シノビ
「……行ったな。では正義の名において魔女狩りを始めさせてもらう」
「……どうぞご自由に」
そうしてゼーネイ卿達はドカドカと門を超え、踏み込んでいく。
バルコニーに佇む、麗しき令嬢を拘束する為に。
「誤魔化しが効くとは言ってもいつまで持つか……。天使様……どうかお気をつけて」
憂いを帯びた眼鏡の男は、祈るように三日月を仰いだ。
「うおおおおおおっ」
カウフゥは自室に駆け戻り、セレティナ謹製の鬘とドレスを脱いだ。ゼーネイ卿が入ってくる、その前にこれらを処理しなければならない。
暖炉の元まで急いで駆け寄った。
カウフゥは炎の中にそれらを突っ込もうとし……僅かに逡巡する。
憧れの天使様が着ていたドレス。
彼女の香りは、まだ残っている。
「…………」
しばらくの後カウフゥはぶんぶんと頭を振ると、少し口惜しく思いながら暖炉の炎の中に手放した。
鬘とドレスは爆ぜる様に燃え、消滅の時は近い。
……これで駐屯地からセレティナの姿は忽然と消えた事になる。御手洗にでも行ってるのだろうと嘯けば、更に時間を稼げるかも知れない。
大勢の男達の靴底の音が、階段を上ってくる。
……さあ、一分一秒でも時間を稼がなければ。
元の兵装に身を包んだカウフゥは燃える変装セットを眺めながら、決意の光を瞳に宿した。
*
「良かったのか」
レヴァレンス、とある路地裏。
教会に子供達を預けてきたセレティナとリキテルは、人の流れを避ける様にウルブドールに繋がる南門を目指していた。
南門を抜けた先に、馬を一頭用意して貰っている。そこまで漕ぎ着ければ、レヴァレンス脱走劇は成功と言えよう。
しかし難所は越えたとは言え、街全体は魔女狩りの話題で持ち切りだ。早々にこの街を抜けなければ、捕まるのも時間の問題だろう。
夜の暗闇に紛れ、しかし滑る様に駆ける二人の足並みは軽く、速い。
セレティナは襤褸のキャスケット帽が飛んでいかない様に軽く押さえつけ、転がる酒樽を飛び越えた。
「何がだ」
「髪だ。貴族の娘ってぇのは大層髪を大事にするもんらしいじゃないか。駐屯地の男連中のあの慌てようったら無かったぜ」
「……必要経費だ、仕方ない。私が変装出来る上にカウフゥに被らせる鬘まで拵える事が出来た。払った対価に見合うだけの成果は得ている。生きる為なら仕方ないさ」
「執着が無いと言うか女っ気が無いと言うか……見た目は可愛子ちゃんだけどとんだ狸だな」
「褒め言葉として受け取っておこうか。……しかし男物のパンツはやはり良いな、革のブーツも。スカートやヒールと違って機能性に長けていて動きやすいのなんの」
「……セレティナさんよ、あんた本当に女か」
「失敬な、歴とした女性だぞ。その発言は少し傷つくな」
そう言ってセレティナはくつくつと自虐的に笑った。長い髪の毛を切り落として、スカートもヒールも脱いだ今だからこそ自分が男であったと久々に思い出した程だ。
それをリキテルに指摘され、彼女自身それが可笑しくてつい笑ってしまった。
「で、セレティナさんよ」
「セレティナじゃない」
「……?」
「帝国領内に居る間はセレティナだのコーシャクサマだの天使サマだの呼ばれているのを聞かれたら不味いだろう」
「じゃあ何て呼べばいいんだ」
「それは……後で考える」
そう言ってセレティナは立ち止まる。
石壁に背を合わせ、ゆっくりと角から顔を出して人の流れを見渡した。
……やはり、街の出口はほぼ封鎖されていると言っても良い。
目当ての南門の周りには装備を整えた帝国兵や、ゼーネイ卿に駆り出されたであろう冒険者達が塞いで検問している。
都市全体が、魔女を捕らえる監獄と化していた。
セレティナは小さく舌を打つ。
「やはりと言ってはなんだが、警備は厳重だな」
「向かってくる奴等全員殺していけばいいじゃないか。不可抗力、正当防衛じゃん?」
「愚か者、簡単に人を殺そうとするな。お前は騎士なんだろうリキテル。お前の身の振る舞い、言動は全て陛下に通じるものと知れ」
「へいへい……。陛下の御為に、ね……」
しかしどうする。
このまま先程のように少年として抜けた方が安全か。
ゼーネイ卿は騙せたが、しかし万が一疑いを掛けられたら次の手は無い。
検問がどの程度のものかによるが、帝国において黄金の髪は少し珍しかったりする。もしも念入りに調べられたら……。
セレティナが思案に暮れるその時だった。
「発見。黄金の魔女……天使?」
ひた、と。
まるで影を蕩かす様な気配。
セレティナとリキテルが、弾かれた様に同時に声に振り返った。
そこには、少女。
藍緑色の髪を後ろで結わえた少女が影に寄り添う様に佇んでいた。
黒の踊り子と言えば表しやすいだろうか。
全身を機能性に優れた黒の装束で身を包み、口元には黒のフェイスベール。
東方に聞く『シノビ』にも近いのかも知れない。
怜悧な印象を受ける切れ長の黒い双眸が、セレティナとリキテルをぴたりと捉えて離さない。
「質問。魔女?貴方は」
ぼそぼそと啄ばむ様な声。
しかし少女のアルトの声音は、この喧騒でもしっかりと耳に届いた。
……臭う。
セレティナの嗅覚が、少女の放つ強者特有の気配を敏感に嗅ぎ取った。
何より、あのセレティナとリキテルが背後を取られたという時点でこの少女の実力は明らかなのだが。
「……君は?」
じり、と腰に差したエリュティニアスの柄の感触をセレティナは僅かに確かめる。
リキテルは、思いがけない強者の登場に舌を舐めずった。
「回答。僕はユフォ。捕まえる。お金の為に。貴方を」
ゆらり。
ユフォと名乗る少女は陽炎の様に揺らめくと、ナイフを何処からともなく取り出した。




