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第12話

「着いたよー。確かここのアパートでいいんだよね?」

「……え?」

「なーに? もしかして寝てたの? いくら私のこと寄りかかってたからって危ないでしょ」

「いや、すみません、ぼーっとしてて」

「ちょっと、大丈夫? なんかまた熱上がってない?」


 彼女の冷たい手が額に添えられる。

 もう照れ臭いとか考える余裕すらなくて、ただ単純にその優しく触れられた手は、冷たくて気持ちいいと思った。


「今日は温かくして早く寝ちゃいなさい。親戚の子の前で格好付けるのもいいけど、無理したら長引くよ」

「はい、なんか色々すみません」

「それじゃ私はバスで帰るから、またバイトでね!」


 彼女は肩をポンと叩くと、踵を返し颯爽と立ち去って行った。

 なんか男前だ。ぼんやりとそんな変な感想を持った。



「おかえりなさい!!」

 部屋のドアを開けると、待ち構えていたかのようにメリーが出迎えてくれた。


「ただいま。よく帰ってくるタイミング分かったな」

「階段昇ってくる音がしたから、なんとなくお兄ちゃんっぽいなって」


 動物みたいだな。

 そういえば実家の猫もドアを開けると玄関で座って待ち構えてたっけ。


「ちゃんと大人しくしてたか?」

「うん!」

「外に出てないだろうな?」

「ちゃんとおうちにいたよ!」

「昼飯ちゃんと食ったか?」

「からあげがね、すっごくおいしかった!」

「なんか壊してないだろうな?」

「……お兄ちゃん、私のこと子供扱いしすぎじゃない?」

「いや、それならいいんだ」


 余計なことを考える余裕がないせいか、やたらと事務的な確認をしてしまった。

 居間に入ると暖房の暖かさと慣れた空間のせいか、疲れがドッと押し寄せる。

 上着をかけて、思わずベッドに仰向けになった。

 今は少しだけでいいから横にならせてほしい。


「どうしたの? 大丈夫、お兄ちゃん?」

「……あぁ、今日はちょっと忙しくてな、少し疲れたんだ。忙しい日は大体こうだから気にすんな」

「そうなんだ。お仕事ってやっぱり大変なんだね」

「まぁ給料もらうんだから当たり前だろ。ちょっと横になったら飯買ってくるから、テレビとかパソコンでも見ててくれ」

「疲れてるんだったら、私が買ってこようか?」

「いいよ。お前迷子になりそうだし」

「やっぱり子供扱いしてる!」


 そう不満げに漏らすと、膨れっ面でメリーはそっぽを向いた。

 俺のバイト先に来るのに数時間もかかったんだから、妥当な扱いだろうに。

 まぁ、コンビニや弁当屋は近いし、一昨日一緒に通りかかったからメリーでも分かるかも知れないけど。


 あぁ、でも本当にしんどい。

 咳が出ないだけマシか。でも吐き気がすごいな。

 悟られないように、息が荒くなりそうなのを抑えるだけでもきつい。

 メリーのやつ、俺と同じで風邪だったくせに昨日よく平気だったな。

 それとも、もしかして心配かけないように無理してたのか?

