薔薇に絡みつく蛇
「へ……?」
セレティナは思わず目を丸くした。
気の抜けた炭酸の様な、力の無い声がついて出た。
何故なら、目の前に傅く偉丈夫のその姿。
漆黒の全身鎧。
王の瞳と同色の翡翠の外套。
背に担いだ巨剣。
それはどこからどう見たって生前のセレティナが纏っていた装備そのものであった。
オルトゥスの鎧は純白だったので鎧の色だけは違うのだが。
……いや、よく目を凝らすと違う。
手甲や頭鎧の小さな傷のひとつひとつを具に
見れば、自分が纏っていた鎧では無い事が何となく分かる。
つまりこの男が纏う装備は、生前のセレティナの装備を模して作られた物だという事。
……なんだこいつは。
セレティナの怪訝な視線が、ロギンスを貫いた。
しかし、その偉丈夫の名乗りはセレティナを更に驚愕させるものだった。
「お初にお目に掛かります。王国騎士団団長を任されております、ロギンス・ベル・アクトリアと申します」
「……へっ?」
セレティナの脳天から、頓狂な声がぽんと出た。
おーこくきしだんだんちょう。
ろぎんすべるあくとりあ。
……………。
「???????」
セレティナの頭が、思わず傾いだ。
この男は、今なんと言った。
「あの、よく聞き取れませんでした申し訳ありません……。宜しければもう一度……」
ごほん。
セレティナの言葉に、ロギンスはひとつ咳払いをした。
「王国騎士団団長、ロギンス・ベル・アクトリアと申します」
ロギンスは堂々と、そう答えた。
「……王国騎士団長?」
「はい」
「……ロギンス・ベル・アクトリア?」
「はい」
「……おま……貴方が?」
「その通りです」
ロギンスは、努めて硬くそう告げた。
対するセレティナは、それがなんだか可笑しくて
「くくっ……くふっ……あははははははは!あははははははは!そうかそうか!貴方は王国騎士団長で、ロギンスで、『誇りと英知を穢す者』を討ってくれたのか!くふっ……あははははははははははは!」
堪らず、腰を折って笑ってしまった。
ロギンスも、エリアノールも、呆気に取られてそんなセレティナを見ていた。
だって、可笑しいのだ。
いつもいつも自分の後ろをちょこちょこ付いてきて真似っ子ばかりしていたひよっこの若僧が、今では王国騎士団長になっていて尚且つ彼の手によって自分の身が救われたのだから。
セレティナは笑った。
風が吹けば飛んでしまう小枝の様だった彼が、今では見上げる程の偉丈夫だ。
オルトゥスを模して象られた装備も、まるで自分の現し身と見紛う程に似合っている。
一頻り笑い、涙も浮かぶ瞳でセレティナは今一度ロギンスを確かめた。
これだけ育っても、やはり彼は真似っ子だ。
自分と同じ装備を纏っているのが、それもやはり可笑しくて堪らない。
「……あの、私が何か」
「……いえ!いえいえいえ、何でもありません。これは大変失礼しました」
あー、可笑しい。
セレティナは目端に溜まった涙を指で救いながら、微笑んで見せた。
……十四年。
月日は、こうも人を成長させるものなのだな。
込み上げる笑いを乗り換えたセレティナは一人、感慨深い想いに満ちていた。
よくぞここまで成長した。
子が親を思うような、じんとした感情がセレティナの胸中に去来する。
「セレティナさんとロギンスさんはお知り合いなのですか?」
「いえ……今初めてお目に掛かったと思われるのですが……違いありませんね?セレティナ嬢」
「ええ、ええ。間違いありません。突然大笑いしたのは本当に大変失礼しました。宜しければお許しくだされば幸いです」
「それは良いのですが……何故私を見て笑われたのでしょうか」
「ええと、あの少し思い出し笑いを……?というかなんというか、まあちょっとこちらのええとごにょごにょ……」
それよりも!
