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66話、遺跡の魔術遺産

 丸二日ほどをかけ、ようやく私たちはクロエとの待ち合わせ場所である魔術遺産へとたどり着いた。

 その魔術遺産は起伏のある立地にあり、地面の途中で地下へと続く石積みが形成されていて、遺跡のような見た目をしていた。地下に続く階段の周りにはボロボロの石柱がいくつかあり、薄暗い地下への侵入を拒んでいるかのようだ。

 空からは明かりがすっかり失せてしまっている。まだ夕刻頃だが、寒冷地なので日が沈むのが早いため、もう辺りは真っ暗だ。


「ねえモニカ、この魔術遺産ってどういう物なの?」


 地下に続く遺跡のような見た目の魔術遺産を上から物々しく見おろして、私は尋ねた。


「さあ? 詳しくは知らないわ」


 モニカのそっけない言葉に私は絶句する。


「な、なんで聞いてないの?」

「え? だって興味なかったもの」


 あっけらかんと言うモニカへ、私は信じられないとばかりに白い目を向けた。

 魔術遺産というものは、いわば独自のルールが流れる異空間みたいなものだ。そのため、中にはとても危険な魔術遺産も存在するだろう。


 クロエとの待ち合わせ場所であるこの魔術遺産は、当のクロエ自身が現地調査を行うくらいだからそこまで危険性はないはず。それでも得体の知れない魔術遺産なのは確かなので、その正体を知らないままというのはなんだか落ち着かない。

 当然モニカもそうだと思っていたから、てっきりクロエからこの魔術遺産の概要を聞いていると当たりをつけていたのに……まさか何にも知らないなんて。


「何よその目」


 私の白い視線に気づいたモニカは、腰に手を当てて憤慨した。


「いや、普通聞くでしょ、って思ってさ」

「ちょっと、私をバカにしないでよ。詳しくは聞いてないけど、クロエがくれた手紙にちゃんとある程度のことは書いてあるはずよ」


 モニカは自分の鞄――腰がけの小さなポーチを開き、中から一枚の手紙を取り出した。そして手紙を開き、中に目を通していく。


「えーと……クロエによると、大分昔の文明が残した遺跡で、今は不思議なことが起きる魔術遺産らしいわ」

「不思議なことって?」

「んー、そこまでは書いてないわ。でもこんな怪しい遺跡で起こる不思議な事ってだいたい決まってない?」

「……例えば?」

「お化けが出るとか」

「そんなアホな」


 思わず否定の言葉が出た私だが、頬は引きつっていた。


「そうよね、ないわよねぇー」


 相づちを打つモニカの表情も、若干緊張が現れている。

 私たちは一度無言になり、また地下へと続く遺跡の階段を見下ろした。

 暗い夜の中、ぽっかりと大口を開ける地下遺跡への階段。どうしてだろう、見ているだけでなんだか鳥肌が立ってくる。


 私もモニカも口では否定しているが、もしかしたら、と頭の隅では思っていた。

 だってここは独自のルールが流れる魔術遺産。しかもかつて存在した文明が残した遺跡となると、お化けというか昔の人々の怨念とか渦巻いている可能性もある。

 私とモニカは、地下遺跡への階段から目を離し、お互い見つめ合った。


「まさかね……」

「ええ、さすがにないわよ……ないない」


 私とモニカが冷や汗を流しつつ、もしかしたらお化けがでる魔術遺産って可能性あるかも、と同じ思いを抱きはじめているのには、幼馴染のクロエの性格を知っているからだった。

 クロエは現実主義というか、昔から怪談話とか怖い話とかには全く恐怖を抱かないタチだ。そんな彼女なら、お化けが出ると噂の魔術遺産のことを知ったら知的好奇心を刺激され、本当にお化けが出るのか調べ出しても不思議ではない。


 私たちがお互いを安心させようと乾いた笑いを投げかけあっていたその時。突然地下から妙な音が響いた。

 私もモニカもびくりと肩を跳ね上げ、そのまま勢いよく抱き合う。


「ちょ、ちょっとリリア! 今の聞いた!?」

「き、聞いた聞いた! 音した! 絶対地下遺跡の方から音がした!」


 お互い強く抱き合いながら、凝然と地下遺跡への階段を見つめる。

 先ほどの音はなんていうのだろう。か細くて、それでいて人の高い声のようでもあった。すごく気味の悪い声、というか音だったのは間違いない。


「二人とも何をそんなに怖がってるの?」


 抱き合って身動き一つ取れない私たちに呆れたのか、魔女帽子のつばに座っていたライラが羽ばたいて私たちの顔の前へと飛んできた。


「こ、怖いに決まってるじゃん。今の人の声っぽかったよ。お化け……絶対お化けの声だよ……呪いの声だよあれ……」

「ちょっと、呪いの声とか言わないでよリリア……それだと聞いただけでアウトっぽいじゃない。後で一人寝る時にあの声を思い出して眠れないって思っていたら、本当に近くで声がするとかそういう呪い系の声かもって想像するじゃない……」

