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1/3:「よくわかんない」


「――カーミラのことを対外的に説明するとき、私は魔王のクローンだ、という直裁的な表現を使うことが多い。ほとんどの人間は技術的な話に興味はなく、結果が知りたいだけだからね。私も正直言って説明するのは面倒だから、普段は適当に辻褄を合わせて話してしまっている。しかし、これは厳密にはちがう。私が行ったことは、私という人間の遺伝子を編集することで限りなく魔王という存在へと近づけるというものだった」


「カーミラはどうやって作られたの?」という私からの質問がよほど珍しく、また嬉しかったのだろう。ママはいつもよりずっと饒舌に答えてくれたのをよく覚えている。


 私と同じ真紅の髪と碧色の瞳をしているママは、三日に一回くらいの頻度で私の部屋にやってきてはお話をしてくれる。ママはとっても物知りでいつも色んなことを教えてくれるけど、私はこの部屋のこと以外はなにも知らない。


 以前、「カーミラはいつも黙っているね。私の話はつまらないかな」と言われてしまったけど、全然そういうことではなくて、ただ私にはママにお話しできるような事柄を何一つとして持ち合わせていないから、結果として黙って聞いていることしかできないだけ。


 そう説明したら、ママは相槌というものを教えてくれた。だから以来、私は人から話を聞くときは笑顔を作って頻繁に頷くように心がけている。


「我々が復興(ルネッサンス)させてきた前史世界の科学技術において、遺伝子工学はすでに成熟したものだった。肝心の魔王の遺伝子についても、収容されている眼球からは新鮮な状態の体細胞を採取することができた。

 ゆえに、魔王復活(マハーカラ)計画(プロジェクト)が立ち上げられた当初において、目的は簡単に達成できると思われていた。

 採取した体細胞の核から遺伝子情報を取り出して魔王の受精卵を作り出し、合成羊水を用いた人工子宮(バイオバッグ)に移して成長させていくことは当時の技術力でも容易かった。純法者(リガリス)のみを対象にした遺伝子調整(ゲノムアラインメント)や体外受精といった技術はすでに復興され実用化されていたからね。

 そうしてその計画が始まってから、私が責任者となって引き継ぐまでに五年もの月日が流れていた。

 畢竟、上手くいかなかったということだ。

 魔王の肉体を作り出すことはできた。屈強な筋力を持ち、年をとることはなく、身体を損傷させようとも自己修復し、あらゆる環境に適応してみせる。この地球上における魔物を含めたあらゆる生物の頂点に立てると断言できるほどの身体だった。

 しかし、作れたのはそういう機能をもった肉だけだった。

 通常であればクローンにも魂――これを我々は虚体(アストラル)と呼んでいる――が宿るが、魔王はどうも特別らしい。

 この一事を掲げて、これこそ魔王がまだこの世界のどこかで生きていることの証だと騒ぐ輩もいた。魔物の中には同じようにクローニングされた肉体に虚体が宿らない個体も少数ながら存在することが報告されている。実際のところ魔王がどうなのか、知る由はないがね。

 さて、プロジェクトを引き継いだ私はまずその方針を大きく変えることにした。

 我々が欲していたものは魔王そのものではない。魔王に比肩しうるほどの強力な魔法を使うことができる存在を作成することにある。つまりは魔王でなくとも構わないわけで、第七格以上の魔法を単独で扱うことができれば要件は満たしている。

 ならば、最初から魔王をクローニングするのではなく、人間の遺伝子を魔王のものへと限界まで近づければいいのではないかと、私は考えた。幸いなことに魔王のDNAシーケンシングは終わっていたから、我々が欲っしている魔王の特長と、それの発現に関係する遺伝子を同定する作業は省略できた。

 元となる私の体細胞を採取し、編集作業時間内にヘイフリック限界を起こさないようpdu4/5、Tpz3、Lmg5、d-Nzdという四つの遺伝子を組み込んで不死化処理(ノーライフィング)を施して合成幹細胞を作製したのち、CRISPER-CasZ機構を用いた遺伝子改変技術を使用して要件定義通りに魔王の特性を一つ一つ付加させていく。

 こう言ってしまうと大仰に聞こえるかもしれないけれど、やっていることはステンレス製の安全キャビネットの中にあるペトリ皿の中の薄桃色のニトロセルロース膜上のミクロの世界に、ピペットや遠心分離機なんかを使ってあれやこれやと手を加えるという、非常に地味な作業の繰り返しだ。

 しかも挿入していく遺伝子はちがえども行う試験手順(プロトコール)は毎回同じ。はっきり言って地味だが、仕事というのは得てしてそんなものだ。

 技術の向上によりオフターゲットは一昔前に比べればかなり低減させることができたものの、完璧にゼロになったというわけではない。オルガノイドを調べ上げて編集結果を確認するときは毎回祈るような気持ちだったよ。