セレティナは歯切れの悪い言い訳を苦し紛れに断ち切った。
「自己紹介がまだでしたね。セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライトと申します。騎士ロギンス、貴方の働きで私は生き永らえる事ができました。有難う存じます」
スカートをちょんと摘み、セレティナはお辞儀をする。
ロギンスにこうする事自体、彼女にとっては違和感しかないのではあるが。
「いえ。セレティナ嬢の奮闘があればこそです。なんと公爵令嬢の高貴なる身分にありながら、一騎当千の剣の実力の持ち主と聞き及びました」
「一騎当千だなんて……そんな事は全く。一体誰からその様な事を吹聴して……」
言って、セレティナの目端にエリアノールがちらと映った。
彼女は翡翠の瞳を爛々と輝かせてセレティナを見ている。
「ああ……」
合点がいった、という具合にセレティナは小さく漏らした。
「セレティナさんは凄いのですわ!魔物を千切っては投げ、千切っては投げの大立ち回り!彼女こそが、真なる騎士だと私は信じて疑わないのです!」
「はは。エリアノール姫、その話はもう百回は聞き及びましたよ」
ロギンスは肩をわざとらしく竦めてみせた。
本当に毎日毎日誰かしらに壊れたレコードの様にセレティナの事を話していたのだろう。
なんとなくロギンスが辟易しているようにさえ見える。
「ですが実体を持たぬ『誇りと英知を穢す者』と渡り合えたのは本当に驚異的の一言に尽きます。今でも信じられない程ですよ」
「有難う存じます」
「しかし、何故それほどの力を?」
「……私もいずれ騎士になろうと思いまして」
ぴくり。
ロギンスの体が、僅かに揺れた。
「……騎士に?何故貴方が」
「乙女は夢を見るものです。騎士になる夢を見る乙女がいたとて、なんら不思議はありませんよ」
セレティナは、楚々として微笑んだ。
「……………」
ロギンスは次に出てくる言葉が浮かばない。
目の前の少女が何を考えているのか、分からないのだ。
……騎士になる?
ロギンスは疑っている。
もしも魔女と繋がりがあるのなら、確かめなくてはならない。
だがセレティナが何を考えているのか、彼には分からない。
微笑むセレティナのすぐ後ろで、魔女の微笑みが浮かんでは消えていく。
「そうですわ!ロギンスさん!」
そんなロギンスの思惑を知らないエリアノールは、名案が浮かんだとばかりに手を叩いた。
「どうしましたか、姫」
「セレティナさんをロギンスさんの王国騎士団に入れてはどうでしょう!その実力、清き心はこの私が保証します!ねっ、名案でしょう!ロギンスさんも強い騎士が入るのは歓迎でしょう?」
エリアノールはきゃいきゃいとはしゃいだ。
王国騎士団にも、色々種類が存在する
その中でも近衛騎士と分類されるものがあるのだが、それは常に護衛対象の側に侍り、守護するのが任務なのだ。
エリアノールはその近衛騎士にセレティナを、と下心満載で推薦したのだが……。
「うーーん…………」
ロギンスの返事は、歯切れの悪いものだった。
むっ、とエリアノールの頬が膨れ上がる。
しかし、そんなエリアノールを諌める様に言を出したのはセレティナだった。
「エリアノール様、有難い提案ですがそれはいけません」
「何故ですの?色々うぃんうぃんな感じと思うのだけれど……」
「私はまず、騎士ではありません。その様なものがいきなり王国騎士団など」
「うーん、何がいけませんの?」
「まず騎士になる為には勲を上げ、陛下によって叙任されなければなりません」
「よくご存知で」
ロギンスは鷹揚に頷いた。
ロギンスが、セレティナの言葉を継ぐように説明を続ける。
「騎士になるにはまず半年間騎士訓練学校に行き、そちらの卒業試験として魔物を狩りに行きます。狩った魔物が勲として認められ、叙任式が行われる……というのが大体の騎士になる流れですね」
「そんな回りくどい事をしなければなりませんの?面倒ですわ」
「騎士になる者が強くなかったり、教養が無かったりすれば民草の信用にも関わりますからね。勿論例外も無くは無いのですが」
むぅ、とエリアノールはしかし膨れたままだった。
「まず騎士になる。それから試験によって厳選された者のみが王国騎士団に入ることができる。そんな厳しい壁を一足飛びで、私のような小娘が飛び越えたら非難轟々でしょうね」
セレティナは他人事のように微笑んだ。
「うぅ……分かりましたわ……渋々納得致します」
「それは結構」
ロギンスは腕を組んで頷いた。
「それより、セレティナ嬢は先程目覚めたばかりだと聞き及びましたが……。随分となんというか、元気ですね」
「え?ああ、そうなんですよ。自分でも不思議なくらいで。まるで自分の体が綿毛にでもなったように軽くて……不思議ですよね」
「ほう……」
なるほど。
そう言って、ロギンスは指を指した。
彼が指すところは、セレティナの首筋の辺り。
「その薔薇のような紋章とは、何か関係はありそうですか?」
「え……?」
そこは、『黒白の魔女』がセレティナにキスを落とした場所。
目を凝らさねばならない程小さな虫刺されのようなそれは、薔薇に絡みつく蛇を模した黒々とした紋章だった。




