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交わらぬ運命

 




 その日、王都は沸いていた。


 ――騎士達の凱旋。


 人々は喜色満面にエリュゴールの手旗を振り、近年でも稀に見る程のいさおしを立てた英傑達の凱旋を見守っている。


 憧憬に満ちた視線と拍手……それから賛歌が送られる中を行く騎士達の表情は、それは晴れやかなものだった。皆が皆それだけの偉業を成し遂げられたのだという誇りを自負し、ひと皮むけた顔をしいているのだ。



『上級』魔物の大量発生。

 それも王都近郊という謂わば王の喉元で発生した緊急事態に、王国は恐怖の底に落ちていたのだ。


 例え一体でも天災と比喩される程の『上級』が、三十という数で群れを成すという異常。

 そしてそれを一晩の内に狩り尽くすという、前述を超えた異常。



 その異常ともいえる偉業を為したのは、やはりオルトゥスという稀代の天才騎士がいたからこそだろう。平民上がりのオルトゥスだが、この時既に多くの貴族騎士に認められる程には頼りにされる存在となっていた。



 ――オルトゥス、この時弱冠二十一歳。



 まだ若々しさが目立つものの、集団の中に於いて一人だけ一際白く輝く聖鎧を身に纏い、更には先頭を歩いているのがこの男だ。しかしそれに不満を抱くものなどいない。名実共に王国を代表する傑者として、この時既に自身の立場を確固たるものとしていたからだ。



 賛辞の多くは、オルトゥスに向けられたものだった。

 それに疑問を抱く者など、少なくともエリュゴール王都には誰ひとりとしていなかった。





 ◇





 ――その日の夜。


 オルトゥスは、酔っていた。

 酒に強い彼が酔うことは珍しい事だった。


 疲労が溜まっていた所為もある。

 しかし先輩騎士らに祝勝会とかこつけられ、あれよあれよと言う間に調子良く大量の酒を飲まされた事が原因だった。共に死線を潜り抜けた事で、彼らの中にあった平民貴族の蟠りは更に希薄なものとなっていた故に。



「うう……」


「おいおい大丈夫か? お前がここまで酔うなんて珍しいな」


「英雄オルトゥスもこうなりゃ一端の人間だな」



 頬を朱に染め、オイルランプが突き立った大通りの隅を、時折先輩騎士らに支えられてふらふらと歩く。一行の数は五、六人ばかりだった。


 はたから見れば酔っ払い一団であっても、彼らは一流の騎士。



 何てことのない帰り道だった。







 ……しかしこの時、二人は出会う。



 幽鬼の様な少年が、路地裏からふらりと姿を現した。


 体のあちこちを擦り剥き、頬は煤に汚れていて、雨天の獣の様な臭いをツンと放っている。浅く焼けた肌に、赤毛。目に宿る光は無く、痩せ細った体も相まってまるで亡者の様な雰囲気だった。


 しかしだ。

 オルトゥスと少年、二人の視線が噛み合った瞬間、少年は化けた(・・・)




 少年はオルトゥスと視線が噛みあうと、その表情を一変させたのだ。

 まるで捨て犬の皮が内から破け、中から悍ましい化け物が這い出た様に。

 先程まで虚ろで空っぽだった少年の中に打ち広がる憎悪の念。険しく眉間に皺を刻み、獣の様に犬歯を剝き出しにすると、彼はオルトゥスへ飛びかかった。


 軽い酩酊状態にあったオルトゥスは、僅かに反応が遅れた。

 少年はオルトゥスの巨体に組みつくと、胸倉を掴んで怒鳴り始めた。


 はっきり言って、何を言っているのかオルトゥスには理解できなかった。

 言葉はぐちゃぐちゃとしていて、支離滅裂。少年の瞳からは涙が溢れ出し、喉の奥からは嗚咽が滲み出ていた。


 気が狂う様な激情を、この少年は自身にぶつけている……と、オルトゥスは、この時それだけは理解できた。



「離れろ!」



 眼前にあった少年の顔が、吹っ飛んだ。

 先輩の騎士に引き剥され、少年はいとも容易く放り投げられたからだ。


 ごろごろと路地を転がる少年を気遣い、前へ出ようとしたオルトゥスだったが、それを制すように二人の騎士が前へ出る。



「オルトゥス、お前は先へ帰ってろ」


「しかし……」


「いいからいいから。こういうわけの分からない私怨を抱えた人間に一々構ってちゃキリないぞ。お前はさっさと帰って、明日に備えてろ」


「……分かりました」



 考えが巡らぬ頭。

 オルトゥスは額を押さえ、その場を任せる事とした。




 ……この判断が、分かれ目だった。


 この時オルトゥスとリキテルの運命が、交わるかすれ違うかの分け目だったのだ。

 あの時ああしていれば、あの時もう少し思いとどまっていれば。そう思っても、今はもう後の祭りだ。






 惨めに地を転がるリキテル少年の口の中に、鉄の味が俄かに広がっていた。

 涙の味もする。喉の奥には痰も絡み、ブザマを象徴する味が舌に纏わりついている。


 リキテルは拳を握り固めた。


 弟が殺され、それを見捨ててしまった彼は、幽霊ゴーストの様に彷徨う日々を送っていた。底知れぬ自責の念に押し潰されそうにも、目に映る全てを破滅に追い込みたくなるような妖しさも抱え、凡そ人間らしいとは言えぬ日々だった。


 そんな時、リキテル少年はある英雄譚を耳にする。

 無論、オルトゥスに纏わるものだった。曰く英雄は全ての弱者に手を差し伸べ、この国を光のもとへ導く類稀なる騎士である。



 その英雄譚を聞いたリキテルは、怒りに猛った。

 震える憎悪を抑えきれず、吟遊詩人を殴り倒しもした。


 リキテルの内に溢れる、熱された鉄の様な思い。

 何故という疑問、怒り。



 そんな英雄がいるなら、何故自分と弟を救ってくれなかったのだ。

 何故あの時現れてくれなかったのだ。


 許せない。

 絶対に許せない。


 かの英雄オルトゥスにこの怒りをぶつけんが為に、その為だけに、彼はこの王都へやってきた。




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