4-17 いつも空気な令嬢が『濡れ衣クラッシャー』と呼ばれるまで
小さな頃から「空気みたいな子」だと言われ続けてきた子爵令嬢・リーシャ。
どうしようもないこの影の薄さも、私の個性。肯定的に許容しながら日々を穏やかに過ごしているけれど、この個性は時に私を『予期せぬ事故』へと巻きこむ事もある。
従妹が主催するお茶会の裏方で、私は『一見するとイタズラのようで実際にはわりとシャレにならない事件』の目撃者になってしまった。
小さな頃から「空気みたいな子」だと言われ続けてきた。
最初からいたのに、口を開くといつも驚かれる。
すぐ近くにいるのに探されたり、ぶつかられる事なんて日常茶飯事。
きっと皆に他意はない。その言葉が使われる時はいつだって私に気が付かなかった事への謝罪だったし、それを理由に揶揄われたり除け者にされた記憶は一度もない。
それどころか、認識されずらいという事は、人気者にはなれない代わりに、誰かから強い敵意や悪意を向けられることもないという事である。
元々目立つことが苦手な私にとって、それは歓迎すべき事だ。社交界では「己の存在感と影響力を周りに知らしめてこそ」とよく言うけれど、今の穏やかな周囲の状況が私には性に合っている。
誇るような事こそなくても、私は自らの特性に肯定的だ。
しかし困った事もある。
どうしようもない影の薄さは、時に私を予期せぬ事故へと巻き込んでくるのだ。
それはいつだって突然で、いつだってヌルリと日常に、滑り込んでくるのである。
*
その日はとても暖かな陽気だった。
栗色の長い前髪の間から垣間見える庭園は輝くような新緑で、小鳥のさえずりが優しく私の耳を撫でていく。
今日ほどテラスでのお茶会に最適は日はないだろう。子爵家の娘として恥ずかしくないように着飾った私は、傍目に見ればお茶会に参加する気満々に見えるだろう。
それが、お茶会会場にするには若干カラフルさに欠けるこの緑の庭で一人薬草たちに目を向けているのは、今回のお茶会の主催である従妹スローネお姉様に、少し早く会場に来てしまい時間を持て余した私が「パーティーが始まるまでの間、薬草園にいさせていただけませんか?」というお願いをしたからである。
快く聞いてくださった彼女には、大いに感謝せねばならない。
しかし目の前の現状に、私は思わず眉尻を下げた。
「お姉様が言っていた通り、やはりお祖母様の薬草園はもうあまり熱心に手入れされていないのですね……」
目の前の薬草たちの中には、既に採集時を少し過ぎている薬草が幾つもある。
お祖母様が生きていらっしゃった頃には、こんな事絶対になかった。そう思えば少し寂しくなるけれど、あの方は天寿を全うされたのだ。悲しむのも少し違う気がして、代わりに懐かしさを胸に薬草にスッと手を伸ばす。
こちらがむくみ防止、こちらが片頭痛の時によく効くもの。
幼い頃によくお祖母様にせがんでは教えてもらっていた頃の優しい記憶を頼りに、一つ一つ丁寧に薬草を摘んでいく。
空気のような気質が故に、幼い頃から特別他から遊びの誘いがかかる事もなく、人を自ら招くような性格でもなかった私にとって、ここノスト侯爵家は、数少ない遊び場の一つだった。
ここに住んでいた母方の祖母は、物腰が柔らかく読書が趣味な方だった。色々な事を知っていて、スローネお姉様と二人でよくお祖母様からお話を聞いた。
中でも薬草に関しては、お祖母様が屋敷に自分の薬草園を作るほど入れ込んでいた事もあって、詳しく教えてもらっていた。
実際によく採集してはお菓子やお茶や料理に使ったりもしていた。その影響で私の家に小さな薬草園を作っているのだけど、何分小さいので足りなくなる事もある。
ちょうど不足しがちだったので、採集させてもらえてありがたい。
借りている小さなバスケットが満たされた頃には、私の採集欲も満たされた。額を手の甲で「ふぅ」と拭いつつ、「これで当分は、家で使う薬草にも困らないだろう」と考える。
自然の恵みには常に感謝の念を抱きなさいと、お祖母様もよく言っていた。その教えに従って採集後の適度にさっぱりとした薬草たちに心中でお礼を告げながら、バスケットを持って立ち上がる。
いつの間にか、少し遠くで令嬢たちの話し声が僅かに漏れ聞こえてきている。もう既にお茶会の参加者たちが集まっているのだろう。
たしか今日は、表の庭園テラスを会場にすると言っていた。
あちらにはより見栄えのする花々が育てられている。この時期ならば、綺麗に咲き誇っているだろう。
そんな想像をすれば、独りでに口角があがった。
表の庭園は、ここからだと屋敷を挟んで反対側。屋敷の中を通っていくのが、一番の近道である。
まさか薬草と採集用のハサミを持ったままお茶会に参加するわけにもいかないし、それ程汚れていないにしても、手も一応洗いたい。お祖母様の時代から出入りしているとあってこの屋敷には顔見知りも多いから、近道しても問題ないだろう。
