107話、妖精祭壇と川魚の素揚げ
ミグラの町を後にして旅を再開した私とライラは、密集した木々がつける豊かな葉が空を覆い隠す森林地帯を進んでいた。
頭上では、雨が葉を打つ音がひっきりなしに奏でられている。しかし、しばらく歩くと雨音は段々まばらになり、気がつけばほとんど聞こえなくなっていた。
どうやら雨が降り続ける地域は通り抜けてしまったようだ。それでもまだ森林地帯の中は抜けられない。この森はかなり広大なようだ。
でも、森の中にはいくつか村があるだろうし、すぐに抜けられなくても焦ることはない。
むしろ変に焦って歩くと、地面から跳び出す根っこに足を取られて転ぶ危険性もある。痛いのは嫌なので、暗い足元を注視しつつゆっくり進んでいた。
そんないつ終わりが見えるかも分からない森林の中、私はとある物を見つけ足を止めてしまう。
木々が密集するこの地では明らかに不自然な、石造りの祭壇。縦幅よりも横幅がわずかに広く、何かを置いて捧げ物をするのに最適な形をしている。祭壇の周囲には木造りの椅子がいくつか設置されていた。
祭壇を形作る石材は普通に見られるような物で、大理石のように綺麗に磨かれているわけでもない。少し表面がざらついていて荒れているように見えるが、しかしコケなどは生えていなくて定期的に手入れされているのが伺える。
……こんな森の中で、簡素な石の祭壇。なんだか奇妙な印象だ。
いったい何なのだろう、と興味深げに見ていると、背後に人の気配を感じた。
振り向いてみると、薄明りで見えにくいが、やや遠くから誰かがこちらへ向かって歩いているのが見えた。
白いひげを蓄え、腰を折り曲げて少し不安さを感じさせる足取りで歩いてくるのは、明らかに老人だった。
その老人は私の姿に気づいたのか、ぺこりと会釈をする。そしてそのまま私の元へと近づいていた。
「これはこれは、魔女様。こんな所で何をしてらっしゃるのですか?」
「え? ああ、その、この辺りを歩いていたら変な祭壇を見つけたので……ちょっと見てたんです」
ちらっと祭壇の方へ視線をうつしつつ答えると、老人はどこか嬉しそうに微笑んだ。
「おお、そうでしたか。どうぞ、好きなだけ見て行ってください」
その言い方に私は勘付く。
「もしかしてこの祭壇、お爺さんが管理しているんですか?」
「私と言うより、私の村で管理している物です。私の父が子供の頃から伝わっている祭壇なのですよ」
「へえ……これ、何の為の祭壇なのかお聞きしても大丈夫です?」
「ええ、もちろん。これは我が村では妖精祭壇と呼ばれる物で、妖精様に捧げ物をする為の祭壇です。我が村では古くから妖精への信仰が伝えられていて、作物が豊作になるよう妖精様に捧げ物をして祈っているのです」
私は思わず目線を上にあげた。帽子のつばの裏しか見えなかったが、意識はそこに座っているライラに向けている。
「ライラ、妖精に作物を豊作にする力なんてあるの?」
「さあ? 多分私には無いわよ」
小声で尋ねると、あっさりとした解答が寄こされた。
そうだよね……妖精にそんな力があるなんて聞いた事がない。
だけど、信仰とは様々だ。きっとこのご老人の村では、昔妖精を見た人が居たのだろう。そして偶然にもそれと作物の豊作が重なり、妖精を見ると豊作になると伝わったのかもしれない。
そしてそれが長年かけて妖精への信仰へとなり、祭壇を作って妖精に豊作を祈る儀式が生まれたのだろう。
他の文化にとやかく言うのはヤボなので、妖精にそんな力があるかは疑問などとは決して言わない。そもそも私が知らないだけで、妖精の中にはそういう力を持っている種族が居るかもしれないし。
むしろ、そんな不思議な力がある方が妖精の神秘性が高まるというものだ。ライラと一緒に居ると妖精に対して感じていた神秘性がガリガリ削られていくので、こういう所で補っていこう。
「今日はちょうど妖精様への捧げ物を持ってきているのです。良ければ魔女様もご覧下さい」
祭壇を使って妖精への捧げ物をする儀式に多少興味はあったので、その申し出に甘える事にする。
ご老人は腰に下げていた巾着を開き、そこから何かを取り出した。これは……魚?
「村近くの川で取れた魚の素揚げです。これをこうして祭壇の上に置き、後は一時間ほど椅子に座って待っているだけで儀式は完了します」
……え? それだけ?
もっと色々あるのかと思ったけど……本当にただ捧げ物をしているだけじゃないか。
期待外れな気持ちが私の表情に出ていたのだろうか、ご老人は私の顔をまじまじと見ていた。
「あ、いえ、意外と簡単な物なんだなって思っただけです。ほら、妖精って魔女の間でもあまり見ることができない存在ですから、もっと大変な儀式になるのかと……」
私が慌てて取り繕うと、ご老人は笑いを零す。
「私も初めてこの儀式を見た時は同じ思いを抱いたものですよ。しかし不思議な事に、一時間ほど経ってから祭壇を見ると、捧げ物の魚がいつの間にやら食べられているのです」
……だとすると、この捧げ物につられて妖精が本当にやってきたという事だろうか?
