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第91話 ハード・コア


 江島貴史はヘッドホンを外して一息ついた。

 満足の行く音が採れたと思う。


 振り返ると不安そうに俺を見ている柏木がいた。

 柏木はマイクの前に立っている。

「オッケーだ」

 柏木はホッとしたように笑顔を見せた。


 今日は柏木の歌パートの録音をしていた。休日なので午前中から作業していたが、時計を見るともう夕方だった。

 しまった、昼飯を柏木に食わせてない。


 自分だけなら飯無しで、何なら睡眠無しで作業し続けることもあるが、柏木にまでつき合わせるのはまずい。

 柏木の歌がなければ俺の曲は完成しない。作業を嫌がられるようなことがあったらかなり困ることになる。


「悪い、長時間付き合わせた」俺が確認したり作業している間、柏木はずっとマイクの前に立ったまま待たせている時間が長かったはずだ。

 朝からずっと立たせていたか?


「うん、大丈夫だよ?」踊るように体を揺らして疲れていないことをアピールしてきた。楽しそうな笑顔にホッとするが、いや、疲れてないわけはないよな。


 ゲームチェアを回転させて柏木の方に向ける。

「座るか?」作業も終わったしマイクの前に立っている必要はない。いつものように床に正座して座ってもいいし、何なら俺が座っているイスを貸そうかと思った。


「え?」何故か柏木は真顔になる。

 あ? どうした?

「あ、うん」いつも楽しそうな柏木は大人しくなる。

 俺のところに近づいてきて、背中を向けた。

 イスを貸そうかと立ち上がろうとしたが、柏木は何故かそのままゆっくりと俺の膝の上に座ってきた。


 あ? 何してんだこいつ?


 膝の上に座れと言ったと勘違いしたのか?

 そんな勘違いするか?


 柏木は体重をかけないように遠慮がちに黙って座っている。

 退かそうかと思ったが、大人しくしている柏木に勘違いを指摘するのも可哀想かと思って逡巡してしまう。


 俺の膝の上に遠慮がちに座っていた柏木は、俺が何も言わないのに安心したのか、ゆっくりと背中を預けてきた。


 本当に何してるんだこいつ?

 勘違いを指摘するタイミングを完全に逃した。


「寒い」柏木は小さな声で言った。

「あ、悪い」俺は机の上に置いていたエアコンのリモコンに手を伸ばす。

 稼働音がマイクに入らないようにエアコンを止めていた。何度か入り切りを繰り返しているうちに、いつの間にか切りっぱなしになっていた。


 俺の胸にもたれていた柏木は首だけで振り返って俺を見上げる。

 不満そうな顔をしている。

 何だ?


「むー」

 俺に不満があるのか、わかりやすく口を尖らせて拗ねてみせる。

 いや、わからん。


「おい、どうしたいんだ?」

 柏木はムッとしたように返事をしなかった。そのかわり俺の両手を取ると、柏木の腰回りを抱きかかえるように回させられた。

 寒いから抱きしめろってことか?


 柏木は普段からスキンシップが多い方だが……、いや、男同士でこんなスキンシップするやついるか?


 男同士でこれは変だと言う気もないので、柏木の好きにさせる。


 今日の柏木は落ち着いた色合いのピンクのブラウスに黒のプリーツスカートを履いていた。寒いのに素足だった。下手に動くと短いスカートを捲りそうで気を使う。

 俺が動かずにいると、柏木は安心したように俺に体を預けて目を閉じて大人しくしている。


 疲れているんだろうな。

 だいたい俺のせいなので休ませてやることにする。柏木は軽いから別に負担にもならないしな。


 しかし最近の柏木は前より増してスキンシップが激しい。


 こいつが女だったら、絶対勘違いする。いや、ここまでベッタリくっついてくる女がいたら、それは誘っているよな?



