第82話 どんど火
高瀬雪穂は柏木家の玄関で恋人が来るのを待っていた。
大晦日に柏木家に招待され、何となく定番の大晦日番組を観て過ごした。特に流行り歌に興味があるわけでもないのだが、知っている歌に合わせて口ずさむ奈乃ちゃんは可愛かった。
年越しそばも食べた。
今まで食べたことがあっただろうか?
夕食をたくさん食べた後なのでちょっと辛かったが、何とか全部食べた。
お正月を家族や親戚と過ごすってこういうものなのかしら?
奈乃ちゃんと奈乃ちゃんのご両親の好意はありがたいけど、異物感は拭えない。
もし奈乃ちゃんと結婚することがあったら、私にも家族が手に入るのだろうか?
年末の歌番組が終わる頃、年越し参りに誘われた。
柏木家の恒例行事らしい。
私はコートを着込んだだけで外出の準備はできた。
他のご家族も直ぐに準備が整って玄関に集まってきたが、奈乃ちゃんだけがなかなか出てこなかった。
奈乃ちゃんの準備が遅いのは柏木家ではいつもの事らしく、誰も気にすることなく待っている。
「お待たせ!」やっと奈乃ちゃんが玄関にあらわれた。
薄い茶色の短いコートを着て上半身は温かそうだけど、短い丈のコートの下から黒のプリーツスカートが覗いている。
ストッキングだけでスラッとした脚を出してくる奈乃ちゃんは気合が入っていて、そしてとても可愛い!
奈乃ちゃんは私の視線が脚に釘付けになっているのに気付いて誘うように笑みを浮かべる。耳には私が買ってあげた真珠のピアスが揺れていた。
家族の前でなければ、奈乃ちゃんの可愛さを称える言葉とともに抱きしめたいくらいだ。むしろ押し倒したい!
「その格好で行くのか?」奈乃ちやんの父親が困ったように尋ねた。
流石に冬の夜に、ストッキングだけでほとんど脚を出しているのは寒すぎると思ったのだろう。
「ん」奈乃ちゃんは短く答える。
父親も母親も驚きと心配と何か形容し難い感情を混ぜたような表情をしていた。
妹の那由多ちゃんは口を結んで何か考えている。そして覚悟を決めたように、「行こう」と言って玄関のドアを開けた。
冬の星は高く、風が冷たい。
手が冷たくてコートのポケットに手を入れた。吐く息が街灯に照らされて白く光る。
外に出てすぐに奈乃ちゃんが私の腕に抱きついてくる。
寒いのだろうけど、上半身をくっつけて来てもその寒そうな可愛い脚は暖かくならないわよね。
風が冷たいのか、フードで顔を隠していた。
那由多ちゃんが先導するように前を歩き、両脇を囲むようにご両親がついていく。口数は少ないが仲が良い家族に見える。
私と奈乃ちゃんは無言で後ろをついていく。
寒くて口を開けたくないからあまり会話もなかったが、腕に絡んでくる奈乃ちゃんの重さが幸せだ。
目的地までは少し離れていていた。奈乃ちゃんの地元の氏神様の杜が見えてくると奈乃ちゃんの歩みが何となく遅くなってくる。
普通なら目的地が近づいたら歩く速度は早くなるものじゃないかしら?
奈乃ちゃんを見下ろす。
表情はコートのフードに隠れて見えない。
前を向き直すと奈乃ちゃんの家族が立ち止まって私達を心配そうに見ていた。
ゆっくりとした足取りで境内に入る。新年までもう少しある。手水で冷たくなった手を篝火で暖めて待つ。
既に拝殿には参拝待ちの列ができていた。
同じくらいの人が大きな篝火の周りに集まって新年を待つ。
奈乃ちゃんは私の腕に顔をうずめてじっとしている。
「柏木さん」誰かが呼ぶ声が聞こえた。
そちらを見ると、奈乃ちゃんの両親と同じ位の世代の夫婦らしい二人が話しかけてきていた。
二組の夫婦は挨拶を交わす。
それから話しかけてきた男性が私を見て、「息子さん見ないうちに大きくなったな。男前になって」と言った。
え? 息子さん? 誰かと間違えている?
ああ、奈乃ちゃんの事を言っているのね。
この中で息子に見えるのが私だけだから。
明らかに私に話しかけているけど、私は奈乃ちゃんじゃない。
私は何と応えようか逡巡する。ご両親もどう答えるか迷っているようだ。
奈乃ちゃんは強く私にしがみついてきた。
「彼女連れてきたの?」
奈乃ちゃんを彼女と思ったのか。
「そろそろ並ばない?」女性の方が男性の話を遮る。そう言って軽く挨拶して男性を参拝列に連れて行った。
多分、女性の方は誰が奈乃ちゃんかわかっていた。
ホッとした弛緩した空気に変わる。奈乃ちゃんの私にしがみつく腕の力が緩む。
てもそれは僅かな時間だった。
「柏木か?」今度は奈乃ちゃんの横から男子が話しかけてきた。私達と同じ位の年代だった。明らかに奈乃ちゃんとわかって話しかけている。
奈乃ちゃんは僅かに私の腕から顔をずらし、話しかけてきた男子を見る。再び強くしがみついて、そしてしがみついた手は震えていた。
男子は少し迷った素振りを見せたが、「久しぶり」と無難な挨拶をした。
「ん…」
男子は私を見る。「付き合ってんの?」
「……ん」
「……」
「……」
「お前、進学校行ったけど、ついてけてんのか?」
「……何とか」
「……そっか。校則緩いとこ行くのに頑張ったもんな」
「ん」
会話が続かなくなる。
「たまには遊びに来いよな」男子は柔らかく笑いかける。
「ん」
男子は私に会釈した。私が会釈を返すと、奈乃ちゃんに軽く手を上げて挨拶し、そのまま離れていった。
奈乃ちゃんが詰まっていた息を吐く。手の震えは止まっていた。
そっか。近所の人の集まる場所に出るってこう言うことなのね。
奈乃ちゃんの家族もホッとした顔をしていた。
父親が短いスカートを気にしていたのは、寒さを心配していたわけじゃなかったのか。
フードの上から奈乃ちゃんの頭を撫でる。
「ん」私を見上げてくる。
笑いかけると、奈乃ちゃんはぎこちなく笑顔を返してきた。
いつの間にか年が明けていた。
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