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増軍

 


 剣を振る。

 キィン、と耳鳴りの様な音。

 次いで少し遅れて銀の閃光が後を追う。


 時に鋼を穿つ程鋭利に。

 時に闇夜を照らす朧月の様に流麗に。


 変幻自在。

 千態万状。


 セレティナの剣は夕霧の様に掴み所がなく、しかし身に迫る脅威を苛烈に攻め立てる。


 乙女の柔肌なぞ容易く食い破るだろう黒の鉤爪は、しかしセレティナに届きはしない。

 群青の瞳が、己の生存ラインギリギリの境界線を引いていき、そこに僅かに身を捩らせ滑り込ませる事で彼女の生存を確固たるものにする。


 一歩誤れば、死が待ち受ける世界。

 脆弱な肉体しか持ち得ぬセレティナは、しかしその世界を悠々と泳いでいく。側から見れば、目を覆いたくなる様な光景だ。


 だが、セレティナに追い縋る死の気配は、彼女のスピードに追いつける筈もない。








 セレティナは魔物の首をまた一つ斬り飛ばすと、くうでくるりと身を翻して後退した。


 着地と同時に片膝を付き、暴れる心臓を諌めようと小気味良く呼吸を繰り返す。じっとりと額に浮かんだ汗に髪が貼り付き、茹だる暑さに僅かに身悶えた。


 黄金の天使が戦闘に介入してから、決して短くない時間が過ぎた。彼女の獅子奮迅の活躍もあり、魔物の数は相当に減り始めている。帝国の戦士達も相応に命を散らしたが、彼等の死は生き残った戦士達の背中を押し続けてくれている。


 士気は、高い。


 いける。


 やってやれない事はない。


 セレティナは頬を伝う汗を拭うと、鈍くなり始めた体を奮い立たせた。

 あの日、首に紋章を受けてからというもの頗る調子は良いが、やはりそうは言っても元が脆弱な体なのだ。活動限界時間も限られている。


 そう、この戦、やってやれない事はない。

 単なる足し算引き算、セレティナの体力を度外視すれば、の話だが。



「天使様。大丈夫ですか」



 厳しく戦場を睨むセレティナに駆け寄ったのは先ほどの少年兵だった。べったりと返り血に塗れ、剣を持つ彼の手は恐怖に震えている。


 セレティナは、自身の疲弊を悟られぬ様に努めて笑顔を取り繕った。



「ええ、平気です。心配してくれてありがとう」



 少年兵はその笑顔を見て、しかし震えが止まらなかった。


 セレティナは気づいていない。

 自身の笑顔が張りぼての物だと直ぐに感づかれてしまう程度に、疲弊の色が濃く出ているのが。



 そしてその直後だった。


 帝国のつわもの達が、恐怖の声で響めきたったのは。


 セレティナは弾かれた様に視線を走らせ、それを目撃してしまう。それと同時に、全身の力が僅かに抜け落ちる。


 やり直し。


 ふと頭に浮かんだのは、そんな生易しい言葉だった。


 遠い平原の向こう。

 鉤爪の魔物の群れが目測で百……いや、二百弱もの数が此方に押し寄せてきている。


 殺意に満ちた紅色の双眸の大群が此方に土埃を舞い上げながら向かってくる様は、まさに絶望。


 セレティナは、思わず喉を鳴らした。

 そして、肩に入った力を僅かに緩めて少年兵に微笑んだ。



「……逃げなさい」


「え?」


「出来るだけ沢山の子供を引き連れて。奴等は私が引きつけて置きます。ですからその間に貴方はお逃げなさい」


「ですがそれでは天使様が……!」








「あ〜〜……」



 それは、戦場で発せられるには余りにも呑気な声だった。まるで買い物途中に買いたい物を忘れてしまった青年が頭を悩ませている。


 その程度に緊張感の無い声音だった。


 短く刈られた赤毛。

 よく日に焼けた小麦色の肌。

 王国で拵えられた白銀の軽鎧。

 両の腰に下げられたククリナイフ。


 リキテル・ウィルゲイムはぽりぽりと頬を掻いてセレティナの横に並び立つと、恭しく頭を下げてみせた。



「本日はお日柄も良く……だっけか?麗しき?えぇと……」


「……こんなところで形式上の挨拶など不要です。要点のみを言いなさい、リキテル・ウィルゲイム」



 厳しく諌めるセレティナに、リキテルはにっこりと人好きの良い笑みを浮かべた。



「百人力の兵はご所望ですか?コーシャクサマ」

 



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