129話、神社とすき焼き
フウゲツの町の近くには小さな山があり、そこの山頂には神社なる観光スポットがあるらしい。神社はこの土地の神様を祀っているらしく、参拝して神様に祈る行為が身近な文化なのだとか。
フウゲツの町二日目。時刻は十時。私達はこの神社を観光する為に、山登りをしていた。
「何で朝っぱらから山登りをしないといけないのかしら……」
登山用の杖をついてゆっくり歩くベアトリスが、頂上を睨み据えてぽつりと零す。この杖は山のふもとにあったお店で買った物だ。
「神社に行ってみたいって言ったのベアトリスでしょ……」
えっちらおっちら歩く私は、長く息を吐きながらそう言った。
そう、神社へ行ってみようと言いだしたのはベアトリスだった。正確には、パンフレットに書かれていた神社内にある料理店に行きたいと言っていたのだが、結果的には同じだ。
ベアトリスは別に山登りが好きでも得意でもないらしく、肩で息をしながら私に付いてきていた。私の方はというと、以前そこそこ高い山を登ったからベアトリスより慣れている。多分五十歩百歩程度の違いだろうけど。
「それにしても、こんな山の上にある神社って何なのかしらね」
一方、私の魔女帽子のつばを椅子代わりに腰かけるライラは余裕のてい。当たり前だ。自分で飛んですらいないのだから。いや、飛んだとしても普段とそう変わらない疲れだろう。飛んでたら山道だろうが坂道だろうが関係ないもん。
対して二本の足で歩く私達には山道の影響大。とにかく間接に来るしそこから疲労がたまる。
「ベアトリスが行きたいって言うくらいだから、きっとおいしいお店があるのよね……楽しみだわ」
のほほんと言うライラに、ベアトリスが疲れのせいで細くなった声で訴えかける。
「今食事の話は止めてちょうだい……胃がひっくり返る」
ベアトリスはもう、杖に上半身を預けるようにして歩いていた。そういえば今は朝で日光もあるし、疲労感凄まじいのだろう。……がんばれ、吸血鬼。
さすがに小さな山だけあって、二十分もあれば山頂へと到達できた。それでも結構疲れてしまったし、ベアトリスに至っては全力疾走を終えた後くらい息を荒げている。
ようやくたどり着いた山頂で待っていたのは、真っ赤な鳥居。これが神社の入口、つまり門らしい。
ここで一度、鞄に収めていたパンフレットを開く。パンフレットには神社の参拝方法が書かれてあるのだ。
何でも鳥居は真ん中を歩くのではなく左右の端のどちらかから歩くらしい。右か左かは進行方向により決めるとの事だ。
とりあえず全員で右側通行し、鳥居をくぐる。くぐる時はお辞儀をした。
神社内は結構広く、拝殿と呼ばれる参拝用の建物に真っ直ぐ道が続いていた。この道は綺麗に切りそろえられた石造りで、道の左右には砂利が敷き詰められている。でも別にこの砂利道を通っても問題は無いらしい。
そして拝殿に続く道の途中では手水舎と呼ばれる手と口を清める水場がある。ここで手と口を清めてから参拝するのがマナーらしい。
手水舎は、私の腰くらいの高さの大きな正方形の石造りで、真ん中部分がくり抜かれて水溜めになっている。水溜めの上には細い竹が置かれていて、その竹の中から水がちょろちょろ注がれていた。これはどういう仕組みなのか分からないが、風情がある。
手と口の清め方がまたややこしい。ひしゃくと呼ばれる水を汲む道具を使うのだが、まず左手、右手を水で流し、次に左手で水を受け、口をすすぐ。そしてまた左手を流し、最後に使ったひしゃくを洗い流すのだ。
しかし作法は作法なので、できるだけ忠実に皆手と口を清めた。ライラは大変そうだったので私が手伝った。
そしてようやく参拝。なのだが。
「参拝ってこの土地の神様に祈る行為でしょ? 旅人の私達が祈ってもいいの?」
しかも魔女と妖精と吸血鬼。およそ神に祈る面々ではない。
「……観光スポットだから別にいいんじゃないの?」
ベアトリスに言われ、はっとする。
そうか、ここ観光スポットか。神様を祀っているって結構厳かなイメージなんだけど、意外と親しみやすい場所なのかも。
でも参拝方法は事細かだったり、神社自体は立派だったり、軽々に扱っている感じでもない。
何だか不思議な感じ。……こういうその町独特の価値観を体験できるのも旅の醍醐味だ。
とにかくせっかく来たのだから、数日後に旅立つとしても祈っておくことにした。
参拝する時は自分の願い事を願ってもいいらしい。というか、観光目的で来た人はお願い事をする為参拝するというのだ。
なので私達も願望を訴えておく。
「これからもおいしいごはんが食べられますように」
「カニが絶滅しませんように」
「世界がラズベリーになりますように」
……ひどい。我ながらひどい集団。願望だだ漏れ。特にライラ。実はそんな願望持ってたんだ。……でもそれ、カニ食べたいから絶滅して欲しくないだけだよね……?
