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第88話 バレンタイン

 

 バレンタインデー当日、羽崎正人はいつもより早く2年B組の教室に入った。


 今年のバレンタインはソワソワしている。こんなにソワソワするのは初めてだ。


 チョコレートを貰えるか貰えないかでヤキモキしているわけではない。せいぜい安い義理チョコ位しか貰ったことがないから、今更そんなことでソワソワしたりしない。

 うん、なかなか悲しいな。


 今年のバレンタインは不安しかない。

 奈乃がバレンタイン当日にチョコを自分で渡すと言ったからだ。


 この前の日曜日、奈乃の家でチョコレートを作った。作り終わって片付けの後、片付けしたのは俺と妹の那由多の二人だけだったが、奈乃が「チョコレート、自分で渡す」と言った。


 いつもは手作りのお菓子を、クラス会に来れなかったクラスメイトには俺が代わりに渡している。

 奈乃が男子の制服を着ているときに、手作りお菓子を渡すのを嫌がるからだ。

 俺が代わりに渡すのは構わないらしい。どういう理由かはわからないが。

 今回も俺が代わりに配ることになると思っていた。


「……そうか」どう答えていいのかわからず、それだけしか言えなかった。

 那由多も黙っている。

「うん。自分で渡すよ」奈乃はもう一度そう言った。



 そして今日がバレンタイン当日。

 ちゃんと奈乃は登校できるのか?

 ちゃんと渡せるのか?

 心配が尽きない。


 いや、クラスの皆は大丈夫だ。そこまで過保護にしなくてもいいだろうと思うぐらいに、奈乃に甘い。まあ、俺もその一人なんだろうけど。

 心配する理由は無いんだけどな……。



「おはよう」柏木が教室に入ってきた。

 いつも通りクラス全員に声を掛ける。クラスの皆の事が好きというのは嘘じゃないのだろうけど、誰からも嫌われないように怯えているようにも見える。


 柏木はスクールバッグを机に置いて、大きな紙袋を持って俺のところまで来る。

「おはよう」俺に挨拶する柏木の声から緊張しているのを感じた。

「おはよう」

 立ったまま俺を見下ろしている柏木の視線が更に下を向く。

 ムリなら代わってやろうか? と言おうと思ったが留める。柏木が決めることだ。俺も甘やかしてばかりじゃない。


「手伝ってもらった羽崎に渡すのも変だとは思うんだけど、一番渡しやすそうだから」そう言い訳しながらみんなに配る用のチョコレートを紙袋から取り出す。

 チョコレートを渡す一人目は、俺にするのがハードル低いと考えたのか。

 まあ、俺はチョコレートを配ることを知っていたしな。


「あ、友チョコってやつだから。外国じゃ世話になってる人に渡す習慣だと聞くし」何か早口で言い訳しだす。

「うん、ありがとう」笑顔で受け取る。

 柏木はホッとした顔をする。

 いや、嬉しいのは嬉しいんだけどな。

 特別に作っていた本命チョコは貰えないんだな……。


 隣の席を見ると、佐野さんがびっくりした顔で柏木を見ていた。

 柏木も佐野さんに気づいてもう一つ袋からチョコレートを取り出す。

「あ……、これ、貰ってくれるかな?」

「え? ……あ、うん」佐野さんはキョトンとした顔のまま受け取る。そして黙ったまま柏木を見ている。

 そこまで放心するか? 驚きすぎだろ。


 ずっと黙ったまま見られて、柏木は居心地が悪そうに目が泳ぎだす。

「あ、ありがとう。私も、私も友チョコあるから!」不安定になりだした柏木を見てやっと硬直を解く。佐野さんもカバンから配る用のチョコレートを取り出して柏木に渡した。

「ありがとう」柏木はホッとした顔でぎこちなく笑ったが、冷や汗をかくほどに緊張している。


「何、何、柏木。友チョコあるの? 交換しよ!」近くにいた女子達も柏木に群がる。

「あ、うん」オドオドしながらも皆と交換する。

「友チョコだからな。いつも世話になってるし」そう言い訳しながら。

「これ、手作り? 柏木くんが作ったの?」

「あ、うん。手伝ってもらったけどな」

 誰に手伝ってもらったかは言わないな。言われても困るが。


 後から登校して来た女子達も柏木を囲む。

 皆、柏木の分の交換用チョコレートなんか用意してなかっただろうけど、大丈夫か?


