第90話 本命チョコ
羽崎正人のスマホに着信があった。
ディスプレイを見ると柏木奈乃からだった。
どっちだ?
「はい」
『あ、羽崎ぃ?』奈乃だった。
「うん」
『今いい? ちょっと会える?』
「会える」
『出られる? どこかで待ち合わせしよ?』
「あー、柏木の家にいる」
『え? 家に来る?』
「いや、もう柏木の家にいる」
『……、何で?!』
何でだろうな。
今日は奈乃の妹の那由多に呼び出された。
着替えてから柏木家に来たが、出迎えたのは那由多だけだった。
奈乃絡みの用件じゃないのか?
「お姉ちゃん、出かけてますけど、待ってて貰えますか?」那由多は用件を言わない。
まあ、良いんだけどな。
待っている間に、那由多の話に付き合う。奈乃の話題ではなく、始終那由多自身の話題だった。
そのうちに母親が帰宅した。
「お姉ちゃん、遅くなりそうだから夕御飯食べてってください」母親の許可も取らずに那由多に勧められる。
「私も手伝うから」そう言って母親と二人で台所に立つ。
奈乃にも会えていないし、ごちそうになることにした。
そのうちに父親も帰ってきて、気まずい会話をすることになった。
まあ、ご両親とは面識はあるけどな。
台所では那由多が張り切って母親と料理をしている。
何がそんなに楽しいのだろう?
そもそも何で俺は呼び出されたんだ?
奈乃はきっとあの二人に会いに行っている。奈乃ならバレンタイン当日にチョコレートを渡そうとするだろう。
俺は既に学校で義理チョコを貰っている。ここにいる理由はない。
料理が揃って奈乃の帰り待ちとなった頃に、奈乃から電話があった。
『すぐに帰るから!』奈乃は慌てたように電話を切った。
今日、俺に会う予定だったのか?
3つ目の本命チョコを期待してしまう。
電話を切った俺を、那由多は不機嫌そうに見ていた。
「あ、奈乃さん、すぐに帰ってくるそうです」那由多の視線に居心地が悪い。
しばらくして奈乃は帰宅した。
慌てたように居間のドアを開け、
「何で羽崎がいるの?!」と叫んだ。
走って来たのか、奈乃は息を切らしていた。
「お帰り、お姉ちゃん」那由多が冷たく言った。
「おかえりなさい、奈乃」
「お帰り」
ご両親も奈乃に声を掛ける。
「お帰り」俺も声を掛ける。
奈乃の慌てぶりも、那由多の冷たい対応も意味がわからない。
「那由多、何してんの?!」珍しく奈乃は怒っているようだ。
「私が羽崎さんを食事に誘っただけだよ。私のお友達でもあるんだから、別に良いでしょ?」那由多は平気な顔をして言い返す。
那由多と俺は友達だったんだ? 初めて知った。
那由多は最初から食事に誘うつもりだったのか?
「奈乃、手を洗ってきなさい。ご飯にしましょう」母親がオドオドしながら二人の仲裁に入る。
父親は黙ったまま固まっている。
俺もどうしていいかわからない。
那由多は何をしたいんだ?
食事は上機嫌で俺に話しかけてくる那由多と対照的に、奈乃は不機嫌そうに黙々と食事をする。
ご両親は何か取り繕うように俺に短い話題をふってくる。
食事は豪華で歓迎されているのはわかるのだけど、なんか落ち着かない。
那由多はとても凝った料理を作って、それはとても美味しかった。
奈乃にはできない芸当だな。
「デザートも用意してありますから、待っててください」そう言って那由多は食器を片付け始める。
母親も一緒に片付けをするが、奈乃は拗ねたように座ったまま動かない。
片付けを終えた那由多は俺にだけコーヒーとチョコレートケーキを出した。
「これ、本命チョコです。食べてもらえますか?」
え? 何て?
