと、私も思った。

 お互い自由気ままに旅をしているのなら、きっといつかまた会える。

 不思議と寂しさを感じながら、去っていくベアトリスの背を見つめる。すると彼女は突然、あっ、と叫んでくるりと振り向いた。


「次に会ったら絶対に血を吸ってやるんだからー!」


 大声でわめいたベアトリスは、何事もなくまた歩き出した。

 ……やっぱり私の血を吸うって目的忘れてたんだ。


「血?」


 捨て台詞にピンとこなかったのか、モニカとクロエが首を傾げた。

 でもすぐに彼女のこれまでの言葉を思い出したのか、また変な事言ってるよ、とばかりに気にもしなかった。


 ベアトリスの正体については……また今度二人に教えよう。私の脳みそがベアトリスみたいになったと勘違いされないタイミングで。

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