「ああっ、なんでそんな具体的なことをわざわざ言うの!? 後で絶対、そういえばモニカがこんなこと言ってたな……って思い出して眠れなくなるやつじゃん!」

「うるさいわね、道連れよ道連れ!」

「勝手に道連れにしないでよ!」


 ぎゃいぎゃい言い合いを始める私たちを見て、ライラは深い溜め息をついた。


「二人とも怖がってたと思ったら急に元気になるんだから……そもそも、魔女の二人がどうしてお化けを怖がるのか理解できないわ」

「魔女でも怖いものは怖いんだよ! お化けとか得体が知れないじゃん!」


 ライラに言い返すと、彼女は肩をすくめる。


「なに言ってるのよリリア。お化けなんて妖精と似たようなものよ、きっと」

「絶対違う! ライラは可愛いでしょ! お化けはもっとこう、化け物みたいな姿をしてるはずだって!」


 どうにかしてライラにこの怖さを伝えようと声を張り上げていると、また地下遺跡の階段奥からあの妙な音が響いてきた。

 それを聞いてまた私たちはびくりと肩を震わせた。


「……確かにちょっと人っぽい声だったかも。もう少し近づいたら音の正体が分かるんじゃないかしら?」


 ライラは羽ばたいて、音がした地下遺跡の階段付近へと近づいていく。


「ちょっとライラ、危ないって。呪われるよ」

「大丈夫よ。ほらリリアもモニカも怖がってないで、もうちょっと近寄ってみたら? もしかしたら音の正体は、二人のお友達のクロエが立てたものかもしれないでしょ?」


 ライラにそう言われて、私とモニカは若干冷静さを取り戻す。


「確かに……周りにクロエもいないし、私たちを待つ間に遺跡の調査をしている可能性はあるわね。ライラちゃんの言う通り音の正体を調べないとずっと怖いままだし……よし、行くわよ、リリア」


 モニカに言われ、私も渋々頷いた。

 抱き合うのをやめ、石積みの斜面をゆっくりと下り、地下遺跡の階段へと近づく。


「ちょっとリリア、なんで私の後ろにいるのよ!」

「大丈夫……気にしないで」

「するわよ! 私を盾にしてるでしょあんた!」

「ほ、ほら、モニカの方が一つ年上だからさ……」

「あんた、たまに調子いいわよね」


 軽口を叩いていると自然怖さが紛れるもので、私たちは地下遺跡に続く階段前へと無事到達していた。

 モニカは腰にさしていたステッキを引き抜き、地下階段に一歩足を踏み入れる。


「じゃ、じゃあ中に入るわよ。リリア、あんた絶対ついてきなさいよ!」

「わ、分かってるよ」


 モニカの肩に手を添えて、私も一緒に地下階段を降りていく。ライラはいつの間にか定位置である私の魔女帽子のつばへ腰かけていた。

 階段は結構長く続いていて、月や星の明かりも奥にさしこまないので外よりも真っ暗だ。以前テルミネスで買ったランプを光源に、ゆっくり階段を下りていく。


「ねえ、リリア……聞こえてる? この音」


 しばし無言で階段をゆっくり下りていた私たちだが、モニカはついに耐えられないとばかりに口を開く。


「うん……かすかだけど聞こえる」


 そう、薄らとだが、進む地下の先からあの妙な音というか声が聞こえるのだ。それも一つだけでなく、いくつも混ざり合っている。まるで小さな声で内緒話をしているような、そんなささやき声の重なりにも聞こえてきた。


