夕闇の空
暫くの間、華凛は真の手を掴んで泣き続けていた。
日は沈み夕闇が辺り一面を抱きしめる様にして覆う。周りのビルに比べても別格の高さを誇るアクレスの頂上だが、それでも天には届かない。電飾を失くした無機質な楼閣はかつての華やかさはなく、ただ闇に飲まれるだけの存在。
華凛の泣き声が徐々に治まっていき、やがて束の間の静寂が訪れた時だった。
「今日はここで野宿するか。華凛も……よく頑張ったから……その……疲れただろう?」
未だに手を離さない華凛に向けて真が声を掛けた。女の子に優しい声をかけることに慣れていない真の言葉は若干ぎこちないものになっている。
「……」
華凛はまだ黙したままで、真の手を握る力がぎゅっと強くなるだけだった。
「もうこんなに暗くなってるから、今から下りるのは危ないしね。それに、テントもあるし、まだ薪も残ってるからね」
近くで華凛を見守っていた美月も声を出した。少しでも元気づけようと明るめの声を出すが、それでも今の空気では空元気くらいの明るさが精一杯だった。
「それじゃあ、さっさと薪に火をつけてしまいましょう。もう暗くて周りが見えないよ」
黙っていた翼がようやく声を上げることができた。華凛に対して声をかけられなかったというよりは、どちらかと言えば今は何も言うべきではないと判断し、翼は割り切って黙っていた。だから、声を出せるとなれば自然に入ってくる。
「わ、私が、あの、薪を用意……しますね」
一番どうしていいか分からなかった彩音がいそいそと薪の準備をする。準備と言ってもゲーム化によりアイテム蘭から取り出すだけの簡単な作業である。
「まさか、エアリアルでキャンプすることになるなんてね」
彩音の用意した薪に美月が火打石で火を付けながら可笑しそうに言った。
「そうだな。もしかしたら凄く贅沢なことをしてるのかもな」
不自然なまでの速さで火のついた薪を見ながら真が呟く。ゲーム化した世界と違い、現実の世界の夜は真っ暗だ。天にも届くと謳われたアクレスも星の輝きにはまるで手が届かない。
「……そうね」
真の手を離した華凛が静かに呟きを漏らす。感情の乏しい声ではあるが、微かに温度のある声。涙で腫らした目には焚き火の炎が淡く揺らめく。
ゲーム化したアイテムの炎だが、それでも焚き火の炎というものは心を落ち着かせてくれる。華凛は膝を抱えて座り、じっと燃える薪を見つめた。
「ねえ、真。これどうする?」
一息ついたところで翼が真に声をかける。翼はあまり触れたくないような目つきで未だ横たわっているドレッドノート アルアインの亡骸を指さした。
「ああ、それな……。アイテムが出てるから取るまで消えないんだろう」
もう暗くなっているので見えにくいがドレッドノート アルアインの身体からは白い靄のようなものが出ている。その辺にいるモンスターなら、アイテムをドロップしても取らずにいたら、十分ほどで消えてしまうが、ドレッドノート アルアインの骸はまだ残っていた。おそらく、通常のモンスターとは格が違うため、戦利品を取るまでは消えない仕様になっているのだろう。
「こいつと一緒に一晩過ごしたくはないよな……」
真はそう言うとドレッドノート アルアインの亡骸に近づき、手をかざす。
『アルアイン マジックブック』
『アルアイン サファイア ネックレス』
『アルアイン サファイア リング』
ドロップしたアイテムはサマナー用の武器である魔法書と後衛用のアクセサリーが二つ。どれもヒーローグレードだ。
真がアイテムを拾うと、巨大なドラゴンの死体は霧散するように呆気なく消えていった。
「えっと……華凛はサマナーだよな? 本が出たけど……どうする?」
華凛が持っている魔法書からサマナーであることは明白なので一応訊いてみるが、真としては非常に訊きづらい。
「いらない……」
沈んだような声で華凛が返事をする。
「あ、あぁ、了解…………捨てるか」
