第17話
車窓から見える景色は見る見るうちに殺風景になっていき、一時間もするころには建物らしい建物は見えなくなった。
俺が住んでる街もそんな都会とは言えなかったけれど、少し離れただけであっという間に文明の色が薄くなる。
電車で三時間、そこからバスで一時間、そこからどれだけ歩くことになるかは検討もつかない。
遠く離れた街へ、メリーが俺の家へ訪ねてきた道のりを逆に辿る。
あの後、母親に電話をかけて、メリーを引き取った親戚の家を聞き出した。
厳密にいえば、メリーの実家へと移り住んでいるようだったので、遠縁ながら本家への初訪問ということになるのだろうか。
母親が電話口で何か喚いていたが、住所を聞くと一方的に切った。
その後何度か着信があったが、上手く説明出来る自信がなかったのでそのまま放置している。
あてもなく、目的も曖昧で、行き当たりばったりな一人旅。
今まで比較的合理的に生きてきた自分からすれば、ずいぶんとらしくないことをしているように感じる。
もしかしたら、何の意味もなく、無駄に時間と労力と私財を費やすだけとなるかも知れない。
ただ、それでも何もせず、何食わぬ顔で普段の生活に戻れるほど、俺にとってメリーの存在はちっぽけなものではなかった。
目的の街に着き時計を確認すると、もう正午を回ろうとしていた。
始発の時間を調べ早朝に家を出たのだが、バスと電車の本数が比較的少なかったので、待ち時間にかなり時間を取られてしまった。
街を歩いていると、メリーと同じ背格好の女の子が俺を追い越していきハッとしたが、当然本人のわけはなく、そもそも髪や肌の色が全然違っていた。
昨日あまり寝ていないせいか、はたまた、願望が安易な錯覚させているのか、ともかく自分でもあまり余裕がないなと思った。
女の子がかなり離れたところで振り向き、こちらへと手を振る。
後ろを見ると、少女の両親らしき人物が手を振り返していた。そんな、何気ない家族のやりとり。
のどかな街だと思った。
高台へと差し掛かったので、立ち止まり街を見渡してみる。
緑と住宅が調和された街並みは、人家の数は少ないもののそれでも田舎という感じはせず、どことなく美しくさえ感じた。
しかし、数分後、そんな穏やかな空気は消し飛ばされてしまった。
延々と道沿いに続く瓦の付いた白い壁。
ネットを介して調べたメリーの本家の住所はまだ少し歩くはずだが、どうやらその敷地の一部に差し掛かったようだった。
「こ、これ、全部そうなのか?」
自分が知っている住宅の概念が崩されそうなほど、その家、いや屋敷と言った方がいいんだろうか、その敷地は規格外に広かった。
いくら都心のように地価が高くないからと言ってもやり過ぎだ。
住まいとしては明らかに過剰であり、一つのコミュニティが形成出来そうなほどだ。
メリーの祖父はこの辺り一帯の古くから続く大地主だったらしく、街そのものへの影響力はもちろん、自治体も意見を仰ぐほどの権力者だったらしい。
祖父の死後、メリーの両親は俺の実家の近くに住んでいたためこの本家は家中の人間に任せっきりだったらしいが、なるほど、普通に家族三人で住んだらさぞ持てあますことだろう。
壁沿いを歩いていくと、かなり離れたところに人が立っているのが確認でき、どうやらそれが入口のようだった。
徐々に近付いていくと、門の前に立っているのが警備員の類だと分かった。
明らかに警戒されているのが手に取るように分かる。
訝しげな視線が体に突き刺さり、門の前で立ち止まると、こちらから話しかける間もなく声をかけられた。
「失礼ですが、どのようなご用件でしょうか?」
体格の良い男の、低音のきいた声が響く。
警備員というよりは、SPといった方がしっくりくる風貌だった。
「突然すみません、遠縁の親戚の者です。実は以前、こちらに住んでいた女の子と親しくさせてもらってまして、お話を伺いたかったのですが」
自分の身分を明かし、メリーが亡くなったことを先日知った旨を説明すると、警備員の男はトランシーバーのようなもので屋敷の人間と連絡を取り始めた。
すると、「少々お待ちください」と待機を命じられた。