「ど、どうするのよ。このまま進む? すっごく嫌なんだけど……」

「い、いったん戻ろうか……」


 本当に怖くなるとパニックになることすらできないのか、私とモニカは縮こまるように腰を屈めて小声でささやき合った。足は震え、うっかりすると階段を踏み外しそうだ。


「よ、よし、それじゃあ帰りましょう……ひっ!」


 目の前のモニカが踵を返して後ろを向いた時、彼女は私の背後を見て息を飲んだ。


「えっ、ちょっとモニカ、なにその顔! なに!? 私の背後どうなってるの!?」


 戸惑いながらゆっくり振り向くと、そこには私のランプの光で縁取られた黒い影が突っ立っていたのだ。


「うわっ……」


 それ以上私の声は上がらなかった。驚きのあまり瞬間的に息を飲み、声を詰まらせたのだ。

 代わりに、一瞬の驚愕から立ち直ったモニカが叫び出す。


「きゃーー!」


 そしてモニカは……手に持っていたステッキをなぜか人影に向けて振り回した。攻撃的すぎる。


「いたっ!」


 モニカのステッキの先端が黒い影の頭部に直撃する。黒い影はそのまま丸まったように小さくなった。


「あれ……今の声って……」


 突然の黒い影によって驚いた私とモニカだったが、今は全く別の種類の驚愕を味わっていた。

 今この黒い影が発した声は……しばらく会っていないとはいえ聞き間違えるはずがない。幼馴染のクロエの声だ。


 私がランプを手に取りうずくまる黒い影に光を差し向けると、魔女服と魔女帽子姿がくっきりと浮かぶ。

 帽子越しに頭をさするその少女。長い銀色の髪に宝石のような緑の瞳、そして整いながらも感情の機微をあまり伝えないその表情。

 そこにいたのは、紛れもなく幼馴染のクロエだった。


「な、なんだクロエか……良かったわ」

「……良くない」


 ほっとして言うモニカに、頭をさすって立ち上がるクロエは小さいながらも鋭い声を響かせる。


「久しぶりの挨拶にしてはかなり乱暴。モニカらしいといえばモニカらしいけど」

「ちょっと、いくら私でも挨拶代わりに頭を殴ったりしないわよ」


 憤慨するモニカをよそに、クロエがじっと私を見つめる。


「……まさかリリアが居るとは思わなかった。久しぶり。会えて嬉しい」

「あ、うん、久しぶりクロエ」


 久しぶりに会うクロエは、当たり前だけど以前と全く変わりが無かった。

 美しい銀色の髪に、表情をあまり伝えない綺麗な顔。私とモニカはよくクロエの容姿を人形みたいと褒めていた。

 私たち三人とも不老不死の薬……老化現象は止まっているが、不死かは正直疑問を浮かべるその魔法薬を飲み、見た目は十五歳前後から全く変化しなくなっている。


 こうして久しぶりにクロエと会ってみると、その変化しない容姿と相まって本当に人形のように見えた。

 でも、付き合いの長い幼馴染だから分かる。一見変化しない彼女の表情も、私やモニカなら分かる程度のわずかな感情の機微がある。

 クロエの顔には今、確かに再会を喜ぶ色が浮かんでいた。


「ちょっと、私も久しぶりでしょ、クロエ」

「……モニカはなんだか久しぶりな気がしない。いきなりステッキで殴られたし」

「し、しかたないじゃない! お化けかと勘違いしちゃったんだから!」

「……お化け?」


 首を傾げるクロエに、私ははっとして言った。


「そうだよクロエ! この不気味な魔術遺産って何なの? なんか妙な声が聞こえるし、怨念とか渦巻いてる系!?」

「……怨念が渦巻いている系の魔術遺産というものがよく分からないけど、二人が思っているようなものではない」


 クロエは魔女服の胸当たりにつけていた小型ランプを魔術で点灯させる。

 そのランプは、中の光をある程度増幅させて強い光源にすることができる性能の良い物らしく、この暗い地下の中をあっという間に明るくさせた。

 それでも地下全体を照らすことは出来ないが、階段奥の石床とその先にある妙な銅像までをはっきりと目にすることができた。

 そして驚くことに、階段を下りた先の石床にはなぜか猫がたくさんいたのだ。

 その猫たちは皆、先にある妙な銅像を見ているらしく、私たちに背を向けている。


「……なに、このたくさんの猫」

「もしかしてあの変な声って、猫の鳴き声……?」


 呆然とつぶやく私たちに、モニカが頷いて見せる。


「そう、ここは猫の観光地と呼ばれる魔術遺産。なぜか毎日大勢の猫がこの地下遺跡にやってきて、住み着くのではなく一通り見て回ってから帰ってしまうらしい」

「……なにそのほんわかした魔術遺産」


 驚いて損をした。つまり今が夜で猫の姿が見えないから、猫の鳴き声が不気味な声に聞こえてしまったのだ。


「猫を怖がらせないようにランプはつけていなかった。そのせいでモニカに殴られたのは失敗だけど」


 クロエがランプを消すと、辺りはまた私のランプが発する頼りない光源だけが光指す暗闇となった。


「ほら、私の言った通り、怖いものなんてなかったじゃない」


 ライラが私とモニカに向かって得意気に明るい声を響かせる。するとクロエはびっくりしたように肩を跳ねあがらせた。


「……驚いた。リリアの帽子のそれ、飾りじゃなかったんだ」


 そういえばまだクロエには紹介していなかったっけ。


「この子は妖精のライラだよ。今一緒に旅をしてるの」

「ライラよ。よろしくね、リリアの幼馴染さん」


 空に浮かびながらスカートをつまんで挨拶をするライラ。クロエは呆気にとられた顔をしていた。


「……リリアが旅? それに妖精と一緒って……どういうこと?」


 私が今旅をしていることもろくに伝えていないし、そもそもモニカと一緒にここへ来るとすら知らなかっただろうクロエ。もう訳が分からないとばかりに困った顔をしていた。パッと見は何も変わらない無表情だけど。


「そのあたりは後で教えるわよ。とりあえずこの遺跡から出ましょう」


 モニカが先導するように階段を登っていき、クロエは数度首を傾げながらもそれに続いた。

 最後尾の私も階段を登りつつ、ふと前にいるクロエに話しかける。


「ねえクロエ。この魔術遺産がなんで猫の観光地になったのか、推測とかある?」


 クロエはちらと私の方を振り向いて、考え込むように唇に指をあてた。


「……猫が一番偉い文明だったとか?」

「なにそれ、すごく平和そう」


 正体が知れた今、地下からかすかに響く妙な音は、すっかり猫の鳴き声に聞こえていた。

 にゃーにゃーと小さな鳴き声の重なりを聞きながら、私は猫が一番偉い文明というのを思い描いていた。

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