 だとしたら本当に馬鹿だ。

 もっと気を使ってやれば良かった。今日も帰ってくる途中でゼリーとか買ってきてやればよかった。なんか駄目なやつだな、俺って。

 気が効かないっていうか、柔らかく接してやれないっていうか。

 大事にしてやりたいのに、頼ってもらいたいのに。

 だからメリーも、もしかしたら……。


 ……よくないな。思考がとっ散らかってる。

 しかも何でか変に弱気になってくる。何なんだこの自己嫌悪と子供みたいな思考。

 余計なこと考えるから疲れるんだ。

 目を閉じて、自分の呼吸だけを聞いて、少しでも体力回復させて。


 それで、少しだけ、……横に、なったら、…………メリーの夜飯を……。

 そのあとに……、そのあとに、なんだっけ……。

 そこで俺の意識は途切れた。



 ※ ※ ※



 少し横になるつもりが、どうやら寝入ってしまったらしい。

 目を薄く開けると、帰ってきたときとは部屋の状況変わっていた。

 部屋の中は暗くて、窓から外の街灯と月の明かりだけが室内を柔らかく照らしていた。

 数分とかではなく何時間か眠ってしまったという感覚がある。

 体調も少しだけ楽になっているように感じた。


 しばらくボーっとしてから、あぁ、やってしまったなという後悔を覚えた。

 メリーの飯……。


「起きたの? お兄ちゃん?」


 そう声をかけられて、首を横に傾けた。

 メリーがブカブカの上着を羽織って、ベッドの隣に座っていた。

 そのまま俺の顔へと手を伸ばすと、額が軽くなったように感じる。

 そして、ベッドの下から何かを絞るような水の音が聞こえた。


「なにしてんだ……?」

「お兄ちゃんが苦しそうだったから」


 額に冷たい感触を感じて、それが濡れタオルなのだと分かった。

 何故だか焦るでもなく、戸惑うでもなく、俺はされるがままだった。

 多分、俺が寝てる間にも、何度もこうしていてくれたんだろう。


「ごめん、寝ちまって」

「なんで言わなかったの?」


 俺の言葉には返事をせず、珍しく詰問するような口調で上から覗き込む。

 幼いその顔の眉根が寄っていた。


「具合、悪かったんでしょ? 私がかぜうつしちゃったんだよね?」

「大したことないよ。確かにちょっと体調良くなかったけど、それにバイトの疲れが重なっただけだし」

「うそだよ。だって、お兄ちゃん寝てるとき、すごい苦しそうにしてたもん」

「……まぁ、熱はちょっとあったかもな」

「ちょっとじゃないよ。すっごく熱かった」

「お前だって昨日は熱あるけど平気って言ってたじゃねぇか」

「私のことはいいの!」


 どうやら怒っているらしい。

 いつもみたいに冗談めかした怒り方じゃなくて、わりと本気だ。


「いいわけないだろ。それに、お前みたいな子供と違って、俺はもういい歳だし平気なんだよ」

「やっぱり子供扱いしてる! それに全然平気そうじゃない!」

「あー、もう分かったよ。というか何でお前がそんなに怒るんだ。確かに飯用意してやれなかったのは悪かったけどさ」

「――っ、違う! お兄ちゃんのバカ!!」


 メリーに初めて怒鳴られて、少し驚いた。

 それと同時に、確かに失礼なことを言ったなと反省する。

 確かにそんなことで怒るようなやつじゃないってのは分かり切ってた。


「悪かったよ。お前は自分のことで怒ったりしないもんな」


 そう言って、横になったままメリーの頭へ手を伸ばす。

 メリーはまだ少しムッとしたまま、俺の胸辺りの布団に顔をうずめた。


「ごめん。看病してくれてたんだよな。ありがとう」

「具合悪いなら、なんで言ってくれなかったの? 私のせいでお兄ちゃんが苦しいの我慢するとか、いやだよ」


 その頭を撫でながら、優しい子に育ったなと、妙な気持ちになった。

 俺が最後に会ったとき、メリーはまだ六歳だった。

 見た目はまだまだ小さいけど、あれから数年が経って、幼いながらも人のことを思いやれるいい子に育った。

 掛け値なしにそう思う。


 でも、だからこそ、俺はこいつに何かしてやりたくて、自分のことを棚に上げるその様子に言いたいことが出てきてしまう。

 僅かな明かりが照らすメリーのシルエットに、ポツリと俺は呟いた。


「……お前こそ、なんで何も言わねぇんだよ」


 言われたメリーが顔を上げた。

 最初は何のことか分からいようだったが、途中で前にも見たことがある表情に変わった。


「……っ!! だから、なんでお前はそうやって、自分のことは何も話さないんだよ!」 


 それは、何かを諦めているような、悲しんでいるような、見ていると切なくて胸が苦しくなる笑顔だった。俺が嫌いな顔だった。

 衝動的に起き上がって声を荒げる。


「ふざけんなよ! 俺が苦しそうだから心配した? 俺だって、どれだけお前のことを……!!」


 その先は言葉にならなかった。言葉にしたくなかった。

 心配してるだなんて、どれだけ大きな声で喚いたって、何もしてやることが出来ないなら薄っぺらくて情けないだけの言葉だ。

 心配だからと、寝ずにずっと俺の看病をしてくれていたメリーの方が、よっぽど行動が伴ってる。

 だから、俺はメリーが抱える全てを知りたかった。


「もう、はぐらかすなよ。何でも言えよ。俺が、なんとかするから。その傷、どうしたんだよ? なんで俺のところに来たんだよ?」


 何が出来るかは分からない。

 けど、なんだってしてやりたい。

 こいつを傷付けているやつがいるなら、今すぐにでも乗り込んで、その場所から助け出してやる。

 こいつを守れるなら、大学をやめて仕事をしたっていい。

 熱のせいで頭が茹ってるわけじゃない。本気でそう思った。


