4-12 人形姫と呼ばれてましたが流石に疲れたので休暇をください
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誰かの希望通りに動くことを強いられてきたヴァレリアは心無い貴族たちに人形姫と呼ばれていた。
大好きだったばあやとの別れや長年虐げられ強いられ続けたせいで疲れきったヴァレリアは国王陛下の許可の元、誰にも知られずに幼い頃一度だけ陛下に告げた望み通りの静かな生活を過ごすうちに少しづつ、少しづつ疲れや傷を癒して周囲の愛に気づき始めるのだった。
ふわりと鼻をくすぐるバターの香り。シャカシャカと小気味いい音を立てて卵やミルクがかき混ぜられ、あっという間にもったりとしたツヤを持つクリームになっていく姿を今でもよく思い出す。
ばあやがショコラと呼んでいた、かちこちの茶色い固まりが、少しだけ色を変えながらゆっくりと溶けていく時は驚いたものだ。
白いような、黄色いようなクリームのトロトロとした生地がオーブンの中で膨らんで本物の狐のような色に焼きあがった時はばあやが本当に魔法を使ったのだと思っていた。
「ばあやはすごいねぇ。魔法みたいにお菓子をつくるんだもんねぇ」
子供ながらに出来上がったお菓子を見てすごいすごいと褒めると、ばあやはふっくらした頬に可愛い笑窪を浮かべながら私を抱きしめてくれた。
「姫様こそ魔法を使えるんですよ」
「本当?でもお父様は私が魔法つかえないからこの小屋にいなさいってしてるんでしょう?」
「今は身体がお休みしてるだけですよ。きっと大きくなったらばあやよりずーっと立派な魔法を使うようになるし、何よりも姫様の笑顔はいつだってどんな魔法よりもばあやのことを幸せにしてくれる魔法なんです」
ばあやの身体からはいつだって甘い匂いがした。優しくて甘い、少しお腹が空く匂いだ。
侯爵家の御屋敷の片隅の小さな小さなあばら小屋。私とばあやの小さな小さなお城。一緒に寝るためのベットと、粗末なテーブルと椅子、ボロボロの暖炉に小さな厨房。雨漏りもすきま風もしたけれど、私とばあやの大事な大事な城だった。
私が10歳のある日、お父様が私のことを思い出した。ばあやが風邪をこじらせて死んだ次の日だった。
「もしもね、悲しくて辛くてどうしようもなくなった時はお菓子を作りましょう。チョコレートにクッキーにばあやと作ったお菓子を沢山。そうしたら自然に笑顔になって、そしていつでも笑えるようになったら周りの人におすそ分けしたらもっと幸せになれますよ」
そっと口の中に甘い味が広がった。ばあやが私を幸せにしてくれる魔法だとチョコレートを口に入れてくれたのだ。
そして私はその魔法を信じることを決めた。そしてばあやが作ったお菓子を作ろうと決めたのだった。
死ぬ前に、ばあやから柔らかいミルク色の石のついたネックレスを託され、最期だからと抱き締められて眠りについた。
次の日の朝、ピカピカの、鉄と油の匂いのする騎士たちに囲まれて私は冷たくなったばあやの腕から引き剥がされ、豪華な部屋に通された。
何となく、二度とあの私たちのお城には戻れないのだと子供ながらに思ってしまった。
あれから8年。私はばあやの姫様から正真正銘の公女、ヴァレリア・フォン・レノックスになった。
バターと砂糖の匂いのする身体を何度も洗われ、石鹸と精油の匂いに置き換わり、布でできた柔らかいコルセットはクジラの髭を入れた硬い硬いものになり、西部の出身だったばあやの言葉を真似て覚えた西部訛りは全て矯正された。
ばあやが刺繍まで入れてくれた柔らかな布の靴はハイヒールと呼ばれる硬くて辛い靴に変わった。
両手を繋いで、ばあやの嫁入り道具のオルゴールに合わせて踊っていた私の足は今となっては優雅に男性の足を踏まないように踊れるようになってしまった。
完璧な淑女と呼ばれるようになったのに、8年前よりも高級なものを食べることが出来るのに、私の心はいつも8年前のあのバターと砂糖の匂いを求めている。
「ご令嬢、どうかなさったのですか?」
「いえ、皆様があまりにもお綺麗だったので見蕩れていましたわ」
最高級の茶葉を侍女が完璧なタイミングで淹れる。薔薇を練りこんだ焼き菓子、むせ返るような少女たちの香水の匂い。みんな顔では笑いながら話しているのは誰かを貶めている軽率な噂話。
嗚呼、嗚呼、息が詰まりそうだ。帰りたい。あの小屋に。ばあやの腕の中に。
形見のネックレスをそっとドレスの上から掴む。
帰りたい。
そんな叶うはずもない願いを何度も願いながら気が付いたら8年だ。
