ちょっとそこ通りますよ
「漸く来たか!」
待ち侘びた。
そう言わんばかりにゼーネイ卿は唾を飛ばして叫んだ。
ゼーネイ卿の視線の先には、忌々しく閉ざされた門をバリケード毎吹き飛ばす攻城兵器、破城槌が幾人もの男達の手によって担ぎ込まれるところだった。
ゼーネイ卿は焦っていた。
彼には一刻の猶予も無い。
何故なら他国の公爵令嬢を魔女と大々的に謳い、剰え彼女を手に掛けようとしているのだから。
証拠隠滅、偽装工作、方々の有力者からの助力を請う為の資金繰り……枚挙に暇が無いが、しかしそれでも今一番大切なのはセレティナの捕縛だ。
他所に逃げられ、教会の洗礼を受ければ魔女の証明など造作も無く暴かれる。
その前に何としてでもセレティナを自分の息のかかった工作員のみで処理しなければならない。
……もう一度言うが、ゼーネイ卿は焦っている。
もしも彼の計画に僅かの綻びでもあれば彼自身の命は勿論、国家間戦争のトリガーを引いてしまうリスクさえ彼の頭にはどこか現実離れした話にしか聞こえていないのだから。
兎にも角にも目前の身の保身。
逸るゼーネイ卿には、今は門を破る事しか頭に無かった。
「よォォォーーーし!破城槌をぶちこめ!この忌々しい門をぶっ飛ばし、魔女に正義の鉄槌を下すのだ!一刻も早くぶっ壊せ!魔女を捕らえた者には褒美をくれてやる!」
でっぷりと出た下腹が彼自身の叫びによってぶよぶよと揺れた。ぴっちりと分けられた七三も今は乱れ、目は血走っている。
ゼーネイ卿の宣言に、集まった兵達は皆一様に喉を鳴らした。
何故ならば今回の魔女狩りは非番の者まで駆り出された上に報酬は更に上乗せ。傭兵にならず者、冒険者まで集め、べらぼうに報酬が高い上に更に褒美と来た。
ゼーネイ卿の声高な言葉に男達は期待に胸を膨らませ、涎を垂らしてしまいそうになっている。
さあ、門を吹き飛ばすぞ。
十何名かの屈強な男達によって破城槌は構えられた。
前に、後ろに、ゆらりゆらりと柱状の巨大な槌が勢いを付けていく。
「儂の号令で打ち込め!……3!……2!……」
「ちょっと待て!」
しかし勢いの付いた破城槌に水が差された。
門の目前、セレティナに救われた男の一人が仁王立ちでもって叫んだ。
破城槌は思いがけず勢いを失い、ゴツ、と鈍い音を立てて門にぶつかるに留まった。
ゼーネイ卿の眉根が苛立たしげにピクピクと跳ね上がる。
「貴様何用か!とうとう怖気ついたか!門を開かぬのであれば用は無いぞ!」
「門を開きにきた!よって無粋な破壊行為はやめていただきたい!」
「な、にィ……?開けるだと?」
男の進言に、ゼーネイ卿は流石に肩透かしを食らった。梃子でも動かなかったこの男達が、今更になって自ら門を開くと申し出るとは。
まさか本当に怖気ついたのか。
「中には子供達もいる!手荒な真似はやめて頂こう!」
「ガキどもなどどうでも良いのだ!魔女だ!魔女を差し出せばどうとでも良い!」
「魔女ではない!教会の審問も受けていない状態で魔女呼ばわりとは良いご身分だなゼーネイ卿!」
「なんだと!貴様ら、儂が手厚く雇ってやっていた恩を忘れたか!」
「その様な恩はとうに忘れたわ!」
「おい。そこまでにしとけ」
今にもゼーネイ卿に噛みつきそうな男の肩を掴み、眼鏡の男が嗜める。気炎を上げる男を下がらせ、冷静に努める眼鏡の男が一歩出た。
「ゼーネイ卿、万が一がある。先に子供達だけでも外に出してやってはくれないか。天使様を捕まえたいならその後で良いだろう」
「……魔女をガキ達に紛れ込ませて逃すつもりじゃなかろうな」
「僕はお互いの為を思って言ってるんだ。あの子供達はウルブドールから護送したんだ。やんごとない身分の子らが多いのは知っているだろう。冷静になれ、ゼーネイ卿。僕達はあの子らを人質にする事だって出来るんだぞ。流血沙汰になれば責任は君に及ぶんだ」
僕の言いたい事が分かるね?