「ライブで歌えそうか?」ずっと黙っているのも飽きた。

「歌えると思う」

「そうか」ライブでも行けるか。


 今日の曲はいつもと違い、完全に打ち込み前提に作った。初めは柏木の歌も声をサンプリングして使うつもりだった。

 柏木は生でも歌えるように練習してきた。いくつかエフェクトをかけただけで録音できた。

 時間はかかったが。


「柏木、すごいな」

「え? 何が?」

「この曲、歌える事が、だ」

 ? 柏木は不思議そうな顔で俺を見上げてくる。わかってないだろうな。


「声を録音して、音源として使うつもりだったんだ」

「そうなの?」

「ああ。これ、歌えるってすごいな。かなり練習してきただろ?」

「あ、うん」柏木は微妙な表情をする。

 何だ? いつもなら褒めるとすごく嬉しそうにするのにな?


「いつもと曲の感じが違ったね」

「おう。いつもは柏木が歌うの前提で作っているが、今回はよりハードコアテクノ寄りにした」

「……、楽器も歌も、打ち込み前提って事?」

「そうだな」

 柏木もだいぶわかってきたな。


 だが、柏木の表情は微妙なままだ。

 何だ? 何が引っかかっているんだ?


「どうかしたか?」

「ううん」慌てて首を横に振る。

 髪の毛が顔に当たってくすぐったい。


「気に入らなかったか?」

「そんな事ないよ!」ムキになる。気に入らなかったのか……。

 柏木が俺の曲を気に入らないと言うのは初めてだな……。


 柏木は急に怯えた顔になった。

「ごめんなさい!」飛び上がるようにもたれていた体を離す。そして振り返って首にしがみついてきた。

「ごめんなさい! 怒らないで!」強くしがみつく。


 俺、そんなに不機嫌そうな顔してたか?


「ごめんなさい……。嫌いにならないで……」

 しがみつかれて顔が見れないが、泣きそうな声だった。


「おい、怒ってない」いつもいつも受ける曲が作れるとは思ってない。何曲も作っていたら、中には柏木の趣味に合わない曲も出てくるだろ。


 背中を抱いて、優しく頭を撫でる。

 子供をあやしてるみたいだな。同年代の男で、こんな子供みたいなやつ柏木以外知らんぞ。

 苦笑いが出る。幸い柏木は俺を見ていない。


「頑張るから……、もっと練習するから……」

 ん? 十分だと思うが? 今回の曲も生で歌えるとは思ってなかった位だ。


「だから私を、捨てないで」

 は? 何を言ってる?


「私を使って。私は、江島くんの役に立ちたい」

「おい、役に立ってるって。今回の曲も感謝している。思っていた以上の出来だ」

「ん……」柏木は俺の首筋にしがみついたままだ。


「ずっと、江島くんの歌を歌いたい」

 おう。素直に俺の曲を気に入ってもらえて嬉しい。

「ずっと、ずっとだよ」

 ……、ちょっと重たくないか?

 前に羽崎は、柏木を使い捨て扱いするな、と言った。



「柏木はプロを目指してるのか?」高校卒業しても、ずっと一緒にやるってそういう事になるよな。

「え?」予想外の質問だったのか、驚いたように顔を上げて俺を見た。


 柏木の顔は涙でグチャグチャだった。


 静かに泣くなよ……。


「江島くんはプロになりたいの?」

 泣いている柏木に動揺して言葉を失っていた。

 俺が返事をしないのも、自分が泣いていることにも無頓着に柏木は言葉を続ける。

「プロとか興味ないけど、江島くんがプロになるなら一緒にやる」

 いや、そんな簡単に言われてもな。


 高瀬なら音楽でも映像でも食ってけそうだが……。


「なれるかどうかはわかんねーが、夢見るくらいは良いだろ」言葉を濁した。

 柏木の人生まで責任を持てない。

 ……、いや、保険をかけたんだな。

 ダセーな。


「お前らとならいいとこ行けそうだからな」

 柏木は微妙な顔をする。

 不満か?


「柏木の声が好きだ。柏木の歌が好きだ。だから俺のために歌え」

 先のことはわからない。だが俺の曲を愛してくれる柏木に、これからも愛してもらえる曲を作る。


「うん」柏木は嬉しそうに笑い、再び俺の首に抱きついてきた。

「私も江島くんが好き」

 俺の曲な。変な省略すんな。


 柏木は可愛いよな。柏木が女だったらうっかり彼女にしてしまいそうだ。

 柏木みたいな女がいたとしても、可愛い女の子より高瀬みたいなかっこいい美人の方が俺のタイプだけどな。




読んでくれてありがとうございます

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