4-18 潔癖姫君に血塗れのプロポーズを
「あら聞こえなかったの。もう一度言うわ。
ワタクシ、不潔なモノが大嫌いなの。
ほら、公爵子息様? 早く婚約を破棄いたしましょう」
私はこの国唯一の姫様、アルストリア様の騎士をしています。
姫様はヨゴレが大嫌いなんです。
浮気はもちろん、血も泥も人殺しも。
ええ、とても潔癖なお方なんです。
しかし、遂に平民らによる反乱が起こってしまいました。
姫君と逃げた先では、清潔感など気にしている余裕はありません。
願うは王権復活。そのために、毎日私も暗躍しましょうかね。
王城の応接間にて、国唯一の王族直系の娘のアルストリア様はおられます。
それはそれは高潔で傲慢な、如何にも姫君と聞いて思い浮かぶようなお方です。
でも、姫君はとても残酷です。何故なのかは私にも分かりません。
「あら聞こえなかったの。もう一度言うわ。
ワタクシ、不潔なモノが大嫌いなの。
ほら、公爵子息様? 早く婚約を破棄いたしましょう」
ああ、哀れです。
婚約破棄を迫る姫君を見るのは、何度目でしょうか。
きっと二桁はあるのでしょう。幼い頃から噂は耳にしておりましたし。
今回こそは大丈夫だと思っていましたが、まさか公爵子息でも駄目だとは。
「リューク、いつも通りに」
「承知しました」
まるで事務作業かの如く、私に指示をする姫君。
戸惑いは遥か昔に捨ててきましたから、姫君と同じようにテキパキと作業を進めます。
「こちらの書類にサインをお願いします」
淡々と書かれていく内容は見慣れたもの。
姫君も見飽きたとばかりに視線をあちこちへと彷徨わせています。
ふと、視線が止まりました。
先には広々とした窓があり、青々とした屋敷の庭園が望めます。
「ねえ執事、庭でケーキが食べたいわ」
しかし、この光景は何度も観たもの。
姫君によるルーティンの一つ、と呼べばいいでしょうか。
元婚約者を無視し、アフタヌーンティーへと移る準備をすれば、後に起こることは分かりやすいです。
青筋を立てたネビー様と護衛の騎士。
破棄状が書き終わってはいないため、怒りを滲ませながらも大人しくしています。
けれども終われば速攻で暴言や怒声、理性があれば嫌味たっぷりの別れの挨拶が述べられます。
「アルストリア姫、失礼する」
意外ですね、少し肩透かしを食らった気分です。
さすがは公爵の令息と仕える者というおころでしょうか、冷静なままでご帰宅になられました。
姫君も少々興味を持ったようで、彼らの帰る馬車を窓越しに見つめております。
とはいっても顔には出さず、ただ青い瞳を細めるのみですが。
部屋に残る人間も、私と姫君と執事のみとなりました。
庭でのアフタヌーンティーの用意も終わり、騎士の配置もとうに終わっています。
最後は姫君の移動のみのため、私たち二人はただ粛々と待っていました。
「何か、おかしいわ」
小さな声でしたが、姫君の声は部屋によく響きました。
潔癖姫君の通り名に相応しい、厳格な声色も今はなぜか震えています。
◇
姫君の見えていた景色が押し寄せてきたのは、婚約を破棄した日から1ヶ月後のことでした。
「――――王! ――逃げ――――!」
暗闇と隠し扉の向こう側に、物騒な金属音が聞こえてきました。
間一髪だったようで、私は少し緊張の糸が切れてしまいました。
しかし姫君は身体を硬くし、王子たちも沈黙を保ったままです。
そういえば、姫君は何も知らされていませんね。
王子らも、事実として認識したのはこれが初めてです。
「リューク、説明をしなさい」
「反乱です。革命軍による襲撃が行われました。主導は公爵家のどれか、というところです」
既にノブレス・オブリージュを体現する貴族などいません。当然の結果ですね。
闇に慣れたころ、私も姫君の返答を待たずに歩き出します。
横を王子が通り過ぎ先頭へ。彼の騎士はスッと殿へ。
姫君を前方に抱えた私がまともに戦えぬと見て、武の心得がある王子と言わずもがなの騎士が護衛する形。
普段なら有り難いのですが、今は困りますね。
姫君を抱えた程度で戦力外通告とは、舐められたものです。
……話す時間はありませんね、
「申し訳ありません、お二方」
「なん……っ!?」
前方の王子の気さえ逸らしてしまえば、後方の騎士は無問題です。
数歩だけ早足になり、その加速のまま助走へ移行して一瞬で前に出ます。
今、団体行動は悪手です。
私たち騎士の第一目標として、護衛対象の身の安全を守ることがあります。
対象が貴人の場合、血を残すことも仕事に含まれます。
つまりは、姫君と王子のどちらかが生き残る可能性をあげることが第一、ということですね。
姫君の様子を見てみると、顔色が心做しか白く見えます。
何とか安全な場所へ逃げたいのですが、洞窟のような通路は幾手にも分かれ、判断を鈍らせてきます。
王子らと距離を突き放したこともあり、一度立ち止まりました。