見るからに寡黙な男と談笑は出来そうになかったので、沈黙に耐えつつ大人しく待つ。
数分後、物々しい雰囲気とは裏腹に、割合あっさりと屋敷の敷地内に招かれた。
門が開かれると、入口から家屋までもかなり距離があるように感じた。
フットサルぐらいだったら軽く試合が出来そうだ。
広大な庭に作られた池も、泳ぐのを目的にしているのかと問いたいほど大きかった。
見る限り幾つかの家屋が連なるように建っており、左手前方に見える最も大きな建物が本宅のようだった。
一つだけいやに新しく造りが豪華だったのでひと際目を引く。
「こちらへどうぞ」
「あ、はい」
門の内側には旅館の仲居さんのような格好をした女性がおり、案内に従って付いていく。
その様子からみて家政婦か何かなのだろう。
かなり若く綺麗な人だったが、どことなく機械的で人間味をあまり感じなかった。
歩きながら、自分の知っている世界とはかけ離れていて、まさか自分がこんな浮世離れした空間に足を踏み入れると思わなくて、一瞬目眩がする。
冬だと言うのに緊張で額に汗が滲み、動悸が嫌な感じで腹に響く。
正直に居心地が悪い。
案内されたのは本宅の方ではなく、来客用の建物のようだった。
もっとも中では繋がっているのかもしれないが、初めて来る俺にとっては知る由もない。
「こちらでしばらくお待ちください」
家政婦の女性が部屋の奥へと姿を消していく。
室内は外見と違い洋風の内装となっており、見るからに高そうな応接セットが置かれていた。
ソファに腰を下ろすべきか躊躇いながらも、やはり立って待つことにした。先ほどから続く緊張といい、何だか面接に来ているかのような気分だった。
しばらくすると、部屋の奥の扉が開き、上品そうな初老の女性が入ってきた。
パッと見でこの家の人なのだろうと理解し、挨拶を交わす。
「突然訪ねてしまい申し訳ありません」
「いえいえ、遠いところよくいらっしゃいました。どうぞ掛けて下さい」
女性の物腰は柔らかく、柔和な表情を浮かべている。
想像では厳格な感じの取っつきにくい人が現れると思っていたので、少し拍子抜けではあった。
それと同時に肩の力が若干抜ける。
ソファに腰を掛けると、先ほどの家政婦の女性がお茶を持ってきてくれた。
中身も器も明らかに高そうだ。もっともお茶の味なんて俺には分からないけれど。
「ずいぶんと大きくなったわねぇ。小さい頃に会ったことあるんだけど覚えてないかしら?」
「い、いえ、すみません。覚えてないです」
「そうよね、まだ小さかったものね。お母さんは元気?」
母親とは既知の中なのだろう、親しげに親戚との定番の会話を投げかけてくる。
もしかしたらこの人が母親と手紙のやり取りをしている人なのかも知れない。
話しに聞くと母親とはハトコらしく、同年代ということもあって親戚集まりのときには親しくしていたそうだ。
ただ、メリーの祖父が亡くなってからは生活が一変し多忙になったため、疎遠になりつつあるとのことだった。
試しに、自分とメリーがどんな血縁関係にあるか聞いたが、俺の爺さんがメリーの祖父の妹の旦那と従兄関係にあると聞いた。
頭の中で家系図を組み立てようとしたが、はとこの意味もいまいち分かっていない俺には全体像が掴めず、途中で考えることを放棄した。
「あの、それで今日はお伺いしたいことがありまして……」
「あぁ、そういえば、あの子のことで来たんですってね」
何も片道数時間以上かけて世間話をしに来たわけじゃない。
おばさんもメリーとの血縁関係を聞いたことで察したのか本題へと移る。
「先日母から、一昨年に亡くなったと聞いたのですが」
「そう、船舶事故でね。まだ小さかったんだけど、残念だったわ。あなたのお母さんから聞いていたけど、ずいぶんあの子と仲良くしてくれていたんですってね」
「はい、家が近かったのもあって、小さい頃はよく一緒に遊ばせてもらっていました」
「そうなの。わざわざ訪ねてきてくれてありがとうね」
「いえ。それでお伺いしたかったんですが、船舶事故で亡くなったっていうのは……」
「あぁ、家の者が一昨年の夏に釣りとクルージングに連れて行ったのよ。ただ、わりと沖の方が時化ていたみたいでね。あの子、小さかったから海に投げ出されちゃって、そのまま……」