「さて、参拝も終わった事だし、お昼ごはんを食べに行きましょう」
「そういえばそれが目的だった……目当てのお店がここにあるんでしょ?」
「ええ、入り口の右手側に行った方らしいわ」
入り口とは鳥居の事だ。早速鳥居をくぐって神社外に出て、右手方向を目指す。
神社の右手側には観光客目当ての飲食店がたくさん立ち並んでいた。その中の一つをベアトリスが指さした。
「あれよあれ」
そのお店は真っ黒い外観で、真っ赤な字で牛すき、と書いてあった。
「牛すき……って何?」
料理名なのか、はたまたただの店名なのか、それすら分からない。
「料理名よ。正確にはすき焼きと言うらしいわ。あそこはそのすき焼きの専門店」
「すき焼き?」
ピンとこない料理名に首を傾げるが、ベアトリスはさっさと店前に歩いて行ってしまう。
「実際に見ればどんな料理か分かるわよ。さあ、行きましょう」
言って、そのままお店の中に入っていく。
本当に思い切りが良い……まあ、ベアトリスが食べたい料理ならおいしいに決まってるだろうけど。
私もすぐに後を追いかけ、ベアトリスと共にテーブル席に腰かけた。
「牛すきを一つ」
どうやら牛すきは複数人で食べる料理らしく、ベアトリスがそう注文する。
すると、パチパチと火が燃える深い鉄皿がやってきて、その上に鉄鍋が置かれた。
鉄鍋の中には……何やら黒っぽい液体に牛肉や豆腐、ネギに春菊、シラタキが入っている。
「牛すき……いや、すき焼きって鍋料理なんだ」
なるほど、これは確かに複数人で一つで十分かも。
「大雑把に言うと具材を甘辛いタレで煮込む料理ね。ただ色々食べ方はあるらしく、まず肉を焼いて食べてからタレをそそいで煮込み始めるところもあるらしいわ」
「へえー……鍋なのにまず肉を焼いて食べたりするんだ」
何か不思議だ。
しばらくすると、鍋がぐつぐつと煮えてきた。その頃合いに、私達の前にごはんと生卵が入った小皿がやってくる。
ごはんは分かるけど……卵はなに?
「すき焼きは生卵を絡めて食べるのが一般的らしいわよ。ほら、この小皿に生卵を割って、箸で溶くの」
「ええ……卵を生で食べるんだ」
なんだかちょっと抵抗感。半熟は好きだけど、完全に生は初めて食べる気がする。
でもこの町ではそれが一般的なら……やるしかない。
小皿に卵を割り入れ、箸で軽くしゃかしゃか溶く。
……うーん、これに具材を絡めて食べるのか。
私はちょっと気が乗らなかったが、対面のベアトリスは平然とした顔で具材を絡め、ぱくっと一口食べた。ちなみに食べたのはネギ。
「あら、おいしい」
「え、本当?」
「本当よ。甘辛い味付けが卵でまろやかになっていい具合だわ」
本当かなぁ……私は牛肉を掴んで生卵に絡め、思い切って口に入れてみた。
「……あ? 悪くないかも」
意外と……意外といける。生卵に抵抗感あったけど、悪くないぞ。というかおいしいぞ。
ベアトリスの言った通り、味がまろやかになる。それでいてしっかり甘辛く、濃厚。ごはんが欲しくなる味わいだ。
「リリア、私も食べる」
様子見していたライラも私が意外といけたのを見て、小さい体で器用に箸を使って食べ始める。
「……うん、私は生卵全然問題なし。おいしいわ」
もともと生卵への抵抗感が薄かっただろうライラは、軽々と受け入れていた。
しかし……鍋で煮た具材を生卵に絡めて食べる発想はすごい。まず卵を生で食べるのが私の中には無かった価値観だし、それをまるでソースのように具材につけるのも考えられなかった。
「どうやらこの町では、生卵をごはんにかけて食べる卵かけごはんっていうものがあるらしいわよ」
パクパク小気味良くすき焼きを食べていたベアトリスが、そんな小ネタを言ってくる。
「ええ……さすがに生卵をごはんにかけるのは……」
「もちろん醤油とかで味付けをするらしいけどね」
うーん、それならいける……か?
でも卵かけごはんは私にはハードル高そう。かなり思い切った気持ちにならないとできなさそうだ。
「確か卵かけごはん専用の醤油とかも売ってるらしいし、小ネギとかのトッピングを入れたり、醤油じゃなくてステーキダレで食べたりと、人によって多様なこだわりがあるらしいわ」
「……その卵かけごはんに対する情熱、なんなの?」
この町の人そんなに卵かけごはん好きなの?
……もしかしてこのすき焼きの生卵、ただただ生卵が好きだから一緒に食べてるだけなのでは……?
確かにすき焼きに生卵は結構おいしいから、別に良いけど……。
卵かけごはんか……生卵をかけたごはん……うーん。
すき焼きの生卵でハードルが少し下がっているのか、ちょっとやってみたい気持ちもありつつ……でも怖かったりもしつつ。
悶々としながらすき焼きを食べ進める私だった。
でもいつか挑戦してみたい。卵かけごはん。