そう思いつつ、厨房に続く勝手口のドアノブへと私は手を掛けた。
厨房は、とても忙しそうだった。
冷静で端的な指示の声、食器や調理器具の立てる音。会場への運搬に使うカートがカラカラと引かれていく音や、ドサリと重い物を置いた音に足音。全てが交じり合い、雑多になっている。
緊張感が見て取れるのは、今日は派閥に関わらず幅広い客人を集めている事も理由の一つなのだろう。
夜会ではないからガッツリとした食事を出す必要はないけれど、菓子と軽食だけとはいえ、いつもより神経質にならざるを得ない事は私にも分かる。
そんな状態だから、もちろん私が入ってきた事に気がつく者が一人もいない。
こちらから話せば普通に応じてくれる事は分かっているけれど、私ごときのせいで彼らの真剣な仕事を中断させるのは憚られる。
とりあえず先に手を洗い、最後にこの薬草入りのバスケットを置いていく事だけ誰かに言伝よう。使用人たちが後で見つけて扱いに困っても可哀想だし。
そんなことを考えていた時だ。
厨房の端。すぐに持って行けるようにと既に準備されたティーワゴンの前に、この厨房にそぐわない方を見つけた。
ドレス姿の令嬢だ。
淡いピンク色の生地に、明るいピンクのリボン。他にもフリルやレースなどをふんだんにあしらったものを着こなした、茶色の髪の華奢で可愛らしいご令嬢。
お名前はたしか、セイレンス伯爵家のマナ様。皆の庇護欲をそそる愛嬌に優れた方で、たしか近頃は社交界でも「王太子殿下と仲良くされている所をよく見る」という、噂になっている方でもある。
おそらく彼女も、今日のお茶会に招待されているのだろう。
が、何故彼女が厨房なんかにいるのだろうか。
道に迷った? そうだとしたら、会場の庭園からここまでは遠い。よほど迷ったのだろう。
もしくは、厨房の方々に何かご用事とか? だとしたら少し運が悪い。彼女の立ち位置ではおそらく、厨房からは死角になっている。おそらく仕事の邪魔になりたくないという配慮からなのだろうけど、そのようにコソコソとしていては、私でなくとも中々見つけてはもらえないだろう。
既にティーセットが準備されていてあとは運ぶだけになっている、ワゴンの前に立っている彼女を見て思う。
――助けの手が、必要かしら。
私をいつもよりも少しだけ積極的な気持ちにさせたのは、彼女に共感したからだ。
自分に気がついていない方に声を掛ける心的ハードルがどれほどのものか、私はよく知っている。
彼女は今たった一人だし、お姉様から「彼女と懇意にしている」という話は、少なくとも私は一度も聞いた事がない。
おそらくこの屋敷も不慣れだろう。見知った使用人も居ない筈。
慣れない場所で「助けてほしい」と声を上げるのは、思いの外勇気が要ることなのだ。
幸いにも、私は使用人たちとは顔見知りだ。彼女と比べれば、まだ周りに話しかける心的ハードルは低い。
……よし。
若干の緊張感と共に、私は心中でやる気を出した。
彼女の方へ歩みを進め、声を掛けようと手を伸ばす。が、手が彼女に触れる直前で、まさかの状況に陥った。
「ちゃんと目印をつけておけば、その機を逃す事はないわ」
独り言のようだった。
予期せぬ盗み聞きした罪悪感に、彼女に伸ばした手が止まる。
が、それが良くなかったのかもしれない。きっとこの後の言葉を聞かずに済んだなら、頭を悩ませずに済んだのだ。
「みんなが騒ぎ始めた所で、私が『厨房でエリザベッタ様が怪しい動きをしていた』と言えば、皆があの女を犯人だと思ってくれる。きっと殿下もあの女を処刑する決意をしてくれる筈。主催者のスローネ様にはちょっと迷惑をかけるけど、すべてはあの悪女を排除するため。必要な犠牲よね」
言いながら、目の前で私に背を向けたままワゴンの上のティーボットに触れた。
ふたを開け、中に何かを入れた後、元に戻すと足早にこの場を後にする。
足音は、厨房内の喧騒に掻き消えている。
誰も彼女に気がついていない。そんな中、私だけが見てしまった。
処刑……?!
あまりに穏やかではない単語である。
恐る恐る、先程彼女が細工していたティーポットのふたに手を伸ばす。
開けて中を覗き、思わず声を上げた。
「ノイの葉、だわ」
お茶会などですぐに一杯目を注ぐことが分かっている時は、先にポットに茶葉を入れて持っていく事もある。このポットにも同様の用意がされているようなのだが、よく見れば中に別の葉が混ざっている。
お祖母様に教えてもらったから知っている。
この荒い葉は、ノイの葉だ。辛み成分を多く含んでいて、料理のアクセントなどに使われる。
通常紅茶には使わない。この大きさ、この分量で使えばおそらく、辛くて当分の間汗と涙と鼻水が止まらなくなる。
毒ではないが、このお茶を飲んだ令嬢は十中八九、人前で醜態をさらす事になる。
面子を大事にする貴族にとって、その手の醜態は命取りだ。これはもう、お茶会テロと言っていい。





