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4-09 実質追放の公爵令嬢、隣国で「君を愛することはない」と言われて困り果てる

王太子の婚約者だったデボラは、パーティで婚約破棄を告げられる。しかも理由は男爵令嬢を苛めたという濡れ衣。

反論するデボラだが、でっちあげの証言が次々と飛び出し立場は劣勢に。


(これは、損切りね)


彼女は割り切り、冤罪は認めず婚約破棄のみ受け入れる。

が、悲劇はこれで終わらない。父と兄はデボラを守るのではなく王家との取引材料にする事で家の繁栄を取ったのだ。

哀れ隣国の侯爵の後妻として無理やり嫁に出された彼女。体の良い国外追放である。


(でも本当に国外追放で放り出されるよりはマシね。それにあのバカ王子と結婚するより幸せかも)


そして嫁入り先のイケオジの侯爵に「君を愛することはない。実質人質だ」と言われてしまう。


(困ったわ……私に人質の価値はないのに。せめて何かお役に立ちたいわ)


これは、不幸な運命に困惑しつつも平気なふりで前向きに進んだ結果、夫に愛されて幸せになった令嬢の話。

 自分の意志はまるで無視の上で花嫁として連れてこられた隣国のシスレー侯爵邸にて。デボラは談話室でこの館の主人とテーブルを挟みソファに座っていた。目の前には美しい茶器に(かぐわ)しい紅茶や美味しそうなお菓子が並んでいる。これだけを見れば彼女は歓迎されているように思えるだろう。

 ……が。


「デボラ嬢」

「はい」

「君を愛することはない。わかっているだろうが君は我が国の人質だ」


 デボラは夫となる人物に会ったばかりで酷い言葉を投げつけられた。それも微笑みとともに。この言葉を発したゲイリー・シスレー侯爵はデボラよりも13歳も年上で、薄茶色の髭のよく似合う渋みの効いた色男だった。


 ここに来るまでは、てっきり腹の丸い脂ぎったスケベおやじに嫁がされ慰み物にされるものとばかり思っていたデボラ。しかし彼女はシスレー侯爵の麗しい見た目に、次いでその言葉に大層拍子抜けをした。

 ……いや、彼の外側がイケオジでも中身はやっぱりスケベおやじで、自分は慰み物になる可能性もある。デボラは何と切り出したものか少々考えあぐね、指先を頬に当て首を傾げた。


「デボラ嬢、何か?」

「あの……大変申し上げにくいのですけれど……」

「なんだい? 言ってごらん」


 シスレー侯爵のスカイブルーの目が優しげに細められる。声音も言葉遣いも、こちらの緊張を解きほぐすような温かさを含んでいた。それを感じたデボラは、思いきって質問することにした。


「君を愛することはないと、今仰いましたけれど」

「ああ」


 侯爵は当然だろうというニュアンスを醸し出しながら短く返答し、紅茶を飲む。


「それって心は決して通じることはないけれど、身体だけは重ねると言う意味でしょうか?」

「ぶっ!?」


 デボラの言葉に侯爵は紅茶を吹き出し、目を白黒……いや、白青させて咳き込んだ。


「ゲイリー様!」

「旦那様!」


 控えていた執事とメイド服姿の女性が駆け寄る。執事は咳き込む侯爵の背中をさすり、女性は侯爵の口許へハンカチを差し出しながらデボラをキッと睨む。


「貴女、何てことを! 今の言葉は侮辱です! 旦那様を……まるでけだもののように!」

「……いや、いい。ミセスローレン」


 シスレー侯爵はハァと一息ついた。そして苦笑しながらデボラに向き直る。

 彼の目尻に3本ほど笑い皺が刻まれた。


「デボラ嬢、私は先程言った筈だよ。君は人質だと。人質に傷をつければ価値は大きく下落する。それに私は亡くなった妻だけを愛しているのでね。そんな気にはなれないからこそ君を預かるのに適任だったのだよ」

「まぁ、そうだったのですね」


 デボラは目を見開いてぱちぱちとまばたきをし、いかにも無垢であるかのような表情のまま、小さな嘘を交えて言い訳をした。


「世の中には愛は無くとも子は成す夫婦も沢山いるのでしょうけれど、それを初対面からあからさまに口に出すのは少々不思議だと思ったものですから。大変失礼致しました」


 デボラは謝罪した後、侯爵へ質問を続ける。


「では侯爵様と私は、白い結婚になるのですね」

「ああ、そうだ。それだけじゃない。君は自由には出歩けないし、祖国とは簡単には連絡を取れない。勿論家族や友人が君を訪ねる事も出来ない」

「……ええ、わかりました」


 デボラは頷いた。その灰色の瞳はガラス玉の様に美しいがどこか遠くを見ているようで感情は読み取れない。しかし実はその心の内は今の侯爵の言葉によって悩み苦しんでいるのだが、彼女はそれをこの国の人間には決して悟らせまいとしていたのだ。