「那由多!」奈乃が勢いよく立ち上がる。
奈乃が座っていたイスが勢いよく押し出されて大きな音を立てた。
叫んだ奈乃は立ち上がったまま那由多を睨む。怒っているのか呼吸が粗い。だが言葉はそこで止まってしまっていた。
「何? お姉ちゃん」対して那由多は落ち着いて、冷たい目で奈乃を見返す。
俺も、両親も黙って成り行きを見守る。
どうすればいいのかわからない。
「何で羽崎に……」奈乃は最後まで言わない。
「別に良いでしょ? お姉ちゃんには関係ないよね」
「関係あるよ! 羽崎は私の……」これも最後まで言わない。
「私の、何? ただの友達でしょ? 私だって友達なんだから本命チョコ渡したって良いよね」
「……ダメ」
「何が駄目なの? お姉ちゃん、彼氏いるよね? なのに、他の男子にも色目使ってるよね?」
奈乃は言い返さず、辛そうに黙っている。
「その上、今度は羽崎さんもキープするの?」那由多は怒っているというよりか、悔しそうに見えた。
「ずるいよ。お姉ちゃんばっか好き勝手して、皆に甘やかされて……。私だって……」泣きそうな声になる。
「……、那由多」奈乃は泣きそうな那由多に戸惑い、声をかけようとする。
那由多はそれを拒否した。
「ずるいよ! お姉ちゃんはずるい。何でもかんでも独り占めしないで!」
那由多の叫びに奈乃が怯えて目が泳ぐ。
奈乃を怖がらせるなよ……。
「那由多ちゃん。あまりお姉ちゃんをイジメないでやって」できるだけ優しく言う。
「那由多ちゃんが僕の事を高評価する理由がわからないのだけど」これは本当にわからない。
「お姉ちゃんに危機感持たせるために煽ってるんだろうけど、気を使ってもらわくても大丈夫だよ」
奈乃が何を言っているのかわからないといった顔をする。
那由多も。
「那由多は僕にお兄さんになって欲しいって言ってたけど、僕も諦めてないよ。お姉ちゃんはそのうち振られるから、そのときまで近くにいて待っているから」
二人共ポカンとしている。
「そして、弱ってるお姉ちゃんを掻っ攫うつもりだよ」
ゴメンな、那由多。俺は奈乃を諦めるつもりはない。だから那由多とは付き合えない。
那由多はしばらく思案顔で俺を見ていたが、理解したように寂しそうな笑顔を見せた。
「まあ、お姉ちゃんは長続きしなさそうですもんね。でも待っててくれるなんて羽崎さんは優しいです。やっぱりお姉ちゃんにはもったいない」そして奈乃に笑いかける。
「あんまりフラフラしてると、ホントに羽崎さん取っちゃうよ?」
「ねえ、二人とも酷くない? どうして私が振られる前提なの?」奈乃は拗ねたように言った。
俺も那由多も笑った。
奈乃はわかりやすくぷりぷり怒る。
可愛いな。ちゃんと可愛く見えるように拗ねている。
仲の良い姉妹だよな。
決定的に険悪な関係になることを避けようとするくらいには。
母親は愛想笑いを浮かべてオロオロしていだけだったが、やっと安心した表情になった。
父親はずっと黙っていたが、やはりホッとしたようだった。
「頂いていいかな?」那由多のチョコレートケーキを食べる。
「どうですか?」
「うん、美味しいよ。あまり甘すぎないのも良いね」
「やった」那由多は嬉しそうな笑顔を向けてくる。
「私も! 私もあるよ!」奈乃が袋の中からラッピングされた箱を取り出す。
「うん、ありがとう」破かないようにラッピングを外す。那由多が作ったのと同じようなチョコレートケーキだった。
ビターにしようとしたのか、少し苦い。
その後、奈乃は父親にもチョコレートケーキを渡していた。父親も苦そうな素振りを見せずに美味しそうに食べていた。
遅くなったのでおいとますることにした。
「お見送りします!」那由多が跳ねるように立ち上がり、掛けてあった俺のコートを持ってくる。
「あ、私も」奈乃も立ち上がる。
「お姉ちゃんは来なくていいから!」那由多は舌を出して、べーっとする。
こんなわかりやすく子供っぽい事するの珍しいな。中学生だから子供なのは間違いないが、普段は奈乃より落ち着いている。
奈乃は不安そうな顔をしたがそれ以上何も言わなかった。
「また明日な」不安そうな奈乃に笑いかける。
「うん」奈乃は不安そうなまま、小さく手を振ってバイバイした。
コートを着て外に出る。
2月の夜は寒い。
一緒に外に出てきた那由多は先程までの子供っぽい表情を作るのをやめ、辛そうな顔をしていた。
「ごめんな」
那由多は返事をしない。
俺は立ち去ることもできずに立ちすくんでいる。
那由多は無言のまま俺にゆっくりと近づき、恐る恐るしがみついてきた。
抱きしめることも、突き放すこともできずに、俺は馬鹿みたいに突っ立っているだけだった。
「お姉ちゃんは可哀想だと思ってました」那由多は俺の胸に顔を埋めたまま言葉を紡いだ。
「同情して……、下に見ていました。……でも、いつの間にかみんなに愛されて、羨ましかった」
うん、そうだね。
「お姉ちゃんが幸せになって欲しいと思ってるのも本当のことなんです」
うん、わかってる。
奈乃はみんなに愛されてるよな。
86話を投稿するの忘れてました。
よかったら遡って読んで下さい。