「そう、だったんですか」
おばさんは沈痛な面持ちでメリーの亡くなった原因を教えてくれた。
母親から聞いた通り、すでに死んでいる、その事実が重く圧し掛かかる。
「せっかくだからお線香でもあげていってあげて。あの子もきっと喜ぶと思うから」
「あ、あの」
「なに?」
「あの、あいつのことなんですけど、生前、何か変わったこととかありませんでしたか? 学校とかでも上手くやれてたんでしょうか?」
「そうね、大人しいけど、良い子だったからね。特に何かあったっていうことは聞かなかったわ。成績も良かったみたいだし、問題を起こすような子でもなかったしね」
「そうですか……。あの、こっちに引っ越してきてからのあいつは、どんな様子でした?」
「様子っていってもねぇ。ご両親が亡くなった後は、やっぱりしばらく悲しんでいたみたいで塞ぎ込みがちだったけど、時間が経つにつれて立ち直ったみたいだったわね。家でも行儀が良くて、わがままの一つも言わなかったし、物静かで本当にいい子だったわ」
「な、何か悩んでることとかありませんでしたか!?」
「私が見る限りではないように思ったけど。……でも、どうしてそんなことを?」
「い、いえ、何でもないんです。ただ、元気にしてたかなと思いまして……」
おばさんが訝しげに訪ねてくる。
確かに、亡くなった人間のこと根掘り葉掘り聞くのはあまり常識的とは思えなかった。
それが、何か悪いことはなかったか? というものであれば尚更のことだ。
――しかし、何もなかった?
平穏無事に暮らしてた?
じゃあ、あの傷跡は? なんであいつは俺のもとに現れたんだ?
それに、物静かで行儀がいいだなんて、俺が知ってるメリーとは……。
「まぁいいわ。他に何か聞きたいことはある?」
「えっと、あいつの部屋ってまだあるんでしょうか?」
「部屋? 去年の葬儀の後、遺品と共に整理しちゃったから今は空き室にしてるのよ。ごめんなさいね」
「そうですか……」
「じゃあ御仏壇まで案内するからついてきて」
おばさんはそう言うと、部屋の奥へと案内してくれた。
本宅に続く渡り廊下を歩き、奥へ奥へと進んでいく。
それにしても広い。何だかお寺みたいだな、とそんな印象を持った。
「こっちの建物は新しいんですね」
「そうよ。私たちがこっちに移り住んだときに建て替えたの。大伯父様が一人で住んでいたときと違って、住む人数も増えたしね」
「警備員の人や家政婦さんまでいてすごいですよね」
「あぁ、あの人達は大伯父様が亡くなる前から仕えていて、ここに住み込みで働いてもらってるの。私たちよりこの街のことや屋敷のことに詳しいから助かるわ」
「へー」
住み込みの従業員がいるなんて、いよいよ持って浮世離れしている。
本当にこういう家って存在するんだな、と軽く感心に近いものを覚えた。
ちょうど先ほどの家政婦さんとすれ違ったので軽く会釈する。
向こうも軽く会釈を返してくれたが、何やら注意深げに見つめられている気がした。こっちの建物に入ってくる人間は少ないのかも知れない。
案内された仏壇の間に着くと、新しいイグサの匂いが鼻孔をくすぐった。
小綺麗にされた部屋は仏壇以外は置いておらず、屋敷の奥ということもあり非常に静かだった。
何だか厳かな雰囲気すらある。
仏壇はやはり立派で、それこそ寺かと思えるような作りだった。
「それじゃお線香上げてあげて」
「あ、はい」
おばさんが蝋燭へと火を灯しながら促す。
線香を手に取り、火を付けながら仏壇を眺めた。
大伯父と呼ばれていたメリーの祖父だろうか、中央に厳格そうな老人の遺影が飾られている。
そして、見覚えのあるメリーの両親の写真と、その隣の写真立てにメリーの姿があった。
遺影のメリーは、俺が知っている姿よりさらに幼く見えた。
しかし紛れもなく同一人物だということは見て取れる。
これで一応選択肢の中にあった他人という線も消えた。
線香を立て、手を合わせると、心の中で語りかける。
(なぁ、お前なんで俺のところに来たんだよ? なんで急にいなくなっちまったんだ? 俺に何かしてほしかったんじゃないのかよ?)