そう言って眼鏡の位置を直す男に、ゼーネイ卿は僅かに狼狽した。
しかし、確かに眼鏡の男の言う事も一理ある……。
ゼーネイ卿は、渋々頷いた。
「……分かった、まずはガキ共から先に逃がしてやる。だがそれにはまず魔女の姿を確認しない事にはな」
「セレティナ様だ」
「あ?」
「魔女じゃない、セレティナ様と呼べと言っているんだ。余り刺激しない方が良いよ」
眼鏡の男はそう言って周りの男達に目を配った。門の内の男達は皆、ゼーネイ卿の傍若無人な言動に限界だった。
歯を剥き出し、ギリギリと槍を握り睨みつける多数の男達の視線に、流石にゼーネイ卿もたじろいだ。
「う……、む。で、では、まずはそのセレティナの姿を見せよ。小細工されて逃げられては敵わんからな」
「天使様なら彼方に」
そう言って眼鏡の男は遠く、二階のバルコニーを指差した。
「ほう……どれ」
ゼーネイ卿はオペラグラスを取り出すと、バルコニーを垣間見た。
……居る。
噂のセレティナだ。
あの美しい金色の髪、端正な顔立ち、帝国には無い王国製の見事なドレス。
憂いを帯びた表情で、バルコニーから全てを見下ろしている。
「確かに居るな……。あの美しい黄金の髪……確かに確認したぞ」
「なら、先に子供達を解放するよ。いいね?」
「ああ。さっさとしろ」
ゼーネイ卿が顎をしゃくると、眼鏡の男は声を張り上げた。
「子供達を!」
その一声が轟くと、駐屯所から男達に連れられて子供達がわらわらと出てきた。
まだまだ小さな子供から、少し大きな子供まで、それは種々様々だが何故か皆一様に泥に塗れている。
小さな子供達は緊張感のカケラもなく、きゃいきゃいと騒ぎながら門まで向かってくる。
「おい、何故あのガキ共は泥塗れなのだ」
「裏庭が少しぬかるんでいたから、泥遊びをしていたんだ。少し目汚しかもしれないが、子供のやる事だ。笑って許してやってくれ」
「……ふん。こんな時に呑気なものだ」
「じゃあ門を開けて横を抜けさせてもらうよ。いいね?」
「さっさとしろ。儂は忙しいんだ」
眼鏡の男の手合図で門のバリケードが撤去され、固く閉ざされた門が漸く開いた。
ゼーネイ卿は僅かに胸を撫で下ろし、オペラグラスで再三セレティナの姿を盗み見る。
逃げられては敵わない。
だか、セレティナはバルコニーから動いていない。
ゼーネイ卿はニヤリとぼってりした唇を歪ませた。
「ちょいと失礼するよ〜。はーいガキンチョ共、お兄さんについてきてな〜」
陽気な男の声。
赤毛の男を先頭に、子供達がゼーネイ卿の横を抜けていく。
ほんの小さな子供から、少年少女と言える程度に成熟した種々様々な子供達。
次々と横を抜けて行き、そして……最後の一人。
「おい、ちょっと待て!」
ゼーネイ卿は横を抜けようとする少年に叫んだ。ぐいと華奢な肩を掴み、強引にその場に留まらせる。
襤褸のキャスケット帽。
草臥れたブーツに、皮のジャケット。
綿のシャツは、古い割には良く清潔が保たれている。
なんて事の無い、少年の一人だ。
だが、何か惹きつけて止まない何かを感じ、ゼーネイ卿はその少年を呼び止めずにはいられなかった。
「なんだよおっさん」
少年は、怪訝にゼーネイ卿を睨んだ。
美しい顔立ちだ。
顔を上げた少年に、ゼーネイ卿は素直にそう思った。
群青色の瞳。
桜色のぷっくりとした唇。
スッと通った鼻筋。
泥に塗れていても、少年の美貌は誤魔化しが効くことは無い。
傾国という言葉が頭に浮かぶ程に、その少年は美しかった。
……まさかな。
ゼーネイ卿の頭の隅に、一抹の不安が過ぎる。
「帽子を脱げ」
「あぁ?」
「帽子を脱げと言っている」
「…………」
「……なんだ、脱げないのか?」
チッ。
少年は分かりやすく舌を打つとキャスケット帽を脱いだ。
すると泥に塗れ、燻った黄金の髪が現れる。
それは、オペラグラスで見たセレティナの髪に良く似ている。
しかし……短い。
その髪は、少年らしく短く切られている。
「…………」
ゼーネイ卿はここで少年を白とした。
貴族の娘が、例え命が掛かっているとしても長く伸ばした髪を切るなどあり得る事では無い。
尊い身分の女性にとって、髪を短く切られる事は最も屈辱的な辱めの一つに挙げられる事で有名だ。それを公爵家の娘が、大胆にも集目の前で髪を短く切るなどそれこそあり得ない。
「……おいおっさん。男の顔をジロジロ見て楽しいかよ」
……それに先程からのこの淑女としての品性の欠片も無い野蛮な態度。
ゼーネイ卿はこの少年を顔の良い糞餓鬼と称し、さっさと見送る事に決定した。
「良い、さっさと失せろ。大人は忙しいんだ」
「……んじゃ、俺はとっとと家に帰らせてもらうとするよ」
少年はそう言って、とっととゼーネイ卿の横を擦り抜けた。
内心、心臓が爆裂しそうなのを決して気取られない様に気をつけながら。