 けれど、どれだけ言葉をかけても、メリーは余計に困ったような笑顔を深めるばかりだった。

 苛立ちが増す。

 俺はメリーを見つめたまま目を逸らさなかった。


 やがて、メリーが目を細めて口を開いた。


「最初に言ったでしょ。自分探しの旅? ってやつだよ」

「……っ!! だから、そういう冗談を」

「言っちゃったら、お兄ちゃんがつらい思いをするから」


 その一言は、芯の通った響きだった。

 まるで、何かを決意しているかのように。


「だから、言えないの。ごめんなさい」


 やはりメリーは、困ったような、申し訳ないような、そんな顔をしながら笑った。

 胸が苦しくなった。

 やりきれないという気持ちが、こういうものなのだと痛感した。

 メリーは、頑なだった。


「分かんねぇよ……」


 メリーが何を考えるのかも。

 何を抱えてるのかも。

 何で言ってくれないのかも。

 俺が辛い思いをするという意味も。


 ただ一つ分かることは、メリーが何も語らない以上、俺には何も出来ないということだった。

 どれだけ相手を思ったとしても、何かをしてやりたいと思っても、相手が受け入れてくれなければ、それはただの一方通行だ。

 お互いが噛み合わなければ、一人で空回るしかない。


 歯がゆくて、悔しくて、苛立って、仰向けに倒れると瞼と奥歯に力が入った。

 そして、もう一言だけ、「なんでだよ……」と呟いた。

 それからかなりの間、薄暗い部屋の中は静かだった。

 時計の秒針の音と、俺とメリーの僅かな息遣い、時折離れた車道を通る車の音だけが聞こえてくる。


 やがてどれぐらい時間が経ったのか、その音の中に水の響きが加わり、額にタオルが乗せられた。

 目をつぶったままでも、先ほどと同じようにメリーが覗き込んでいることが分かった。


「……ただね、もう少しだけ、お兄ちゃんといたいんだ」


 小さな、小さな声だった。

 俺には聞こえなくてもいいとでも言うような、自分だけに聞こえるような囁きだった。


 ……多分、勘違いしてるんだろう。 

 少しだけ間の抜けた気分になった。


「俺、起きてるぞ」

「えぇっ!?」


 やはり俺が再び寝たと思い込んでいたらしい。

 いくら風邪で熱があるからといって、あんなことがあった後にすぐに眠れるはずがない。


「でも、お兄ちゃんまったく動かなくなったし、なんかスースーした息が聞こえたから……」

「鼻詰まり気味なんだよ。風邪なんだから当たり前だろ」

「そ、そうなんだ……」


 再び沈黙が下りる。

 ただ、先ほどのように緊迫したものではなく、どこかいつものように弛緩した空気が流れていた。

 そして、メリーが照れを隠すように口を開く。


「お兄ちゃん! な、なにかしてほしいことない? のど渇いてない?」

「いや、大丈夫だよ」

「か、からだ拭く? お風呂入ってないから気持ち悪いでしょ?」

「明日起きてから入るからいいよ」

「じゃあおなか減ってない? すぐ近くだからね、コンビニの場所なら分かるよ! おかゆ買ってこようか?」

「別にいいよ。というかお前こそ腹減ってんじゃないのか?」

「私は残ってたおにぎり食べたから大丈夫! お兄ちゃんの分も残しておいたから、それ食べる?」

「いいって。というか、一つじゃ足りなかったろ。俺の分なんて残さないで二つとも食べちまえば良かったのに」

「わ、私小さいから! 一つでおなかいっぱいだったから!」

「嘘つけ」


 他愛ない会話を途切れさせないよう、いつもの空気へ必死に戻すよう、メリーがあれこれと聞いてくる。

 そして、最後にもう一度心配そうに訊ねてきた。


「本当に、なにかしてほしいことない?」

「何もしなくて大丈夫だよ」


 メリーがシュンとした表情を見せる。

 何かしてやりたいというのは、俺もこいつも同じなのか。

 ……自分は何もさせないくせに。


 俺は再びメリーの頭に手を乗せた。

 そのまま布団に顔を押し付けさせると、「わぷっ」という声がその口から漏れた。

 そして、先ほどのメリーと同じように、聞こえるか聞こえないか、それぐらいの声で呟いた。


「別に何もしてくれなくてもいいよ。……ただ、そばにいてくれればいい」


 それを聞くと、メリーは顔を上げた。

 その顔は、暗い部屋の中でも分かるぐらい明るい表情をしていた。


「うん!! 私メリーさん、お兄ちゃんのそばにいるの!」


 先ほどのメリーの言葉を思い出す。

 少なくとも、メリーは俺と一緒にいたいと言ってくれた。

 それに嘘はないと思う。

 そしてそれは、俺も同じ気持ちだった。

 布団にもぐりこんできたメリーは、「ふへへ」といつものようにだらしなく笑った。


「なんだよ?」

「ううん。ただ、お兄ちゃんがさっきみたいなこと言うの珍しい気がして」

「……熱のせいだよ」


 少しだけ、顔の熱が上がったような気がした。

 ただ、相変わらず体調は良くなかったけれど、メリーが隣にいることで楽になった気がした。

 腹痛のとき腹に手を当てられるだけで楽になるように、

 傷の上を抑えられるだけで痛みが和らぐように、


 安心できる存在がそばにいるというのは、本当にそばにいるだけで、触れているだけで癒されるのかも知れない。

 俺もメリーにとってそうなれたらいいのに。

 一緒にいるだけで、こいつを癒してやれればいいのに。

 何もかも問題を取り除いてやれればいいのに。

 そんなことを思いながら眠りについた。

 隣で眠るメリーは、温かかった。

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