(……俺にしてやれることは何もないのか?)
物音一つない部屋の中を、線香の燻った香りが充満する。
独特の雰囲気の中では死者とさえ会話が出来そうだったが、写真の中のメリーは無表情なままで、もの言わずこちらを見つめるばかりだった。
おばさんは俺の長めの黙祷に付き合い、隣で手を合わせていた。
長くなり過ぎると悪いと思い、適当なところで切り上げて頭を上げる。
「すみません、ありがとうございました」
「いえ、この子もきっと喜んでるわよ。お兄ちゃんが来てくれて良かったわねえ」
叔母さんが遺影のメリーに語りかける。
よく見る光景だし、先ほどまで自分も心の中でしていた行為なのだけれど、おばさんの声はどことなく空々しい響きで虫唾のようなものが走りかけた。
「それじゃそろそろいいかしら」
「はい。御忙しいところありがとうございました」
これ以上、ここにいても出来ることはなさそうだったので、俺は大人しく帰ることにした。
それに、屋敷の中の空気は何となく居たたまれなくて、早く帰れとでも言われているような気になった。
来た道を辿り、入ってきた門のところまで再度案内される。
おばさんは見送りながら、「またいつでもいらっしゃい」と言ってくれたが、それが明らかに社交辞令であることは分かっていたので、俺は軽く会釈をして屋敷を後にした。
しばらく続く屋敷の外壁に沿って歩き、敷地の切れ目でふと振り向くと、警備員の大柄な男がこちらを見つめていた。
それが見えなくなると、ようやく物々しい空気から解放されてやっと一息つく。
「……ったく、何なんだよあの家」
時代錯誤もいいところだ。
のどかな街並みに場違いなほどの存在感を放つ屋敷の方を眺め、吐き捨てるように呟く。
実際、あんなところに住んでたらメリーも相当息が詰まったんじゃないだろうか。ふとそんな心配をしてしまう。
「しかし、この後どうするか」
あてが外れた、と言ったら語弊があるんだろう。
もともとあてなどないのだから。
しかし、こうまで収穫がないと途方に暮れてしまう。
確認できたのは、メリーが死んでいる事実と、どれだけ遠い親戚だったかということだけだった。
〝船舶事故で海に投げ出されて〟、おばさんはそう言っていた。
ふと、荒波に揉まれて溺れ苦しむメリーの姿が脳裏に過ぎり、胸が締め付けられる。
本当にあいつは死んでしまったのか。
ただ、その事実はどうあれ、この数日間メリーと過ごしたということもまた事実だった。
あれが俺の見た幻覚でなければ、メリーと再び会える方法があるかも知れない。
そのために俺はここに来たのだから。
しかし、せめて何かしらの手掛かりはほしかった。
次にどうすればいいのか全く見当もつかない。
俺は持て余した時間で街を散策することにした。
メリーの住んでいた街がどんなものなのか、見て回れば何か分かるかも知れない。
そう漠然とした、一縷の望みにかけて。