 クラスの女子、多分全員に囲まれて柏木は少し怖がっているようだが、これはどうにもできない。俺もこの数は怖いし。


「はいはい、タムロしない。解散して」委員長が介入した。最近では委員長を怒らすと怖いことが知れ渡っているので、すんなりと柏木は開放された。


「委員長、これ」柏木は委員長にもチョコレートを渡す。

「義理だから。義理チョコだからな」そう強調していたが、女子には『友チョコ』と言っていたのに『義理チョコ』でいいのか?

 委員長は柏木のおかしな言動を気にもとめず、「ありがとう」と笑って受け取った。


 男子の方は女子みたいに自分から柏木のところにやってこないので、柏木から皆にチョコレートを配り歩いた。

 男子は友チョコなんか用意していないだろうから、自分から貰いに行けないのだろう。

 奥ゆかしい奴らだ。


「ありがとう。ごめんね、奈乃ちゃん。用意してなかった」格ゲーマーの松野は他の男子とちょっと違う反応を見せた。

「いいよ。修斗くんは他の人には渡せないよね」柏木はからかうように、松野の隣に立つ宇田川を見る。

「うん」松野もイタズラっぽい顔で笑った。

 松野の彼氏の宇田川は嫌そうに舌打ちして余計に二人に面白がられていた。

「ごめん、修斗くん。渡しても良いかな?」

「うん、良いよ」

「宇田川くん、これ」許可を得て柏木は宇田川にチョコレートを差し出す。

「いらん」

 こいつは!


 柏木は傷ついた顔をする。

「ヒロくん」松野が優しく咎める。

「チッ」宇田川はわざとらしく舌打ちをして、それから受け取った。


「羽崎くん、心配?」隣の席の佐野さんが面白そうに俺を見てくる。

「見てない」

 いや、ずっと柏木を見ていた。

 クラスの奴らが柏木に酷いことするわけ無いとはわかってるんだが。つい、な。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 江島貴史は放課後に柏木奈乃に呼び出されて軽音部の部室に向かった。


「江島くん」途中、高瀬に呼び止められる。

 高瀬も柏木に呼び出されたようだった。

「おう」

 高瀬はカバンの他に大きな紙袋を持っていた。ラッピングされた何かが溢れそうになっている。


「それ、チョコか?」

「ええ」

「全部、貰ったのか?」

「そうよ」高瀬は辟易さと自慢気が混ざりあったような微妙な顔をする。

 まあ、女が女にモテたって仕方ないよな。


「俺のは?」

「え?」驚いた顔をされた。いや、期待してない。ちょっとしか……。

「用意しておいたほうが良かったかしら?」そんな申し訳無さそうな顔されたら傷つくからやめろ。


 軽音部の部室に行く途中で柏木が待っていた。

「悪いな。一人で行きづらかったから」柏木はそう言い訳する。

 こいつ、自分が軽音部部員だってこと忘れてるだろ。まあ、幽霊だけどな。


 そもそも柏木、やたら友達多くないか? 何で人見知りみたいなこと言ってるんだ?


 柏木は高瀬の持っている紙袋を見て、何か含みのある色を見せた。自分の彼女が女からモテるってことになにか思うところがあるのか。

 女同士の友チョコなんか、いちいち気にすることも無いだろうに。


 それより、柏木は紙袋を二つ持っていた。その一つはチョコレートが溢れそうになっていた。

 紙袋二つ分かよ。

「柏木、それ全部チヨコか?」

「え? あ、うん」

「柏木、モテるんだな」

「え? いや、全部友チョコだから」

 ん? 義理チョコって事か?