ゆっくりと見回した途端、床の一部が不自然に見えました。
姫を抱えているため、靴先でトントンとして様子見。
……周りの床と比べ、音が軽いですね。おそらく空洞があります。また隠し通路でしょうか。
「姫君、降ろしますよ」
手先を使うため、姫君を抱えていた腕を自由にします。
体調が悪そうなためそっと壁際で降りてもらい、先程の床をじっくりと撫でていきます。
しかし、どこにも溝は見当たらず、ただの欠陥建築の可能性を疑いたくなりますね。
「リューク、私の指を切りなさい」
背後の壁際にいた姫君が、突拍子も無いことを言い始めました。
少々驚きましたが、意図はすぐに察することができます。
隠し通路ならば、またしても王族の血が必要なのではないかということです。
貸しなさい、ではないのは、ナイフほど汚いものは無いからでしょう。
手垢に錆に塵に血に、汚れの酷さは私でも分かります。
胸元に隠していたナイフを抜き、差し出されていた手の人差し指に滑らせました。
白く滑らかな肌から流れ出した、真っ赤な鮮血。
姫君はまたしても顔色を悪くするも、迅速にあの床へ指先を向けます。
ポツリ、と落ちる血が床の染みに変わり、今度はすっぽりと床が抜けています。
覗き込むと、見慣れたソファとカーペットが見えました。
姫君が婚約破棄でのみ使っていた、あの応接室です。
少し高さはありますが、私ならば着地は問題ありません。
指先を
姫君を先ほどと同じように抱え、一気に飛び込みます。
「っ……一声ぐらい……!」
軽い衝撃のあと、姫君から小言が申されます。
ですが、正直時間が惜しいです。
窓の外の光景は、焦るに値するものですから。
「……窓の外を見てください」
青々とした美しい王城の庭園には、鮮やかな赤が咲き乱れていました。
高所から見ると、赤バラのように綺麗なもの。
おそらく、実態は騎士たちの死体が放置されたもの。
血が黒くないということは、先程まで生きていたのでしょうか。
「姫君」
姫君は窓の外を見たままに、微動だにしません。
震えるでもなく、ただ見つめるのみです。
何があったのでしょうか。
「姫君」
抱えていた腕を少し持ち上げ、顔を覗き込みます
眉間にシワを寄せていること以外、姫君はいつも通りの表情をしています。
戸惑い、疑念、怒り、という感情が浮かんでいますね。
今日は少々強めですが。
ようやく唇が僅かに開かれ、ゆっくりと姫君は言葉を紡ぎ始めました。
「私のモノたちが、汚されたのね」
声には怒りを滲ませ、普段よりも低い声で訴えかけてきました。
汚された、というのは庭園と騎士のことでしょうか?
さすが潔癖姫君、実に傲慢で、つまらないお話です。
口を閉じ、再び訪れた沈黙の間に逃走経路を考えます。
庭は騎士の死体のみで、殺したであろう人間は見当たりません。
このような惨状を作り出したなら、城へ既に侵入していることが妥当です。
鉢合わせる可能性もありますから、部屋から動くことは出来ないでしょう。
しかし立ち止まったままで居ても、やがて辿り着いてしまう。
結論、正面突破しか有り得ません。
「姫君、今から庭を突っ切ります。
私がガラスを割りますので、しっかり捕まっていてください」
「……汚らわしい場所を通るわけないわ。不潔だし」
黙って文句も言わずにいた姫君も、正気に戻ったようです。
歓迎は、できないですね。
真正面から説得する以外の選択肢は、どうやら無いようです。
まあ特別なお話はなくても、問題ありません。
潔癖姫君は、ヨゴレが嫌いですからね。
「姫君、庭園に転がる騎士らは、血で血を洗っていますから綺麗ですよ。
姫君が場内に留まるならば、ただの汚らわしい物体に成り果てるだけです」
高潔な騎士は、死体となっても高潔なまま。
むしろ、生きている間はヨゴレた存在とも言えます。
姫君の言う「汚されたモノ」は存在しません。
宝石や花たちのように、綺麗なモノだらけですから。
「庭園には綺麗な赤いバラが咲いている。
それでいいじゃないですか、姫君」
険しい姫君の顔は一瞬真顔になってしまいます。
すぐに、悪戯っ子のような表情になりましたが。
本当に楽しそうな顔は、久しぶりに見ましたね。
「面白いこと言うのね、リューク。
赤いバラの花畑を散歩すれば、私たちは生き残れるのね?」
「はい。もっとも、潔癖な人間にはお辛い生活になるでしょうが」
「良いわ。少しぐらい汚れた方が、綺麗な格好が映えるわよ」
しばらく、私は心が汚れていたのでしょう。
荒みきって純真な子ども心を、初心を忘れていました。
姫君は当時、ノブレス・オブリージュを体現し、騎士を志すきっかけとなりました。
かつての潔癖姫君は、もう一度憧れになってくれるでしょうか。
「では、行きましょう」
「ええ」
ガラスを蹴破り、二階の窓から飛び立ちます。
赤いバラたちに、もう一度私たちの姿を見せられるように。