友達を殺した奴から出た装備を使いたいなどと思うわけないとは分かっていたが、貴重なアイテムであることには違いない。どうしようか迷ったが訊かないわけにもいかず、結局気まずい思いをするだけになっていた。ただ、よりにもよってサマナーの装備を出すなよと内心愚痴をこぼす。
「あと、アクセサリーもあるけど……捨てるぞ」
これは美月や翼、彩音に対しても訊ねる。
「うん、いいよ。それを売ったお金を使う気にもならないしね……」
真の問いかけに美月が返事を返した。ドレッドノート アルアインが落とした装備は使えば戦力になることは間違いないが、それでも使いたくなかったし、それを売ってお金を手に入れることも嫌だった。
「同感。とっとと捨てっちゃって」
「私も異存はありません」
翼も彩音も同意の意志を表す。
「……あの、あ、あり、ありがとう」
膝を抱えたまま、顔の半分を埋めている華凛が少し照れくさそうにして謝意の言葉を述べる。貴重な物だということは華凛にも分かっていることだが、それでも、華凛の気持ちを汲んで捨ててくれたことが嬉しかった。
「いいのよ華凛。私達は同じギルドの仲間なんだから」
「そうよ。私達だってあんな奴から出てきて物なんて使いたくもないしね」
美月と翼が華凛の横に座って声をかけた。
「うん……同じギルドの仲間……なんだね」
「そうですよ。私達は華凛さんを迎え入れたんですから」
彩音も優しく華凛に微笑む。
「ねぇ……ギルドの名前は何っていうの?」
華凛はふと疑問に思ったことを口にした。真達が同じギルドのメンバーであることは知っているが、ギルド名までは聞いていないことに気が付いた。
「私達のギルドは『フォーチュン キャット』よ」
華凛の疑問には美月が答えた。夜中まで話し合って決めたギルド名。美月はこの名前が気に入っていた。
「『フォーチュン キャット』か……。可愛い名前ね」
華凛も新しく入ったギルドの名前をすぐに気に入った様子であった。
「ギルド名を決める時に真だけ反対したけどね」
「うっせえな! 今そのことを蒸し返す必要ないだろうが!」
翼が放った一言に真が面を喰らった顔をしている。ギルド名を決める時の話し合いのことは真としては思い出したくない部類の記憶になっている。
「そうなの? 可愛い名前なのにどうして?」
華凛は素朴な疑問を浮かべる。良い名前だと思うし、反対するほどのものでもないと思う。
「俺は別にギルド名に可愛さを求めてるわけじゃないから……」
真がぶつくさと華凛の疑問に答える。真がギルド名に求めるのはカッコよさ。特に強さを表現するようなカッコよさを求めている。
「あぁ、そういうところはやっぱり男の子なんだね」
真の容姿と『フォーチュン キャット』というギルド名には何の違和感も感じなかった華凛もようやく真がギルド名に反対した理由が分かった。真の見た目から失念しがちになるが、真は男だ。言動や仕草などを見ても男だと分かれば女子のそれではないことくらい一目瞭然であった。
「で、その反対してた真がギルドマスターで、私がサブマスターね。華凛、これからも『フォーチュン キャット』のメンバーとしてよろしくね」
「こちらこそ……その、よろしく……」
美月からかけられた歓迎の言葉に、華凛は心の中を何かがすーっと満たしていくような感覚を覚えた。それが何かはよく分からないでいたが、真っ暗な夕闇の空の下にポツンと灯された焚き火のように、淡く、優しく、暖かい何かが閉ざされた華凛の心をそっと開いて満たしていくような思いがあった。
その後は夕食を摂って、少し雑談をしながら過ごす。焚き火を囲み、どんなことを話したのかも覚えていないような他愛もない会話はゆっくりと夜の闇の中に溶け込んでいく。
疲れ果てた華凛は何時の間にか深い眠りについていた。華凛にとって自然と眠れたのは何時ぶりのことだろうか。朝まで目覚めずに眠り続けたのは何時ぶりのことだろうか。大切な友達が化け物に蹂躙されたあの日から、一時たりとも心が休まることがなかった華凛に、ようやく安息が訪れたのだった。