ばあやと一緒になって小麦粉を頭につけて笑っていた小娘はどこにもいない。何を考えているのか分からない完璧な笑顔を浮かべ、完璧な所作と完璧な知識をもってこの国全ての従僕たる王太子妃になるために育てられてしまった。
夜明けと共に起こされ、窮屈なコルセットをつけてから朝は貧民を思って黒パンと水を食べ。いつでも美しい姿勢になるように背中にものさしを入れながら授業と公務。昼食はお互い望んですら居ないのに家族と。そして家系をきっちりと計算して招待したご令嬢たちとのお茶会、また公務。公務。公務。
横には常に就寝時でさえ侍女が侍り、私を見張って些細な事ですら報告をする。
それが父の意にそわなかったら即体罰だ。
つまり私の役割は自動人形なのだろう。反抗は許されず、失敗も許されず。周りの期待に完璧に応え続けなければいけないのだろう。
そしてそれは自分の進退についても適応されるのだろうか。
「すまない、別れて欲しい」
目の前で頭を下げている男を見下ろす。婚約者だ。皇太子。周りには臣下と、父と国王陛下。
父の目が血走り、宗教画の悪魔も驚くような険しい顔でこちらを睨みつけている。
婚約者、いや元婚約者になるであろう男はダラダラと真実の愛を見つけただの、私の可愛げがないだの言い連ねて自分の正当性を立てようとしている。
「そなたはどうしたいのだ?」
「陛下」
聞き流していた婚約者の主張がある程度落ち着いてから、静かに聞いていた陛下が私に声をかける。
「バカ息子の話を聞いてはいたが、そなたに瑕疵がないのは明らかである」
「父上!」
「黙れバカ息子が。国王になってから妾を持つならまだしも、真実の愛など国に何の益があるというのだ」
雷が轟くような声で陛下が皇太子を叱りつける。彼は王太子妃教育が終わったあとに開催されていた皇太子とのお茶会によく顔を出してくれていた。
皇太子は遅刻をするか、結局来ないかの2択で陛下がいらっしゃった時にこっそり食べさせてもらえるクッキーが美味しかったのをよく覚えている。
「ヴァレリア。そなたは此度のことをどう考えている?」
「わたくし個人の意見、ですか」
「ああ。そなたの考えを知りたい」
優しい視線と声にそういえばこの方はいつもそうやって私が何をしたいか、どう考えているのか聞いてくれていたことを思い出す。
ばあやとの思い出の次に優しい記憶だ。
「わたくしは、今皇太子殿下の希望に沿うか、国益を考えて陛下のご意見に合わせるか愚考しております」
「そなた個人の感情は無いのか?少なくとも8年、そなたの時間を拘束されていたのだぞ?」
「それに関しては……そういうものだと納得しておりますゆえ、国益の前にはわたくしの個人的な感情も利益も関係ないと教わりました」
気の毒そうに陛下が私をみる。
「なにか、望みは無いのかい?」
「……」
この言葉も困ってしまった。望み。私の望み。あの懐かしい日々に帰りたい。でも過去には戻れないしばあやにも二度と会えないのだ。
「神ですら叶わない願いをする訳にもいきませぬゆえ、お許しください」
深深と頭を下げると、ばあやの話を話したことがある陛下は察しが着いたように眉を寄せて痛ましそうに頷く。
「ただ、もしも言うのならば…無理だとは思いますがこの家を出てどこかでひっそりと暮らしたいと思います」
「疲れたのか」
「ええ、疲れました」
不遜な私の言葉に皇太子と周りの臣下達がどよめく。父が大声で喚きながら私の腕を取り、無理やりに陛下に頭を下げさせる。乱暴に下げられたせいで頭の飾りがバラバラと落ち、髪が乱れ首が痛んだ。
「謝罪しろ!!」
父が耳元で騒ぐ。耳が痛い。そうか、私の選択は間違えたのか。そう考えながら父の望み通りに謝罪しようと腰を落とすと今度は父が吹っ飛んだ。
「私が許しておるのだ。何が謝罪だ愚か者めが」
父が陛下に吹っ飛ばされていた。優しい姿しか知らなかったせいか中途半端な姿勢でそれを見つめてしまう。
「ヴァレリア、そなたの努力も知識もそして望みもどれも私は知っている。10歳の子供が国益を考え、言いたいことも泣くことも我慢しながら8年も自分を犠牲にしていたのだ。この努力に報わねば何が国王というのだ」
陛下が肩を抱いてくれた。8年前、初めてのお茶会で来なかった殿下を待って泣いたあの日のように。
「そなたの望みは8年前から変わらないな」
「……はい」
「では国王の名にかけて、必ずそれを叶えてやろうぞ。自由になるといい、多少の制約はつけることにはなるだろうが、必ずそなたが自由に笑って過ごせるようにしてやろう」
温もりに満ちた声に気が抜けてしまったのか、不敬にも私はその場で気を失ってしまったのだ。





