58.極秘に走破することにしました
「氾濫、ですか。」
「そうらしいよ。物理的にダンジョンを走破するのが難しいからっていう理由らしいけど、まさかこのご時世に氾濫が起きるなんて思わなかった。」
「・・・。」
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません。今はまだ氾濫しないんですよね?」
「とりあえずまだ大丈夫みたい。ギルド本部には救助を要請しているから近々参加要請があるんじゃないかな。」
その日は買い物を済ませて帰宅し篠山ダンジョンの調査結果を桜さんへ報告、流石に氾濫というキーワードに驚きを隠せない感じだったがしばらくすると落ち着きを取り戻したようだ。
研修とかテレビとかでは聞いた事があるけれど実際の生活でそれを経験する日が来るとは思わなかっただけに動揺するのも無理はない。
幸い明日にでも!という話ではなく、まだ先の話だししばらくは問題なさそうなので今のうちに準備しておけば特に大きな問題にはならないはず。
いつもは桜さんが先にお風呂に入るんだけどその日は後で入るとのことだったので遠慮なく一番風呂に入らせてもらい、その日はさっさと寝る事にした。
翌日。
昨日は少し落ち込んだ感じだった桜さんもいつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。
「おはよう。」
「おはようございます和人さん。」
「あれ、リルは?」
「まだ寝てるみたいです。」
「あいつが朝ごはんに起きてこないなんて珍しい。」
いつもなら朝一番に起きて来て台所の前でスタンバっているはずのリルだが、今日は随分と寝坊助のようだ。
昨日は桜さんと一緒に寝ていたはずなんだけど・・・ま、起こしに行くのも変な感じだし朝飯の香り
を嗅げば起きてくることだろう。
「今日はどうされますか?」
「んー、昨日は潜れなかったから別のダンジョンにでも行こうかな。東宮さんからは単独走破記録については諦めてかまわないって言われたし、あの状態じゃなかなか難しそうだ。」
「え、諦めちゃうんですか?」
「流石にAランク冒険者が走破できなかったところをどうにかできるとは思えないし、すっぱりあきらめた方がレベル上げも出来るからね。氾濫時に少しでも役に立つ為にも今のうちに鍛えておかないと。」
「・・・やっぱり和人さんでも難しいんですね。」
なんとなく落ち込んだ感じの桜さん、収奪スキルについてはまだ教えていないのでむしろ諦める方には賛同してくれるかと思ったんだけどどうやらそういうわけじゃないらしい。
うーん、篠山ダンジョンに何か思い入れがあるとは聞いていないけどそれを本人に聞いたところでこの感じは答えてくれなさそうだ。
かといって父親に聞きに行くわけにもいかないし、そうなると誰に聞くのがいいだろうか。
「もっと強かったらよかったんだけど、ごめんね。」
「いえいえ!私ももっと頑張って和人さんを守れるようになりますから、期待しててください!」
「もちろん頼りにしてるね。」
「氾濫が近いとなると一時的にですけど薬や道具の値段が上がりそうなので今日はドワナロクで準備をしておきませんか?薬とか、色々買っておかないと。」
「そういうのはギルドが準備してくれるんじゃないの?」
「もちろん準備はしてくれますけど、必要以上には提供してくれないはずなので予備は持っておいた方が良いと思います。」
ふむ、備えあれば患いなしっていうし値上がりする可能性があるのなら安いうちに買っておかないとなんだかもったいない気がする。
そこそこお金は持っているはずなのにこういうところが貧乏性なんだろうなぁ。
そんなわけで今日は来るべく氾濫に備えて、かつこの間川西ダンジョンで使った道具などを補充するために朝からドワナロクへ足を運んだ。
氾濫の話をどこかで聞いてきたのかいつも以上の客入りだったけれど、そこはゴールドカードを使って優先的に入らせてもらい必要最低限の道具を確保することに成功した。