 高瀬は柏木のチョコにあまり反応していない。

 正妻の余裕か?



「こんちはー」部室に入る。

「おう、いらっしゃい。ていうか、たまには顔だせ」

「すいません」悪いが、部室でダベってるような暇はない。バンド編成でない俺達に部室は使い道がない。


 珍しくほとんどの部員が揃っているようだった。いや、幽霊部員の俺達がいる方が珍しいか。

「こんなに人いるの珍しいですね」

「柏木くんに、来ると聞いていたからね」部長が答える。柏木が来るだけでこんなに人が集まるのか? いつの間に軽音部でも人気者になってるんだ?


「あ、えっと……、えっと、いつもライブに来てもらってるから……、あ、お礼、お礼っていうか……」そう言って、少ない方の紙袋からラッピングされたチョコレートを出す。

 全部貰ったチョコじゃなかったのか。


「お、ありがとう。ちょっと期待してた」部長は嬉しそうに受け取る。

 柏木はホッとしたように顔を緩めた。



 柏木が2、3年生にチョコを配ったあと、遠慮していた1年生が柏木のところにやってきた。

 1年生は多い。四人編成のバンドが二つある。一つはガールズバンドだった。


「これ」柏木がチョコを渡そうとすると、その女子はチョコではなく柏木の手を取った。

「え?」

「柏木先輩かわいいー!」何かテンション高い子だな。

「は? 可愛い言うな」柏木はそう返すが、それ程不快そうではなかった。

「んー、生意気で可愛い! ハグしていいですか?」一応、柏木は先輩なんだけどな。その女子部員よりは小さいが。

「え?」流石に柏木は戸惑っている。「あ、……いいよ」押し切られていた。チョロいな、柏木。

「ちっちゃくて可愛い!」女子部員は柏木に抱きつきながら頭を撫でていた。

「ちっちゃい、言うな」


 高瀬が気になって見てみる。

 高瀬は他の部員たちと話をしていて、何も気にしていないようだった。

 余裕有りすぎないか?

 彼氏が他の女に抱きつかれていても平気なのか?


「ずるいずるい、代わって!」

 柏木はチョコを渡すたびにハグされていた。

 ガールズの四人に渡したあと、男子部員にもチョコを差し出した。


「柏木先輩、俺もハグしていいですか?」この男子もテンション高いな。

「え? あ……」今度は流石に柏木もうろたえている。「あ、はい」恥ずかしそうに小さく返事した。

「おお! 柏木先輩いい匂いする!」

「嗅ぐな、変態!」他のバンドメンバーが楽しそうにツッコむ。

 テンション高いな。怖いわ、若い奴ら……。


「嗅がないで……、恥ずかしいよ……」柏木は顔を真赤にして俯いてしまった。いや、柏木もノリノリなんだが……。


 不穏な気配を感じて振り返ると、さっきまで平然と他の部員と会話をしていた高瀬が黙り込んでいた。

 部員達も不機嫌な高瀬にヤキモキしている。


 何だ?

 さっきまで正妻の余裕がましてなかったか?



 柏木は男子全員とハグした後も1年生に囲まれていた。いつの間にか「奈乃ちゃん先輩」と呼ばれている。

 テンション高い1年生達は柏木の頭を撫でたり、頬を引っ張ったり、抱きしめたりと、やたら激しいスキンシップをしていたが、柏木は楽しそうだった。

 まあ、柏木からしてスキンシップ多いほうだからな。


 それよりも不機嫌な高瀬が気になる。

 こいつ美人な分、不機嫌な顔も迫力あるよな。


 いきなり不機嫌になった理由がわからなくて困る。


 やっぱ、変わってんなこいつ。




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