 そうして完成した魔王の幹細胞から不死化処理に用いた遺伝子をノックアウトさせてから人工子宮を使って成長させていく。

 例えば、要件定義の一つである魔力――我々は虚力(psy emission volume)と呼んでいる――を高める要因は大部分が肉体に依存している。つまりそれは遺伝子で決められているということで、高い魔力を持つ人間はみな33q22.3領域の欠失の範囲が大きく、またその領域内に存在するReteiculon 5 receptor(RTN5R)遺伝子内にあるアミノ酸配列変異(RTN5R-R303H)がみられる。このRTN5Rは神経軸索伸張や神経細胞のスパイン形態に密接に関わっているNogo受容体をコードしており、RTN5Rと結合して機能する分子であるLINGO2との相互作用部位にRTN5R-R303Hが存在し、RTN5R-R303HとLINGO2との相互作用が変化する。本変異によりLINGO2との結合性が低下し、神経細胞の成長円錐の成形に影響することで虚力という純法な世界とはかけ離れた力を行使する資格が与えられることになるわけだ。

 さて、時間や手間はかかるものの、肉体の製作は私の見込み通りの予定に進んでくれた。

 ただ同時進行で魔王の魂――虚体――を作り上げる作業は難航していた。

 私が専攻していた感覚(クオリア)言語学(タングィスティクス)はひらたく言えば脳の働きから逆算して虚体を解析する学問だ。解析した結果を記述し、そこから再現性をもたせるために開発されたのが感覚言語といえる。それはつまるところ魂の設計図を記述するための言語だ。

 しかし当時のものでは精度が足りておらず、全容の半分ほどしか虚体を記述することができなかった。

 虚体を作り出すという作業が可能になったのは、私が最新の感覚言語であるΛ言語をリリスしたここ七年くらいの出来事だ。魂の領域にまで扉を開けることができたわけだけれど、そこから先は我々にとって未知の世界だった。肉体のときとはちがい、既存の研究なんてものはほとんどない。誰かがなにかを始めれば、すぐにその研究の第一人者になれるような状況にほぼ等しかった。

 ベースは肉体のときと同じく私の虚体を元にすれば良いが、問題はどこに何を編集すれば我々の要件定義を満たすことができるのか、ほとんど見当がつかないことだった。

 遺伝子が肉体の換言だとするならば、虚体においては霊基子(アストラル・セル)というものがそれに当たる。魔物には物理法則を無視した異法という力があるが、それは対応している霊基子に虚力を与えることで事象に干渉している。

 魔王によってもたらされた大破局によって世界は濁り、異化し、我々がこれまで使っていた自然物理学に異法という新たな法則が加えられることになってから約八〇〇年もの月日が経つと言われている。

 魔法というものはこれら魔物たちの異法の原理を応用し、意識変容(トランス)させた脳が虚力を行使することで自身の虚体を一時的に変形させ、アストラル界へとアクセスし、エーテルを媒介として事象に干渉することで成されている。ただし、いくら変形させるとはいっても虚体にはそれぞれ可塑性が決まっていて、扱える魔法には個体差がある。なにかができるようになれば、引き替えになにかができなくなるんだ。

 オリジナルの魔王はあらゆる魔法を自在に扱えたらしいが、それは現時点の技術力では不可能だった。

 だから我々は第七格以上の大量破壊魔法とそれを補佐する所与の魔法に加え、その使用に耐えうる強固な肉体強化魔法に目星をつけ、リスト化して共有し、それらの異法を保持している魔物たちの虚体を調べ上げることから始めた。調べ上げた魔物の虚体はすべての霊基子をΛ言語へ変換してデータベースとして積み上げていき、我々が欲している異法と、それと対応する霊基子を一つ一つ同定していった。

 このプロジェクトにおいて一番辛かったのはこの作業だったね。

 こうして言葉で言うのは簡単だが、Λ言語を扱うためにはHachishikiと呼ばれる仮想多次元空間で作業をしなくてはならない。そもそもHachishikiにエントリできる人間は知力がA以上でなければならないうえ、三時間以上の長時間のエントリは命に関わるという時間制限まである。作業は遅々として進まず、私が想定していたよりも長くなってしまった。

 長時間のエントリは現実感の激しい喪失が伴う。一日の作業が終わったときのラボの様子はまるで精神病棟のようだったよ。

 しかし、莫大な予算と人的資源をこの国は一切惜しむことはなかったから、結局は時間の問題だったとも言えるね。それだけ、蓬莱という国は魔王の再来を望んでいたわけだ。この世から魔王とその子孫たちである魔物を根絶するために、魔王を作り上げる。そういった狂気から君は産み出され――

 ……意地悪な言い方になってしまったね。

 すまない。

 君を産み出したものは確かに矛盾した思想なのかもしれないが、ただそれでも一つだけ、覚えておいて欲しい。君――いやカーミラは、これから沢山の人の命を救い、そしてその幸福に貢献する。

 私はそれを確信している。だからこそ、カーミラを産み出した。

 君は私の誇りだ。

 ……時間がきてしまった。話は途中になってしまったが、続きはまた次回にしようか。なるべく噛み砕いて説明してきたつもりなんだけれど、どうやって君が産まれてきたのか、少しは理解してもらえたかな?」




「よくわかんない」

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