警戒心が強い妖精がそんな簡単に姿を現すだろうか。いや、でも、ライラのように食い意地ある妖精ならきっと……。
「何か失礼な事考えてない?」
「か、考えてないよ」
帽子の上からライラの鋭い指摘を受け、しどろもどろになる。なぜ分かるんだ。ちょっとライラへの神秘性が上がったよ。
ご老人は祭壇近くの木製椅子へ重々しく腰を落ち着け、一息ついていた。このまま一時間待つのだろう。
しかし一時間か……結構長いな。本当に妖精が捧げ物を食べに来るのか気になるけど、どうしよう。
考えていると、ご老人がまた巾着を広げて何かを取り出した。さっきとは違い、今度は袋詰めにされた魚の素揚げだ。
「よければ魔女様もいかがですかな」
シンプルながらもこんがりとした見た目の川魚の素揚げ。魚の旨みが詰まっていそうで、美味しそうだ。
「頂きます」
差し出された川魚の素揚げを一つ受け取り、私もまた木造の椅子に座りこむ。
ヒレや内臓などを取る下処理はされているらしいが、それ以外特に凝った様子はない頭つきの一匹丸々の素揚げだ。揚げる時小麦粉をまぶしてあるのだろう、表面はカリっと香ばしく焼けている。
両手でそれぞれ頭と尻尾を持ち、お腹部分にかじりついてみる。
噛みつくと、じゃく、っと小気味いい音が響く。そのまま身を噛み取り、もぐもぐ咀嚼する。
うん、実にシンプル。表面は揚げられていて香ばしく、中はほろほろの身。塩気があって、魚の純粋なおいしさが味わえる。
川魚だからちょっと淡泊ではある物の、揚げられている事で食べごたえが増している。魚のすごくシンプルでおいしい食べ方って感じ。
「リリア、私も食べるわ」
目の前にパタパタ羽ばたいて来たライラに、そのまま背の部分を向ける。するとライラはぱくっとかじりつき、もぐもぐ食べ始めた。
「うん、おいしい。シンプルだけど中々やるわね」
妖精が見えないので聞こえてないだろうけど、ライラはご老人へ向けて絶賛していた。
……一応ライラがこれ食べてるから、この時点でお祈りは成功してるも同然なのだろうか。
そのまま川魚の素揚げを二人でパクついていると、森の奥からガサガサと音が鳴るのを耳にした。
食べるのを止めて二人で音が鳴った方向を見ていると、そこから妖精がわらわらとやってくる。
その数は十をはるかに超えていた。当然ながら、ご老人には見えていない。
本当に妖精がやってきたのにも驚いたが、その数に呆気にとられ、私は声も出なかった。
そんな私に気づいているのかどうか、妖精たちは一目散に祭壇へと集まる。
そして……なぜか皆で川魚の素揚げを持ち上げ、胴上げをし始めた。
「ばんざーい。ばんざーい」
耳を澄ますと、妖精たちのそんな声が聞こえてくる。なんだ、どうした。
川魚の素揚げを一心不乱に胴上げする妖精たちを、私は呆然としながら見るしかなかった。
「えい、えいっ」
数分ほど胴上げをしていた妖精たちは、突然祭壇に川魚の素揚げをころがし、今度は皆で食べ始める。
二分もした頃には、川魚は骨だけになっていた。妖精たちはしばらく川魚の骨を見おろし、やがて一目散に森の奥へと帰っていく。
嵐のようなそんな光景をつぶさに目撃した私は、もう声も出ない。なんだったんだ今のは。
「……? 魔女様、いかがなさいましたかな」
私の様子に気づいたのか、ご老人は不思議そうに小首を傾げる。彼には妖精の姿が見えていないので、今の物凄い光景を見た記憶が無いのだ。いわゆる妖精のイタズラ現象というやつ。
「いや、あの……あれ」
私が祭壇を指さすと、ご老人はようやく川魚の素揚げが食べられている事に気づいた。
「おお……! まだ数十分ほどしか経ってないのにもう食べられているとは! これは豊作間違いなしですな!」
感激するご老人とは裏腹に、私は苦い顔をするしかない。
本当に成功なのか、今の……。いや、そもそもこれ、ただ妖精たちに餌付けしているだけでは?
「魔女様、私は早速村に帰ってこの事を報告してきます。ああ、よければ我が村に立ち寄ってはいかがですか?」
「い、いえ、先を急ぐので今回は遠慮しておきます」
「そうですか、ではぜひまた今度お越しください」
興奮冷めやらぬ態度のご老人は、最初の頃とは変わって軽快な足取りで帰っていった。
そして祭壇前に残ったのは私とライラのみ。
「ねえライラ……何であの妖精たちは魚を胴上げしてたの?」
どうしてもそこが気になるので、無駄だと思いつつも聞いてみる。
「魚を胴上げしたくなるタイプの妖精たちだったんじゃないの?」
そんなのいてたまるか。
結局……ライラは関係なしに、妖精たちへ抱く神秘性がだだ下がりしただけだった。
でも川魚の素揚げはおいしかったからいいか。