「では君の部屋へ案内させよう。……その前に、ミセスローレン」

「はい」

「先程“貴女”と言ったな。そんな言葉を使うなど君らしくもない」


 壮年のメイドは、能面のような顔にほんの僅かな苦さを混ぜた。


「君がマギーによく仕えてくれた事は感謝している。しかし今日からはこのデボラ嬢が私の妻となったのだよ。彼女にも同じように仕えて欲しいと願うのは我が儘だろうか?」

「……承知致しました」


 ローレン夫人はデボラに恭しく礼をした。しかし冷たい空気を纏っている。


「デボラ様、私はメイド長のローレンと申します。先程は大変なご無礼を致しました事、お許し下さい」

「いいえ、私もおかしな事を言ってしまったのですから無理もありません」

「恐れ入ります。ではお部屋へご案内致します」


 ローレン夫人は扉の方へ先導する。デボラは席を立ち、侯爵へ優雅な挨拶をした。


「では失礼致します。シスレー侯爵様、どうぞこれから宜しくお願い致します」

「ああ」


 二人が談話室を後にすると、残された侯爵と執事は閉まった扉を見つめたまま会話する。


「アシュレイ、どう思った?」

「……少々、憚られるような事を申し上げても?」

「ああ、かまわん」

「とんでもない女狐ですね」


 侯爵はぶはっと吹き出し、破顔した。


「そうかな。何故そう思った?」

「面と向かって堂々と身体を重ねる(あのような)事を尋ねるとは。同衾すればゲイリー様を籠絡できると言う自信があるのでしょう」

「ほう?」

「そもそも本物のマウジー公爵令嬢かすらも怪しい。娼婦を替え玉として送り込んだのでは?」

「いや、あの所作の美しさは完璧なご令嬢だ。そこらの女では替え玉など務まらないよ。それに噂に違わぬ美貌だったし」


 赤い絹かと見紛う艶のある髪に、吸い込まれそうな大きな灰色の瞳。派手な顔つきに似合わぬ楚々とした気品ある振る舞い。折れそうなほど細い腰に反した豊かな胸。その上にはまたも折れそうな白い首。まさに物語の中の「美しい悪女」や「傾国の美女」を現実に象れば彼女のような姿だろう。


 ひと目見れば誰もが忘れられぬような圧倒的な存在感を放つデボラ・マウジー公爵令嬢。彼女はその美しさと地位から国を代表する美女として、隣国……つまりシスレー侯爵の属するフォルクス王国にも噂が及ぶ程であった。そう簡単に替え玉を立てられるとは思えない。それに何より。


「彼女はマムートでは元王太子の婚約者だった方だぞ。それを向こうから人質として差し出してきた以上、偽物であるわけがない」


 一年前、軍備を徐々に増強していたマムート王国が、フォルクスの肥沃な地を手に入れようと攻め入った。しかしフォルクスも秘密裏に守りを固めていた為、戦いは膠着。短期集中戦で楽に勝てると踏んでいたマムートはあてが外れた。このまま戦いを続ければ勝てる見込みもあるにはあるが、それでは互いに疲弊しすり減ったところへ他の国から攻めこまれるのがオチだ。被害が甚大になる前に二国は和平を結んだ。半年前の事である。


 二国の国境は間を流れる川であったがそのラインは戦後も一切変わることがなく実質はマムートの負けだ。従ってマムートが幾らかの賠償金を支払って手打ちの筈だった。フォルクス国内ではこの手打ちに「甘い」と不満を持つ者も居たのだが、この戦争で明確な被害を受けたのは国境を治める王家直轄地とそこに隣接したシスレー侯爵領だけだった為、フォルクス王家とシスレー侯爵が是とすれば表だった反対もできなかった。


 それが先日突然、マムートからデボラを花嫁として送ると申し出があったのだ。彼女は薄くはあるがマムート王家の血筋を引いている。丁度今はマムート王家に年頃の王女が居ないこともあり、更に彼女の地位や立場も鑑みれば人質としては妥当なレベルである。フォルクス国内では誰が彼女を引き取るかで少々揉めたが、美しい彼女に手を付けないだろうという信頼と、人質の彼女を盾にするならば国境付近に住まうシスレー侯爵が最適と白羽の矢が立ったのだ。


 ここまで入り組んだ事情の上で、彼女が偽物ならば更に二国間の火に油を注ぐだけだろうとシスレー侯爵は考えていた。


「となると、本物ではありますが我が国を探るために送り込まれたと?」


 執事の言葉に侯爵は頷いた。


「可哀想だが篭の鳥になって頂こう。尤も、こんな田舎では外に出たところで彼女が望む情報など得られないだろうがな」


 ◆


 デボラはローレン夫人の案内で部屋へ通された。公爵家の時ほど豪華ではないものの、充分な部屋の広さと美しい調度品が用意され、陽当たりも風通しも悪くない。続き部屋には衣装部屋と寝室、更に続いて浴室もあり、衣装部屋には自国から持ってきたドレスや装飾品が既に納められていた。


(まあ。人質というから私物は取り上げられるものだとばかり……)


 またまたデボラは拍子抜けした。そこにローレン夫人が冷たい声をかける。


「何か御入り用の物がございましたらご遠慮無くお申し付けくださいませ。日中と夜間も交代で()()()()()おりますので」


 元公爵令嬢、現侯爵夫人であればメイドが常に控えるなど日常的なものだ。しかし敢えてローレン夫人は強調した。これはデボラが余計な事をせぬよう見張っているとのアピールに他ならない。


「ミセスローレン、ありがとう」


 デボラは微笑むと、窓際に寄り外の世界を眺めた。また目はガラス玉の様になり、小さな小さな溜め息が溢れる。ローレン夫人は……いや、そこにいた他のメイドも皆、彼女は囚われの身となった自分を憂いているのだと受け止めた。デボラの心の中を正しく把握できた者は誰一人として居ない。


(困ったことになったわ……)


 デボラは悩んだ。こんな扱いを受けるならば、まだ愛はなくともスケベおやじの慰み物にされた方がマシだったかもしれない。それならば少なくとも自分の身体には価値があると言えるのだから。


(こんなに丁重に扱って頂くなんて。おそらく私に人質の価値などないのに。どうしましょう……)

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