桜さんが買い占める勢いで買いだした時には驚いたけど、元々そういうのに備えるタイプなんだろうか。
「ちょっとメンテナンスをお願いしてくるから桜さんはそこで休んでて。」
「わかりました。今のうちに今日買った分の発送手続きをしておきますね。」
「よろしく。」
メンテが必要なほど使い込んだわけじゃないけれど、いざというときに壊れた!とかなっても嫌なので今のうちに色々見てもらっておこう。
そろそろ武器だけでなく防具も新調したいし、新しいダンジョンに潜るのならそれ用の予備武器とかもあった方が良いかもしれない。
そんなことを考え始めるとお金がいくらあっても足りないんだよなぁ。
装備は命を買うのと同じだからケチるなとはいうけれどそもそも買うお金がないからこそケチってしまうわけで。
卵が先か鶏が先かじゃないけど、どこを優先するかが難しい所だ。
「これは新明様、ようこそお越しくださいました。本日は何をお探しでしょう。」
「棍のメンテナンスをお願いします、そんなには使い込んでいないんですけど念のために。」
「篠山ダンジョンで氾濫も起きそうですからその方がよろしいでしょう。」
「え、もう知っているんですか?」
「こういうお商売は情報が命ですので。マントの他にいくつか耐寒装備の紹介もできますが如何でしょう。冷えは足元からと言いますからヒートマウスの靴下やフレイムフロッグのタイツなどは氷点下20度でも汗をかくと言いますしオススメですよ。」
武器のメンテにきただけなのに商機を逃さず売り込みをかけてくるあたり流石鈴木さん。
外で迎え撃つ予定なので丁重にお断りしつつ値段だけは聞いておく。
10万かぁ、そんなほいほい着替える訳じゃないしあってもいいんだろうけどその頻度でしか使わないものにその値段を払うのもなぁ。
「こんな質問するのも変なんですけど鈴木さんは氾濫が実際どんな感じかご存知ですか?」
「その現場にいたことはありませんが、準備などで何度か。素材の持ち込み量から想像するに壮絶な戦いが繰り広げられたと推測できます。最後の氾濫は随分前の話ですが、本当に色々ありました。」
「そうなんですね。」
「桜様のお母様が亡くなられたのもその氾濫が原因だったかと。まだ幼い桜様を残してさぞ無念だったことでしょう。」
「え!?」
想像もしていなかった言葉に思わず思考が停止する。
桜さんの母親が氾濫で亡くなっていた?
お妾さんの子だからという話は聞いていたけど、そういえば大道寺社長以外の身内に会ったことがなかった気がする。
普通娘が死にかけたら母親も同席するはずだし、その時は会えなくても後日挨拶にはくるだろう。
一緒に暮らすっていう話もその辺が絡んでのことだと考えれば色々と合点がいくところもあるわけで。
桜さんには申し訳ないと思いながらも詳しく話を聞かせてもらうとあの時桜さんが氾濫の言葉に詰まった意味がわかった。
そうか、だから走破しないって言った時残念そうな顔をしたのか。
氾濫そのものを止めればお母さんのように命を落とす人はいなくなる、だけど俺が危険な目に合うのも嫌だ。
そんな葛藤の中であの笑顔を向けてきたのか。
幸い気候が悪化しただけで敵はそんなに強くないし、俺には保温スキルがある。
今の装備じゃ多少厳しいかもしれないけど新しく追加すればもしかしたら九階層も走破できるんじゃないだろうか。
「私の立場でこのようお願いをするのは間違っているのですが、どうか桜様をよろしくお願いします。」
「約束はできませんけど、できる限りやってみます。」
予定変更。
もし氾濫をとめられるならやるだけやってみよう。
ただしそれは俺だけの秘密。
世間からすれば実現不可能な状況だけに解決したと知られればスキルの存在がバレてしまう可能性が高くなる。
あくまでも極秘に、そして慎重に。
某映画のBGMを頭で流しながら次の準備をするべくドワナロクを後にした。




